松下啓一 自治・政策・まちづくり

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☆学術会議問題を考える

2020-10-12 | 1.研究活動
 テレビドラマを見ていると、ときどき、戦争のさなか、西洋音楽を聴いていたり、英語を勉強しているだけでと、「非国民」だと、寄ってたかって攻め立てる場面がある。これを見て、「何て馬鹿なことをしたのだろう」とあきれたことがあるだろう。

 同じことが、今回の学術会議騒動でも、起こっている。要するに、今回の政府の措置は、政府の意にそわない研究をする人は、優れた研究者とは評価しないということで、「敵国の言葉を勉強するなどとんでもない」といっていることになる。

 英語を禁止した日本と比べて、アメリカは、日本の研究をしている人を大事にして、そこから、戦争戦略や統治政策のヒントを学んだという。それを聞くと、「これでは戦争に負けるのは無理もない」と、思ったことがあるだろう。

 今回も同じことで、そもそも研究者は、さまざまな観点から研究してなんぼである。政府の言うとおりに研究する人もいていいし、政府の意見と反対のことを研究してもよい。政治は、そのなかから、使えるものをとり入れれば、いいだけである。むしろ、政府に厳しい意見の中に、次の政策につながるいいヒントが隠れている。

 そもそも私たちの社会は、価値の多様性を基本として、そこから、ピカっと光るものを花開かせる社会である。我が国には、人の知恵しか資源がないので、人が通常は考えない発想を大事にして、そこから、新しい発見や発明して、そこから新しい産業を興していくしかない。

 戦後、戦争のときの体験に懲りて、価値の多様性を大事にしてきたので、いま、その成果としていろいろな発見や発明が生まれ、ノーベル賞がとれてきた。それが、ひとつの答えしか認めない国になったら、新しい発見や発明などは、生まれてこず、もうノーベル賞は無理だろう。

 実際、コロナでは、マスク警察も出没し、きわめて同調圧力が強い国になってしまった。気がついたら、子どもの貧困率は13.5%で、7人に一人が貧困という国になってしまった。

 6名の拒否であるが、政府には、学問研究のレベルで、基準を満たすかどうかの判断能力はないので、ほかの要素で判断したことになる。政府が判断できる基準は、政治なので、「このご時世、敵性音楽を学んでいるからだ」ということで判断したのだろう。

 学術会議の次は、国の研究費だろうから、政府から今回発せられた「分かってるよな」というメッセージは、一人ひとりの研究者に、ボディブローのように、効いて来るのだろう。
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