
いつも読んでいる自治体法制執務雑感に投稿した。
子どもの権利条例をめぐって、Human Rightsについて考える機会となった。
こんにちは おひさしぶりです。
ついつい私たちは、 Human Rightsを人権と訳しますが、素直に考えると、Human(人の)Rights(正しさ)になります。人間としての正しさ、人としての正しいふるまいが、素直な意味になりますね。
私が、これに気がついたのが、今から6年ほど前、米子市で自治基本条例の検討を始めたときでした。その後、小田原市や新城市、そして最近では焼津市の条例案にも関わりましたが、いずれもHuman Rightsを「人としての正しいふるまい」と考えて、関わってきました。いずれの自治基本条例にも、その意味でのHuman Rightsが底流に流れています。
実は、米子市で、Human Rightsを「人としての正しいふるまい」と考えて、これを条例の柱にしようと考えたのは、私ではありません。米子市役所の担当職員の人たちです。彼らが、仕事のなかで、これが重要と考えて、条例づくりを始めたのです。すごいですね。
なまじ法律学や政治学をかじると、市民と政府の関係を対峙して考えがちです。政府は市民の権利を侵害する主体とされるからです。立憲主義ですが、法律学の既成知識にとらわれない人たちは、この点はフリーです。
米子をはじめ小田原、新城、焼津の自治基本条例を一緒にやった、まちづくり専門家の今井邦人さんは、Human Rightsをそのまま「人としての正しさ」と訳して、自治基本条例づくりをリードします。人としての正しさを実現するツールが自治基本条例というのです。
自治基本条例が始まった当初、やはり立憲主義的に考えて、自治基本条例は「権利のカタログ」を記述するものとの主張がありました。なかなか格好がいいので魅力的ですが、最近ではほとんど聞かなくなりました。
住民自治を地方政府をチェックすることと考えるのも同じです。
もちろんそれも大事ですが、助けあいが基本の地方自治では、立憲主義だけでは、住民の抱える諸問題は解決できません。
Rightsを「正しさ」と考えるといろいろなものが見えてきます。民主主義社会において、正しさとは、自らを律し、他者にも思いをはせることができるということになりますが、まず市民一人ひとりが、考え、まちのことにも関心を持つということが自治の出発点になりますね。これが住民自治の原点ということになります。
子どものRightsについても、自立(自律)し、他者への思いをはせることができる子どもになってほしい(それが正しいあり方)というのが本意でしょう。
役所の役割も、権利と訳すと、子どもから役所に対する請求権や役所からの干渉排除権となりますが、正しさと考えると、子ども一人ひとりの自立(自律)や他者へ配慮できる子どもになるように、それをサポートするのが役所の役割に変わります。
とてもよい問題提起で、触発されて一気に書きました。引き続き楽しみにしています。
子どもの権利条例をめぐって、Human Rightsについて考える機会となった。
こんにちは おひさしぶりです。
ついつい私たちは、 Human Rightsを人権と訳しますが、素直に考えると、Human(人の)Rights(正しさ)になります。人間としての正しさ、人としての正しいふるまいが、素直な意味になりますね。
私が、これに気がついたのが、今から6年ほど前、米子市で自治基本条例の検討を始めたときでした。その後、小田原市や新城市、そして最近では焼津市の条例案にも関わりましたが、いずれもHuman Rightsを「人としての正しいふるまい」と考えて、関わってきました。いずれの自治基本条例にも、その意味でのHuman Rightsが底流に流れています。
実は、米子市で、Human Rightsを「人としての正しいふるまい」と考えて、これを条例の柱にしようと考えたのは、私ではありません。米子市役所の担当職員の人たちです。彼らが、仕事のなかで、これが重要と考えて、条例づくりを始めたのです。すごいですね。
なまじ法律学や政治学をかじると、市民と政府の関係を対峙して考えがちです。政府は市民の権利を侵害する主体とされるからです。立憲主義ですが、法律学の既成知識にとらわれない人たちは、この点はフリーです。
米子をはじめ小田原、新城、焼津の自治基本条例を一緒にやった、まちづくり専門家の今井邦人さんは、Human Rightsをそのまま「人としての正しさ」と訳して、自治基本条例づくりをリードします。人としての正しさを実現するツールが自治基本条例というのです。
自治基本条例が始まった当初、やはり立憲主義的に考えて、自治基本条例は「権利のカタログ」を記述するものとの主張がありました。なかなか格好がいいので魅力的ですが、最近ではほとんど聞かなくなりました。
住民自治を地方政府をチェックすることと考えるのも同じです。
もちろんそれも大事ですが、助けあいが基本の地方自治では、立憲主義だけでは、住民の抱える諸問題は解決できません。
Rightsを「正しさ」と考えるといろいろなものが見えてきます。民主主義社会において、正しさとは、自らを律し、他者にも思いをはせることができるということになりますが、まず市民一人ひとりが、考え、まちのことにも関心を持つということが自治の出発点になりますね。これが住民自治の原点ということになります。
子どものRightsについても、自立(自律)し、他者への思いをはせることができる子どもになってほしい(それが正しいあり方)というのが本意でしょう。
役所の役割も、権利と訳すと、子どもから役所に対する請求権や役所からの干渉排除権となりますが、正しさと考えると、子ども一人ひとりの自立(自律)や他者へ配慮できる子どもになるように、それをサポートするのが役所の役割に変わります。
とてもよい問題提起で、触発されて一気に書きました。引き続き楽しみにしています。
ファシリテーターという役割上、「リード」というよりはみんなに「問いかける」ということですが、民主主義を考えるための住民投票の議論とともに、米子での取り組み以降、どこでも意識的に強く問いかけてきたと思います。
また、福沢諭吉はrightを『権理通義』とも訳したようですが、“子どもの権利”との関係でいえば、相模原市の子どものまち(ミニシティ)に心血を注いでおられる山家さんが「『義』を大切にする」とよくおっしゃっていることと、この議論に何か相通ずるところがあるように思えてなりません。
引き続き、よろしく。