(2010.6.20)
第何回目になるかは、すっかり分からなくなった。この日は朝10時からの開催だった。
南区の最大の弱点は、交通問題であるが、前半はこれがテーマとなった。
交通問題は、受益を受ける人がいる一方、まったくの負担ばかりという人がいて、両者が対立する構造となりやすい。その分、解決策は、容易ではない。
もっとも安直なのは、住民投票で決めるという方法である。ただ、住民投票は、参加の機会が市民に広く開かれている点で、参加の民主性はあるが、決定段階では、少数者を数で押し切るので、決定における権力性という構造的な弱点がある。
投票の結果、おそらく南区に新交通システムが通ることになるだろうが、この場合、少数者の思いが蹴散らされてしまうことになる。反対に、新交通が通らないことになった場合は、投票の費用に何千万円もかけて、結局、交通渋滞という問題は、何一つ改善されないままという結果になる。
私たちの社会は、一人ひとりも思いを大切にする社会であったはずであるから、課題の解決策も、結局、他者への配慮や他者への思いを大切にしつつ、それぞれが知恵を出し合うことを模索するという地道な方法しかないだろう。今回の区民会議では、個々の問題の解決策まで出すことはできないが、こうした道筋を示すことが役割だと思う。
これまで、こうした道筋づくりに、注力してきたが、残った課題は、区民と議員との意見交換の機会づくりである。そんな問題提起をして、この日の会議を終えた。
(2010.5.24)
人事異動の季節で、メンバーの入り繰りや肩書の変更があった。大きな変更は、副会長のHさんの退任である。町内会の代表という充て職で入っていて、その職の変更による退任とのことである。
この1年、区民会議をやってみて、改めてわかったことは、自治会町内会代表の人たちが、実に頼りがいがあるということである。口だけではなく、実践してきたという実績があるからである。もちろん、誰にだって弱点・欠点はあるが、地域では、それをあげつらう前に、まず、その活動をきちんと評価して、そして改めるべきは改めるという前向きの作業を行うべきだろう。3月11日以降、「ところで、あなたは、地域のために、どんな実践をしていますか」が、一人ひとりに問われるようになった。高みからの議論や対岸からの批評は、地域では相手にされなくなったということである。Hさんは、自治会町内会の元締めになるだけあって、人望もあり、私も安心して会議ができた。こうしたまちの人材、資源をどれだけ活かせるかで、今後の私たちの暮らしが決まってくるのだろう。
今回、JCから出された無作為抽出型の熟議会議が、開催される運びとなった。区民会議が、メンバーから、さまざまな提案が出され、それをみんなで考える会議になるよう、運営していこうと思う。任期は、あと1年であるが、残された宿題は、①一般区民の参加のさらなる仕組み、②南区選出議員さんとの対話の仕組みである。
(2010.4.26)
大震災で一回中止となり、久しぶりの会議となった。
冒頭でも言ったが、この会議に出るのは楽しみである。さまざまなバックボーンを持つ人が集まり、活発に、かつ率直に話をする。みなが持っている力を引き出していくことが、住みよいまちづくりにつながるのだろう。その一翼を担っていきたい。
①予定外であったが、今回の大震災をテーマとした。今回の大震災では、多くの市民の思いをどのように「つなげていく」のかが問われている。メンバーから、引き続き、議論しようという意見がでたが、その仕組みを考えていきたい。
②プラーヌンクスツェレをやることになった。課題もあるが、一つひとつ乗り越えていかなければ自治は進まない。参加依頼通知に、アンケートを入れたらという意見があった。なるほどである。これにも挑戦してみよう。
任期は、あと1年。次のステップにつながる会議となるように、もうひと頑張りしよう。
(2011.2.14)
第何回になるのだろうか、分からなくなってしまった。
今回も、実に、活発かつ前向きの議論となった。区のまちづくりを自分たちの問題として、考えるという会議になっている。始まった当初は、行政に向かって、質問するといった例もあったが、それも、今ではすっかり影をひそめた。「みんなで楽しく、真剣に、話し合う、聞き合う」という自治の基本が、実践され始めているということだと思う。
区民会議で行うべきは、こうした自治の実践で、それが行政に伝播し、市民に伝わっていくことが、結局、自治をつくる早道ではないか。区民会議が強権的に何かを定めても、面従腹背で、地に着いたものにならないだろう。
伊勢丹からメンバーになっているMさんが、定年で、会社を辞め、この会議からも退くということで、最後に挨拶をされた。「みんながよく発言する」と言っておられたが、本当に、率直な感想だと思う。それぞれが持てる能力をできる限り発揮してもらうのが、私に役割なのだろう。
