
防府市で課長、係長さんを対象とする研修会があった。
午前と午後の二部制で、それでも8時半スタートと時間を目一杯とって話をした。二部構成で同じ話をすることが前提であるが、これが難しい。前半は、エピソードを話し過ぎて時間が押したので、後半はそれを押さえたが、結局、時間が押してしまった。
全体には、協働の必要性、協働を進めるためのポイント等について、話とワークショップでコンパクトに伝えることができたと思う。
防府市に行き始めて3年目になるので、人事異動で、担当の人たちは一巡したようだ。ただ、Hさんだけは、今回の異動で市民活動推進課長に昇進して引き続きである。今回も、さまざまな気を使ってもらった。
防府市は、もともとは周防の国府があったところで、それで防府という。歴史のあるまちである。幕末史では、三田尻という港町が頻繁に登場する。三田尻は、長州藩の城下町萩から防府に至る萩往還の終着点にあたる。長州藩の海の玄関口で、参勤交代もここから出立したし、幕末、京都に向かう軍勢も三田尻から出発した。吉田松陰や坂本龍馬など多くの志士が、三田尻に立ち寄り、三田尻から旅立っていった。その三田尻は、現在では、すっかり埋め立てられて工場地帯となり、残念ながら歴史的面影は残っていない。
防府市といえばやはり防府天満宮である。京都の北野天満宮、福岡の太宰府天満宮と並んで、三大天満宮に数えられる。11月の第4土曜日に行われる御神幸祭(裸坊祭)では、御網代輿をかついだ白装束姿の人々が、「兄弟ワッショイ」のかけ声とともにも天満宮の大石段を下りていく。
防府には、前日、最終便で来たので、朝、市役所に行く前に、お参りをした。天気がよく、気持ちの良いときを過ごした。今書いている本に載せるつもりで、いくつかの写真も撮った。紅葉の防府もいいらしい。
下馬下乗の写真を撮りに行った
防府は水が豊か
天満宮から。先は萩往還、三田尻の港まで
午前と午後の二部制で、それでも8時半スタートと時間を目一杯とって話をした。二部構成で同じ話をすることが前提であるが、これが難しい。前半は、エピソードを話し過ぎて時間が押したので、後半はそれを押さえたが、結局、時間が押してしまった。
全体には、協働の必要性、協働を進めるためのポイント等について、話とワークショップでコンパクトに伝えることができたと思う。
防府市に行き始めて3年目になるので、人事異動で、担当の人たちは一巡したようだ。ただ、Hさんだけは、今回の異動で市民活動推進課長に昇進して引き続きである。今回も、さまざまな気を使ってもらった。
防府市は、もともとは周防の国府があったところで、それで防府という。歴史のあるまちである。幕末史では、三田尻という港町が頻繁に登場する。三田尻は、長州藩の城下町萩から防府に至る萩往還の終着点にあたる。長州藩の海の玄関口で、参勤交代もここから出立したし、幕末、京都に向かう軍勢も三田尻から出発した。吉田松陰や坂本龍馬など多くの志士が、三田尻に立ち寄り、三田尻から旅立っていった。その三田尻は、現在では、すっかり埋め立てられて工場地帯となり、残念ながら歴史的面影は残っていない。
防府市といえばやはり防府天満宮である。京都の北野天満宮、福岡の太宰府天満宮と並んで、三大天満宮に数えられる。11月の第4土曜日に行われる御神幸祭(裸坊祭)では、御網代輿をかついだ白装束姿の人々が、「兄弟ワッショイ」のかけ声とともにも天満宮の大石段を下りていく。
防府には、前日、最終便で来たので、朝、市役所に行く前に、お参りをした。天気がよく、気持ちの良いときを過ごした。今書いている本に載せるつもりで、いくつかの写真も撮った。紅葉の防府もいいらしい。


