松下啓一 自治・政策・まちづくり

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☆自治基本条例のころ(新城市)

2017-05-14 | 1.研究活動
 新城市のMさんからうれしい便りがあった。

 前の記事で、「関東で大災害があったとき、新城のMさんが、食べるお米はあるので、いつでも来てください」と言ってくれたこと書いたが、それを読んだのだろうか、それとも、たまたまなのだろうか。

 縁あって、新城市の自治基本条例にかかわることになった。ブログの記録を調べてみると、最初は2009年4月である。おそらく2008年12月に愛知県主催の講演会が岡崎市であって、自治基本条例の話をした。その時、のちに市役所で自治基本条例の担当となった森さんが、当時、愛知県に出向していて、私の話を聞いたそうである。そのあたりが、新城市との縁のスタートなのだろうか。私のほうといえば、その当時、新城市のことをよく知っていた。特に議会の動きが良くて、注目していた自治体のひとつだった。

 その頃は、予定表を見ると、今よりもずっと忙しいかった。全国で、自治基本条例のブームが起こり、たくさんのご依頼があったがためであるが、とてもすべては対応できず、申し訳なかったが、半分以上はお断りした。新城市については、特段の義理もなかったが、面白そうな予感がして、お引き受けしたのだと思う。実際、その後の展開は、予想通りで、自治基本条例をじっくり作り、その体系の上に立って、若者政策を花開かせた。

 2009年4月に記録を見ると、終わった後、宴会があったようだ。これはどんな会だったかは、いまでは思いだせない。役所の人が開いてくれたのだろうか。夜は、桜淵の新城ホテルに泊まったことはよく覚えている。もう桜は、終わっていた。

 新城市で、穂積市長さんにお会いした時のことはよく覚えている。しばらく話していく中で、本格的だということがすぐ分かった。全国でたくさんの市長さんとお話をするからである。変な言い方であるが、なぜ、こんな小さな地方都市に?と思ったことを覚えている。

 市民会議のメンバーも多士多彩だった。しばらくしてであるが、のち市長選に出た山本さんや、リコール運動をやった白井さんも自治基本条例のメンバーになり、一緒に苦労した。同じ地平で、一緒に議論をし、知恵を絞り、新城市のことを考えたので、それぞれの強みや人となりは、よくわかった。今は、三者三様の道を進んでいるようであるが、それぞれの強みを活かし、弱みを補い合って、力をあわせたら、新城市にとって、どれだけプラスなのか。新城のために、協力し合えば、どんなに、良いまちになるのだろう、と思うが、しかし、そうはいかないのが人の常なのだろう。

 この当時の市民の人たちは、今でも、新城に出かけたときに、声をかけてくれる。言うだけではなく、奥三河らしい、はにかみながらも、地道に活動する人たちで、思い出すと、口元が緩んでくる(その当時、尾張でも仕事をしていたので、同じ愛知でも、尾張と三河はこんなに違うのかと感じたものだった)。

 うれしい便りをいただいたMさんは、広い意味の福祉の活動のNPOをやってこられた方で、それゆえ、芯を通したうえで、実践的で、責任感の強い人だった。一緒にシンポジュームにも出たりした。Mさんも、そして自治基本条例の検討会に参加した新城の人たちも、それぞれ立場は違ったろうし、私とも同じではないだろうが、違いを認めたうえで、それぞれが、いいまちを創ろうと、真剣に考え、議論しあい、それぞれの現場で実践した。Mさんからの便りは、そんなひと時を思い出すうれしい便りとなった。

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