その分、予定通りに会議は進まず、もう一回、追加が必要になりそうである。日程が大変であるが、仕方がない。また、この日も、その足で福井に行くことになっていたが、そんなわけで、相模大野で予定の電車には乗れなかった。ただ、関が原が大雪で、新幹線が送れたため、飛び乗ってセーフということになった。運がよかったというべきであろうが、こんなことに運を使ってしまったということもできるのではないか。
(2011.1.11)
今回の区民会議が、2011年度最初の社会活動になった。
テーマは、区のシンボルマーク募集にあたっての南区コンセプトづくりと、区ビジョンでは前回の議論で残ったコミュニティを取り上げた。
コンセプトづくりでは、事前の打ち合わせで、案を1つにまとめることができなかった。短いキーワードを並べたものから、800字に及ぶステートメントまで、3案を作ったが、いずれもそれぞれの意義があり、捨てがたかったからである。そこで、悩んだ過程を含めて、会議に出し、メンバーで一緒に考えてもらうことにした。
区民会議には、評論家ではなく、実際にさまざまな市民活動をしている人たちが集まった。評論家ならば、鋭い意見、格好のいい意見をいうことができるが、多くは各論がないのである。ではそれをどのように実践するのかという話になると、とたんにあるべき論の一般論に戻ってしまうか、机上の空論か、ひどい場合は、「行政しっかりやれ」という、行政依存に戻ってしまう。ところが、実際の自治会活動やNPO活動などでは、現状を前に進め、さまざまな意見を調整することが求められるので、おのずと、ほかの意見に配慮した、現実可能性のある意見を発想できるようになる。要するに鍛えられているのである。こうした人たちの会議なので、自由に意見を出してもらうことにしたのである。そんなメンバーの集合体なので、最後には意見がまとまると考えて、3案を出してみたのである。
今回も全員が、意見を言った。それぞれの案を止揚する意見も出た。結局、短文を採用し、長文のステートメント風の文章は説明用という止揚案になった。それぞれのよさを活かすことになったと思う。
会が始まる前に、出身母体の会(民生委員)の会長に就任することになって、区民会議を退任することになったHさんが、挨拶をされた。「自由で創造的に場に参加できて何よりだった」という、短いけれども本質を捉えたお話をされた。地方自治は、民主主義の学校であるが、きっと現場で鍛えられているのだろう。私の役割は、それぞれが、その持てる力を引き出すことができるように、心がけることだと思う。
(2010.12.9)番外
区のシンボルマーク募集の前段として、コンセプトづくりにむけたワークショップを行った。場所は相模大野のグリーンホール。区民80名が参加した。今回は、プラーヌンクスツェレ方式でしばしば行うシール投票を取り入れた。投票結果そのものというより、参加者の大意を参加者自身が把握し、自分の意見の位置や評価、さらに考える際のヒントにするのが狙いである。
シンボルマークの選定というと、すぐに投票が思いつくが、今回は妥当でないと考えた。投票には一定の限界があるからである。つまり投票は、参加の仕組みとしては優れているが、よりよいものを決定する仕組みとしては十分ではないからである。話し合って、知恵を出したほうが、結局、よいものが見つかっていく。
これは住民投票についても言える。これもだれもが参加できる仕組みではあるが(その点は優れているが)、思いを実現する方法としてはやはり不十分である。ハワイに行くか、近くの温泉にするのかの選択肢しかなく、数で負けると、近くの温泉にしぶしぶ行かざるを得ない(たいていの場合、お金がかかるからといって、近くの温泉に決まる)。ハワイを提案した思いは、この際、海外に思い切って飛び出てみよう、新しい発想で今後の行動を組み立てなおす機会にしようと考え提案したのであるが、その思いが伝わらない仕組みだからである。話し合えば、思いが伝わって、理解され、「じゃあグアム島にしよう」ということになるかもしれない。単なる二者択一の投票では、その思いを伝える場がなく、結局、不満を内在させ、自治や地域から、市民を遠ざけることになる。この制度は、知恵を出せるような、事前準備(十分な情報、議論の場など)に大いにエネルギーを使うべきであるが、実際には、当面の票の獲得にエネルギーを使ってしまう。本当に難しい。
シンボルマークのコンセプトといえども、知らない人が集まって、ひとつのことを決めていくのは容易ではないが、トライアンドエラーを重ねながら、私たちの自治力を日々鍛えていくのだろうと思う。
次回のワークショップは、19日の日曜日。ただ私は、学生たち23名を連れて、愛知県新城市の自治基本条例ワークショップにいくのでお休みとなる。新城市では、自治の基本について、このようなワークショップを取り入れながらやっている(大茶話会といっている)。まちづくりは、「よそもの・わかもの・ばかもの」の「3ばか」がないとできないとされるが(ここでも排除の論理はまちをだめにする)、その「よそもの・わかもの」として、わがサガジョ学生が、おおいに奮闘してこようと思う。
(2010.12.6)第6回
第5回を飛ばしてしまった。記憶が定かでないが、闊達な会議だった。第6回は、これまでの意見、そして行政が認識している現状と課題を意見集約した。内容的には、大意、そのとおりというものとなった。このメンバーのよいところは、表現方法はさまざまだが、一人で時間を占有することなく、全員が発言することである。偉くなると、また年をとると、発信力ばかりが強くなって、受信力や他者へ気が回らないということにもなりやすいが、そうしたことがない。市民活動の弱点は、腕組みをして、怖い顔をしているところであるが、そうしたところがないのがよい。
この会議で、私がこころしているのは、行政への質問の場としないことである。自分たちで議論するのに必要ならば、質問があってもよいが、要望的な質問は、また別途、時間をとって別の機会にやればよい。大事なのは、市民どうして、意見を出し合い、議論することである。そのために、事務局では、机の配置などの気を配ってくれていて、すっかり、円形の会議形式が定着した。だから、全員の顔が全員に見える。隣の人との間隔も狭いので、腕組みをして、ふんぞり返る余裕もない。
全体に、相模原市南区は、住みよいところである。住民の意識も高い。しかし、地域コミュニティという点では、逆にそれが弱点になってくるだろう。ひとりで住めると思ってしまうのである。早晩、それでは立ち行かないことが、顕在化するが、その先手を打って、信頼や連携をソーシャルキャピタル(社会の資本)とする地域社会づくりが、この区民会議の役割だろう。
(2010.11.14)第4回
区内の視察に参加した。ただ私は、午後からの授業のために、途中で失礼することになった。
新しい清掃工場を見せてもらった。横浜市で環境事業を担当していたので、清掃工場はたくさん見ているが、相模原の工場は最新式の炉(簡単に言えば蒸し焼き方式)で、興味深かった。
お昼を食べながら、区のシンボルマークの選定方法も検討した。やや大げさに感じるかもしれないが、私は、このマークづくりは、区民会議の方向性を決める、ある種の試金石だと考えている。
いくつかのやり方があるが、私たちの区は、つくる段階から区民が入るという方式を採用した。そうすることで、区民がまちの当事者になるチャンスができる。それが地域への愛着につながり、地域のために行動しようという人が生まれてくるきっかけになるからである。こうした新しい力が生まれてくるように、仕掛けをたくさん用意し、実践するのが、私たちの役割だと思う。
区では、どんな仕事でも、常に、こうした方向性を意識し、具体化していくほしい。その積み重ねのなかで、自治や民主主義が身にいてくるのだと思う。相手を非難し、上から目線で諭す「声高民主主義」で、自治や民主主義が私たちのものになる時代は終わったと思う。
(2101.10.19)第3回
にぎやかな区民会議となった。目標とした全員発言は達成。その分、2時間半の休みなしとなった。途中、自らでの判断でのトイレ休憩、用事で帰るもありである(これは私が座長になると一般的)。
意見はたくさん出て、また意見が分かれるところもあったが、それもよし。予定調和でやることが、もはや意味を失っている。対立する意見を出し合って、収斂することができればよいのである。実際には、民主主義を標榜する人が、その収斂ができないことも多いという皮肉もあるが、このメンバーならば、大丈夫だろう。大いに議論し、大胆にまとめていく、そんな運営をしたいと思う。
心配だったのは、終了時間。この日は、その足で福井までいかなければいけないからである。米原発のしらしぎにはたくさん乗ったが、ずいぶんと遅い時間まであったような気がする。
(2010.9.13)第2回目
第2回目の会議があった。テーマは、「相模原市南区の伸ばすところ、克服するところ」。要するに南区のよいところ(セールスポイント)と悪いところ(課題)をワークショップ方式で抽出しようということである。区民会議がワークショップ形式で行われることはあまりないと思うが、大事なのは形式ではないだろう。
会議のスタート時にワークショップでやろうと考えたのは、次の理由からである。
①人の意見を聴きあい、人とまじめに議論することが、区民の会議の基本であること。
従来の行政の説明を聞き、質問をする会議も否定するわけではないが、これでは相変わらず、行政主体、行政依存である。地域主権、市民の主体性と、言葉でいってみても、実践できなれば、単なるお題目である。市民が主体になるには、ほかの市民の意見を聴くとともに、自分として体系的な意見をいうことである。批判をするのはたやすいが、そんな会議では、だれも、まともに知恵を出す気にならないだろう。実際、まじめに議論する会議になったと思う。
②委員みんなが参加する。
従来のやり方をやっていると、会議中発言できるのは、一度か二度である。20名も委員がいると、一度も発言できずに帰る委員さんが出てしまう。これはもったいない話である。見込まれて委員になった人が、その力を出せなければ、宝の持ち腐れである。ただでさえ、難しい時代である。さまざまな主体の持てる力を引き出し、それをパワーに変えて、住みよい町を作り上げることが大事である。知恵を持っている人に、大いに知恵を出してもらおうと考えたためである。最後に、各班から発表してもらったが、実に皆さん上手。「ほら、やはり、力を持っている」とあらためて、確認できたと思う。
ワークショップは、どの班も盛り上がっていた。なによりも、メンバー間の親密さが急速に増したのは、何よりである。
写真は、相模大野駅からコリドー通りを望む
(2010.7.30)
相模原市が政令指定都市になり、区民会議がつくられた。私は、地元の相模女子大枠から委員となった(個人的には、委員はとてもやりきれないので、お断りしたが、外堀を埋められた)。いわば、サガジョ代表ということであるが、むろん、大学から選出されたわけではなく(話は通してあるが)、それで代表というのは、落ち着きが悪い。こうした、不思議な感覚は、多くの組織代表が感じているのだろう。
さて、会議で、議長(代表)を決めることになり、自治会代表の方を押す意見と私を押す意見が出た。多くの会議では、こうしたことは根回しがされているが、今回は、会議の中で、決めることになった。
私は、むろん、議長をやりたいわけではない。むしろ、基本的には、地域の人が中心となってやるべきだと考えている。手を上げて発言した人の大半は、ここはやはり自治会代表をということであったので、私も、ぜひ、地元の代表の方にがやってほしいと発言した(その
方が発言し、逆に私を押すというねじれ現象になった)。
結局、推薦人が相譲らず、出席者に手を上げてもらうことになった。結果は、私が多数ということになり、結局、議長を引き受けることになった。正直、困惑しているが、仕方がない。
このなかで、いくつか考えることができた。
まず、手を上げて発言をした人のうち、私を押す意見が少なかったが、結果は正反対になったこと。声に出した数が多くても、それが必ずしも、多数ではないということである。NHKの相撲中継について、声を出した人は、中止すべきであるとしたが、多くの人は放送してよいという意見であったという。消費税値上げ反対の声は大きいが、本音は、そうでもしないと、福祉や暮らしが持たないと思っている人は実際多いだろう。自治の現場でも、上がった声は全体なのか、少数なのかを見極めが難しい場面がたくさんある。場に流されずに、全体の流れを見極めることの大切さを改めて思ったが、実際難しい(できれば議長になりたくないという思いが判断を雲らせる)。さらにいうと、多数だからといって、正しいわけではいと言う別の問題もある。
次に、初対面の人が集まって、いきなり議長を決めるという設定自体が無理なのだろう。従来型のすべてお膳立てが済んでいる会議ならば、それもありうるが、今日では、そういう形式的な会議そのものが問われている。たとえば市民会議では、3ヶ月間は議長が決まらない。ただ3ヶ月も議論していると、この人ならと、衆目が一致する人が出てくる。自然に代表が決まるのである。そんな提案をしようかと思ったが、さらに混乱をきたすので、やめておいた。
ともかく、荷物をひとつ背負ったのは、間違いない。ならば、意味のある時間にするように、がんばろうと思う。
この後、小田原の会議が控えており、すぐに行かなければ行けなかったが、議長ということで、途中退場もできず、早速、微妙な影響があった(10分遅刻。こちらも座長で、みんなに待ってもらうことになった)
第何回目になるかは、すっかり分からなくなった。この日は朝10時からの開催だった。
南区の最大の弱点は、交通問題であるが、前半はこれがテーマとなった。
交通問題は、受益を受ける人がいる一方、まったくの負担ばかりという人がいて、両者が対立する構造となりやすい。その分、解決策は、容易ではない。
もっとも安直なのは、住民投票で決めるという方法である。ただ、住民投票は、参加の機会が市民に広く開かれている点で、参加の民主性はあるが、決定段階では、少数者を数で押し切るので、決定における権力性という構造的な弱点がある。
投票の結果、おそらく南区に新交通システムが通ることになるだろうが、この場合、少数者の思いが蹴散らされてしまうことになる。反対に、新交通が通らないことになった場合は、投票の費用に何千万円もかけて、結局、交通渋滞という問題は、何一つ改善されないままという結果になる。
私たちの社会は、一人ひとりも思いを大切にする社会であったはずであるから、課題の解決策も、結局、他者への配慮や他者への思いを大切にしつつ、それぞれが知恵を出し合うことを模索するという地道な方法しかないだろう。今回の区民会議では、個々の問題の解決策まで出すことはできないが、こうした道筋を示すことが役割だと思う。
これまで、こうした道筋づくりに、注力してきたが、残った課題は、区民と議員との意見交換の機会づくりである。そんな問題提起をして、この日の会議を終えた。
(2010.5.24)
人事異動の季節で、メンバーの入り繰りや肩書の変更があった。大きな変更は、副会長のHさんの退任である。町内会の代表という充て職で入っていて、その職の変更による退任とのことである。
この1年、区民会議をやってみて、改めてわかったことは、自治会町内会代表の人たちが、実に頼りがいがあるということである。口だけではなく、実践してきたという実績があるからである。もちろん、誰にだって弱点・欠点はあるが、地域では、それをあげつらう前に、まず、その活動をきちんと評価して、そして改めるべきは改めるという前向きの作業を行うべきだろう。3月11日以降、「ところで、あなたは、地域のために、どんな実践をしていますか」が、一人ひとりに問われるようになった。高みからの議論や対岸からの批評は、地域では相手にされなくなったということである。Hさんは、自治会町内会の元締めになるだけあって、人望もあり、私も安心して会議ができた。こうしたまちの人材、資源をどれだけ活かせるかで、今後の私たちの暮らしが決まってくるのだろう。
今回、JCから出された無作為抽出型の熟議会議が、開催される運びとなった。区民会議が、メンバーから、さまざまな提案が出され、それをみんなで考える会議になるよう、運営していこうと思う。任期は、あと1年であるが、残された宿題は、①一般区民の参加のさらなる仕組み、②南区選出議員さんとの対話の仕組みである。
(2010.4.26)
大震災で一回中止となり、久しぶりの会議となった。
冒頭でも言ったが、この会議に出るのは楽しみである。さまざまなバックボーンを持つ人が集まり、活発に、かつ率直に話をする。みなが持っている力を引き出していくことが、住みよいまちづくりにつながるのだろう。その一翼を担っていきたい。
①予定外であったが、今回の大震災をテーマとした。今回の大震災では、多くの市民の思いをどのように「つなげていく」のかが問われている。メンバーから、引き続き、議論しようという意見がでたが、その仕組みを考えていきたい。
②プラーヌンクスツェレをやることになった。課題もあるが、一つひとつ乗り越えていかなければ自治は進まない。参加依頼通知に、アンケートを入れたらという意見があった。なるほどである。これにも挑戦してみよう。
任期は、あと1年。次のステップにつながる会議となるように、もうひと頑張りしよう。
(2011.2.14)
第何回になるのだろうか、分からなくなってしまった。
今回も、実に、活発かつ前向きの議論となった。区のまちづくりを自分たちの問題として、考えるという会議になっている。始まった当初は、行政に向かって、質問するといった例もあったが、それも、今ではすっかり影をひそめた。「みんなで楽しく、真剣に、話し合う、聞き合う」という自治の基本が、実践され始めているということだと思う。
区民会議で行うべきは、こうした自治の実践で、それが行政に伝播し、市民に伝わっていくことが、結局、自治をつくる早道ではないか。区民会議が強権的に何かを定めても、面従腹背で、地に着いたものにならないだろう。
伊勢丹からメンバーになっているMさんが、定年で、会社を辞め、この会議からも退くということで、最後に挨拶をされた。「みんながよく発言する」と言っておられたが、本当に、率直な感想だと思う。それぞれが持てる能力をできる限り発揮してもらうのが、私に役割なのだろう。
その分、予定通りに会議は進まず、もう一回、追加が必要になりそうである。日程が大変であるが、仕方がない。また、この日も、その足で福井に行くことになっていたが、そんなわけで、相模大野で予定の電車には乗れなかった。ただ、関が原が大雪で、新幹線が送れたため、飛び乗ってセーフということになった。運がよかったというべきであろうが、こんなことに運を使ってしまったということもできるのではないか。
(2011.1.11)
今回の区民会議が、2011年度最初の社会活動になった。
テーマは、区のシンボルマーク募集にあたっての南区コンセプトづくりと、区ビジョンでは前回の議論で残ったコミュニティを取り上げた。
コンセプトづくりでは、事前の打ち合わせで、案を1つにまとめることができなかった。短いキーワードを並べたものから、800字に及ぶステートメントまで、3案を作ったが、いずれもそれぞれの意義があり、捨てがたかったからである。そこで、悩んだ過程を含めて、会議に出し、メンバーで一緒に考えてもらうことにした。
区民会議には、評論家ではなく、実際にさまざまな市民活動をしている人たちが集まった。評論家ならば、鋭い意見、格好のいい意見をいうことができるが、多くは各論がないのである。ではそれをどのように実践するのかという話になると、とたんにあるべき論の一般論に戻ってしまうか、机上の空論か、ひどい場合は、「行政しっかりやれ」という、行政依存に戻ってしまう。ところが、実際の自治会活動やNPO活動などでは、現状を前に進め、さまざまな意見を調整することが求められるので、おのずと、ほかの意見に配慮した、現実可能性のある意見を発想できるようになる。要するに鍛えられているのである。こうした人たちの会議なので、自由に意見を出してもらうことにしたのである。そんなメンバーの集合体なので、最後には意見がまとまると考えて、3案を出してみたのである。
今回も全員が、意見を言った。それぞれの案を止揚する意見も出た。結局、短文を採用し、長文のステートメント風の文章は説明用という止揚案になった。それぞれのよさを活かすことになったと思う。
会が始まる前に、出身母体の会(民生委員)の会長に就任することになって、区民会議を退任することになったHさんが、挨拶をされた。「自由で創造的に場に参加できて何よりだった」という、短いけれども本質を捉えたお話をされた。地方自治は、民主主義の学校であるが、きっと現場で鍛えられているのだろう。私の役割は、それぞれが、その持てる力を引き出すことができるように、心がけることだと思う。
(2010.12.9)番外
区のシンボルマーク募集の前段として、コンセプトづくりにむけたワークショップを行った。場所は相模大野のグリーンホール。区民80名が参加した。今回は、プラーヌンクスツェレ方式でしばしば行うシール投票を取り入れた。投票結果そのものというより、参加者の大意を参加者自身が把握し、自分の意見の位置や評価、さらに考える際のヒントにするのが狙いである。
シンボルマークの選定というと、すぐに投票が思いつくが、今回は妥当でないと考えた。投票には一定の限界があるからである。つまり投票は、参加の仕組みとしては優れているが、よりよいものを決定する仕組みとしては十分ではないからである。話し合って、知恵を出したほうが、結局、よいものが見つかっていく。
これは住民投票についても言える。これもだれもが参加できる仕組みではあるが(その点は優れているが)、思いを実現する方法としてはやはり不十分である。ハワイに行くか、近くの温泉にするのかの選択肢しかなく、数で負けると、近くの温泉にしぶしぶ行かざるを得ない(たいていの場合、お金がかかるからといって、近くの温泉に決まる)。ハワイを提案した思いは、この際、海外に思い切って飛び出てみよう、新しい発想で今後の行動を組み立てなおす機会にしようと考え提案したのであるが、その思いが伝わらない仕組みだからである。話し合えば、思いが伝わって、理解され、「じゃあグアム島にしよう」ということになるかもしれない。単なる二者択一の投票では、その思いを伝える場がなく、結局、不満を内在させ、自治や地域から、市民を遠ざけることになる。この制度は、知恵を出せるような、事前準備(十分な情報、議論の場など)に大いにエネルギーを使うべきであるが、実際には、当面の票の獲得にエネルギーを使ってしまう。本当に難しい。
シンボルマークのコンセプトといえども、知らない人が集まって、ひとつのことを決めていくのは容易ではないが、トライアンドエラーを重ねながら、私たちの自治力を日々鍛えていくのだろうと思う。
次回のワークショップは、19日の日曜日。ただ私は、学生たち23名を連れて、愛知県新城市の自治基本条例ワークショップにいくのでお休みとなる。新城市では、自治の基本について、このようなワークショップを取り入れながらやっている(大茶話会といっている)。まちづくりは、「よそもの・わかもの・ばかもの」の「3ばか」がないとできないとされるが(ここでも排除の論理はまちをだめにする)、その「よそもの・わかもの」として、わがサガジョ学生が、おおいに奮闘してこようと思う。
(2010.12.6)第6回
第5回を飛ばしてしまった。記憶が定かでないが、闊達な会議だった。第6回は、これまでの意見、そして行政が認識している現状と課題を意見集約した。内容的には、大意、そのとおりというものとなった。このメンバーのよいところは、表現方法はさまざまだが、一人で時間を占有することなく、全員が発言することである。偉くなると、また年をとると、発信力ばかりが強くなって、受信力や他者へ気が回らないということにもなりやすいが、そうしたことがない。市民活動の弱点は、腕組みをして、怖い顔をしているところであるが、そうしたところがないのがよい。
この会議で、私がこころしているのは、行政への質問の場としないことである。自分たちで議論するのに必要ならば、質問があってもよいが、要望的な質問は、また別途、時間をとって別の機会にやればよい。大事なのは、市民どうして、意見を出し合い、議論することである。そのために、事務局では、机の配置などの気を配ってくれていて、すっかり、円形の会議形式が定着した。だから、全員の顔が全員に見える。隣の人との間隔も狭いので、腕組みをして、ふんぞり返る余裕もない。
全体に、相模原市南区は、住みよいところである。住民の意識も高い。しかし、地域コミュニティという点では、逆にそれが弱点になってくるだろう。ひとりで住めると思ってしまうのである。早晩、それでは立ち行かないことが、顕在化するが、その先手を打って、信頼や連携をソーシャルキャピタル(社会の資本)とする地域社会づくりが、この区民会議の役割だろう。
(2010.11.14)第4回
区内の視察に参加した。ただ私は、午後からの授業のために、途中で失礼することになった。
新しい清掃工場を見せてもらった。横浜市で環境事業を担当していたので、清掃工場はたくさん見ているが、相模原の工場は最新式の炉(簡単に言えば蒸し焼き方式)で、興味深かった。
お昼を食べながら、区のシンボルマークの選定方法も検討した。やや大げさに感じるかもしれないが、私は、このマークづくりは、区民会議の方向性を決める、ある種の試金石だと考えている。
いくつかのやり方があるが、私たちの区は、つくる段階から区民が入るという方式を採用した。そうすることで、区民がまちの当事者になるチャンスができる。それが地域への愛着につながり、地域のために行動しようという人が生まれてくるきっかけになるからである。こうした新しい力が生まれてくるように、仕掛けをたくさん用意し、実践するのが、私たちの役割だと思う。
区では、どんな仕事でも、常に、こうした方向性を意識し、具体化していくほしい。その積み重ねのなかで、自治や民主主義が身にいてくるのだと思う。相手を非難し、上から目線で諭す「声高民主主義」で、自治や民主主義が私たちのものになる時代は終わったと思う。
(2101.10.19)第3回
にぎやかな区民会議となった。目標とした全員発言は達成。その分、2時間半の休みなしとなった。途中、自らでの判断でのトイレ休憩、用事で帰るもありである(これは私が座長になると一般的)。
意見はたくさん出て、また意見が分かれるところもあったが、それもよし。予定調和でやることが、もはや意味を失っている。対立する意見を出し合って、収斂することができればよいのである。実際には、民主主義を標榜する人が、その収斂ができないことも多いという皮肉もあるが、このメンバーならば、大丈夫だろう。大いに議論し、大胆にまとめていく、そんな運営をしたいと思う。
心配だったのは、終了時間。この日は、その足で福井までいかなければいけないからである。米原発のしらしぎにはたくさん乗ったが、ずいぶんと遅い時間まであったような気がする。
(2010.9.13)第2回目
第2回目の会議があった。テーマは、「相模原市南区の伸ばすところ、克服するところ」。要するに南区のよいところ(セールスポイント)と悪いところ(課題)をワークショップ方式で抽出しようということである。区民会議がワークショップ形式で行われることはあまりないと思うが、大事なのは形式ではないだろう。
会議のスタート時にワークショップでやろうと考えたのは、次の理由からである。
①人の意見を聴きあい、人とまじめに議論することが、区民の会議の基本であること。
従来の行政の説明を聞き、質問をする会議も否定するわけではないが、これでは相変わらず、行政主体、行政依存である。地域主権、市民の主体性と、言葉でいってみても、実践できなれば、単なるお題目である。市民が主体になるには、ほかの市民の意見を聴くとともに、自分として体系的な意見をいうことである。批判をするのはたやすいが、そんな会議では、だれも、まともに知恵を出す気にならないだろう。実際、まじめに議論する会議になったと思う。
②委員みんなが参加する。
従来のやり方をやっていると、会議中発言できるのは、一度か二度である。20名も委員がいると、一度も発言できずに帰る委員さんが出てしまう。これはもったいない話である。見込まれて委員になった人が、その力を出せなければ、宝の持ち腐れである。ただでさえ、難しい時代である。さまざまな主体の持てる力を引き出し、それをパワーに変えて、住みよい町を作り上げることが大事である。知恵を持っている人に、大いに知恵を出してもらおうと考えたためである。最後に、各班から発表してもらったが、実に皆さん上手。「ほら、やはり、力を持っている」とあらためて、確認できたと思う。
ワークショップは、どの班も盛り上がっていた。なによりも、メンバー間の親密さが急速に増したのは、何よりである。
写真は、相模大野駅からコリドー通りを望む
(2010.7.30)
相模原市が政令指定都市になり、区民会議がつくられた。私は、地元の相模女子大枠から委員となった(個人的には、委員はとてもやりきれないので、お断りしたが、外堀を埋められた)。いわば、サガジョ代表ということであるが、むろん、大学から選出されたわけではなく(話は通してあるが)、それで代表というのは、落ち着きが悪い。こうした、不思議な感覚は、多くの組織代表が感じているのだろう。
さて、会議で、議長(代表)を決めることになり、自治会代表の方を押す意見と私を押す意見が出た。多くの会議では、こうしたことは根回しがされているが、今回は、会議の中で、決めることになった。
私は、むろん、議長をやりたいわけではない。むしろ、基本的には、地域の人が中心となってやるべきだと考えている。手を上げて発言した人の大半は、ここはやはり自治会代表をということであったので、私も、ぜひ、地元の代表の方にがやってほしいと発言した(その
方が発言し、逆に私を押すというねじれ現象になった)。
結局、推薦人が相譲らず、出席者に手を上げてもらうことになった。結果は、私が多数ということになり、結局、議長を引き受けることになった。正直、困惑しているが、仕方がない。
このなかで、いくつか考えることができた。
まず、手を上げて発言をした人のうち、私を押す意見が少なかったが、結果は正反対になったこと。声に出した数が多くても、それが必ずしも、多数ではないということである。NHKの相撲中継について、声を出した人は、中止すべきであるとしたが、多くの人は放送してよいという意見であったという。消費税値上げ反対の声は大きいが、本音は、そうでもしないと、福祉や暮らしが持たないと思っている人は実際多いだろう。自治の現場でも、上がった声は全体なのか、少数なのかを見極めが難しい場面がたくさんある。場に流されずに、全体の流れを見極めることの大切さを改めて思ったが、実際難しい(できれば議長になりたくないという思いが判断を雲らせる)。さらにいうと、多数だからといって、正しいわけではいと言う別の問題もある。
次に、初対面の人が集まって、いきなり議長を決めるという設定自体が無理なのだろう。従来型のすべてお膳立てが済んでいる会議ならば、それもありうるが、今日では、そういう形式的な会議そのものが問われている。たとえば市民会議では、3ヶ月間は議長が決まらない。ただ3ヶ月も議論していると、この人ならと、衆目が一致する人が出てくる。自然に代表が決まるのである。そんな提案をしようかと思ったが、さらに混乱をきたすので、やめておいた。
ともかく、荷物をひとつ背負ったのは、間違いない。ならば、意味のある時間にするように、がんばろうと思う。
この後、小田原の会議が控えており、すぐに行かなければ行けなかったが、議長ということで、途中退場もできず、早速、微妙な影響があった(10分遅刻。こちらも座長で、みんなに待ってもらうことになった)
本文でも書きましたが、座長というのは、テーマごとに、適任の人がいるものです。最初は、とがった人が目立ちますが、3ヶ月くらい議論していると、角が取れてきて、この人ならと衆目が一致する人が出てきます(これは肩書きや役職経験とは必ずしも一致しません)。その間を無駄にしないやり方や、より短時間にみんなが納得する人が選ばれる技術を開発しようと試みていますが、まだまだですね。
ここ会議も、25人と多く、下手をすると、何も発言しないで帰る人が出てきます。もったいないことですね。メンバーの思いを引き出せる工夫も必要ですね。
区役所も、初めてのことで、戸惑い、かつ、成果を出そうとあせると思いますが、より暮らしやすいまちをつくるという目標を見据えて、どっしりとリードできるか、これは区民会議(というかメンバー一人ひとりの)力量が問われますね。
期待しております。
区に関しては、いろいろな会議があり、それぞれのテーマで議論されているのだろうけれど、その到達点等を体系的に知る仕組みが必要ですね。それが十分でないために、繰り返しの議論や誤解に基づく議論をしているような気がします。こうした無駄は、もったいないですね。
仲間がずーっと活動テーマとして質問し続けているのですが、理解できないのか理解したくないというのか・・・。
100人くらいの参加があり、行政マン(課長レベル)も4~5人来ていました。
講師は牛山久仁彦氏。NPO支援センターの運営審査員でもあるのですが、終わった後にちょっと飲む機会がありまして、お話ししたのですが、彼は相模原市在住で何かの座長をしていた(いる?)とか言っていました。
松下先生のことをお話ししたら「もちろんお名前は存じ上げていますが、お目にかかったことがないのですよ」と。