毎朝のネット・サーフインはもう日課になっている。
やはり気になるのは政局であり、国際問題でもある。
ここでは浅学な知識で一人前のことは言えないが、鳩山元首相の「日本列島は日本人だけのものでない」などの発言を見ると一体あの半世紀前の戦争で自らを敵艦に体当たりして死んでいった若者は何を守ったのか?彼らの死は?と考えざるをえない。
今朝も下記の記事に接した。少々長いのでURLのみリンクしておく
論説委員・石川水穂 「領土教育」の充実が急務だ
2011.2.5 03:16
http://sankei.jp.msn.com/world/news/110205/chn11020503180000-n1.htm
上の記事にある「日露戦争と久松五勇士」は国民学校で習ったように思うが今は定かでない。
「愛国心は自然に芽生えるもので強制すべきものでない」は社会党等のうたい文句であり亡国の思想ともいえる。撒かぬタネに芽が出るわけがない。
これすら今の教師(もうリタイアされた方も含めて)には理解をしようとしない。
理解したくないのかも?
国旗、国歌を認めない義務教育の先生など私には信じられない存在だ。
韓国大統領の
「力なき正義は存在しない」これは、かの尖閣列島事件発生のときの日本政府の対応を指しての言葉だ。また
「戦争を恐れていては平和は成り立たない」
実に立派な言葉だ。
憲法9条が日本を守っているから現在の平和がある。だから憲法9条は絶対に守らないといけないという方も多い。実際に半世紀以上の日本の平和に貢献しているのは米国なのだがね。
だれもそれを言わないね。お一人いらっしゃいました。女性の方です。
自衛隊? 現在の憲法では何も出来ないね。
拉致問題などは完全に国権を侵されているのに日本国は未だに何もしないし、しようともしない。
「10人や20人のことで北朝鮮との国交回復が遅れてはならない」これは外務省高官の言葉である。何処か感覚がずれている。それが正しいと思っているから困る。
されど尖閣列島事件の時に不法に捕まった「フジタの社員」を9条が救助したか?むしろ悪化させただけである。
仙石も中国船長を釈放しても、まだ拘留されている「フジタの社員」の状態をみて
「中国は変わらないな~○○年遅れている」など意味不明のことを言っていた。
ここでは時事問題は扱わないと決めていたが偶には書いてみたくなった。
海外で活躍している多くの日本人のためにも日本政府は常に国民の頷ける決断を望むものである。
なにも戦争をしろとは言っていないが、その覚悟が必要と言っている。
覚悟とは国を守る手段として取りえるもっとも効果ある手段である。
そのためにもより実行効果ある憲法にするのが当然の成り行きと信じている。
「1945年樺太 氷雪の門」などは、もう30年以上も前に作成されたがロシアからの圧力でその公開放映はされなかった。
終戦以来なにかにつけ常に外国の圧力に屈しているのが今までの日本ではなかったか?
教科書さえ中国の圧力に屈して近代史は省いていると聞く。
1972年だったか?日中国交回復の声明の中にはお互いに「内政不干渉」の条項もあったが今は完全に無視?いや中国側からは完全に反故にされている。ドナタも異論を挟まない。
日本国政府と中華人民共和国政府の共同声明
反故はコウタクミンの「歴史認識論」以来からである。
今朝はいささか気分が高まった。
このあたりで・・・・。
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新日鉄・住金に合併を急がせた“金満インド人”の脅威
2011.2.5 00:07 (1/2ページ)
http://sankei.jp.msn.com/economy/news/110205/biz11020500100000-n1.htm
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
世界からは常に虎視眈々と日本は見られている。
日本の国も企業も心して対応して欲しい。なんだかむなしい気がする。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
南京大虐殺紀念館の建設要請 (田邊誠 元社会党幹部)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E4%BA%AC%E5%A4%A7%E8%99%90%E6%AE%BA%E7%B4%80%E5%BF%B5%E9%A4%A8
上から一部 抜粋 ↓
日本からの要請と寄付 [編集]
元日本社会党委員長であった田辺誠は1980年代に南京市を訪れ当館を建設するよう求めた。しかし当初、中国共産党は資金不足を理由に建設には消極的だった。そのことから同氏は総評から3000万円の建設資金が南京市に寄付し、その資金で同紀念館が建設された[4]。3000万円の資金のうち建設費は870万円で、余った資金は共産党関係者で分けたという。また記念館の設計は日本人が手がけた[5]。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
その効果の程が余りに顕著なために今は中国では何億も出して国内に次々と建設している。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E9%82%8A%E8%AA%A0
下記はその一部 抜粋 ↓
南京大虐殺紀念館の建設要請
浜田幸一によると田邊が1980年代に南京市を訪れた際に南京大虐殺紀念館を建設するよう求めたという。浜田はこの要請や総評から南京市への3000万円の寄付によって同紀念館が建設されたと語っている[3]。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
↑ このために現在 どれだけ日本国が困惑しているか?彼(田邊)に現在の心情を質したい。
や~ァ 随分と今朝はブ~垂れたな~ 我輩も、もうゆくべき時がきたのかも?
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外務省「チャナ・スクール」
↑ 槙田邦彦 の発言を見てください。彼には以前 北朝鮮へのスパイ容疑もかかっていた。現在はよく分からない。ついでに加藤紘一の発言もね!このサクランボの発言がどれほど日本に害をなしたかも?こんな議員が多すぎる。議員の数が多すぎる欠陥かも?
上から一部 抜粋 ↓
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「チャイナ・スクール」が問題視されるきっかけとなったのは、2001年年の春、森内閣末期に、台湾の李登輝前総統の来日が持ち上がった際、当時、アジア大洋州局長だった槙田邦彦が一外交官であるにもかかわらず、来日妨害を画策したことに産経新聞や読売新聞が問題視したことに端を発する。槙田は後に、拉致問題に対して「たった10人のことで国交正常化が止まっていいのか」との自らの発言が批判に拍車をかけることになる
・・・・・・・・・・・・・・・・
以下 加藤紘一の発言 ↓
官房長官である加藤紘一などを中心として、「世界中から批判を受けている中国に今日本が恩を売っておけば、中国は日本に感謝し、また中国が現状打開のために硬化・過激化することを防げる」という観点からODA凍結解除を決定した。しかし、結果的に靖国・歴史教科書問題をはじめとする歴史認識問題に見られるように、未だにそのような中国の穏健化は生じておらず、むしろ中国の態度を増長させる一因となったとも一部で批評されている。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
↑ 一例としては、ODA(政府開発援助)供与の問題があげられる。1989年6月の天安門事件が発生した際、欧米を中心とした世界中の国々は中国政府の行動を非難、経済制裁を発動した。宇野宗佑・海部俊樹政権下の日本もこれに倣い、対中ODAの大幅な凍結を行なっている。しかし、宮沢喜一内閣においては、官房長官である加藤紘一などを中心として、「世界中から批判を受けている中国に今日本が恩を売っておけば、中国は日本に感謝し、また中国が現状打開のために硬化・過激化することを防げる」という観点からODA凍結解除を決定した。しかし、結果的に靖国・歴史教科書問題をはじめとする歴史認識問題に見られるように、未だにそのような中国の穏健化は生じておらず、むしろ中国の態度を増長させる一因となったとも一部で批評されている。
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や・や・や・や チョウフク(重複)したな!
「このあたりで・・・・。」・・・からが長かったな~ァ~ァ
2月6日(日)追記 (メモ)
中国の歴史専門家「毛沢東は人殺し、共産党はチベット侵略」で物議
Y! 【社会ニュース】 2010/05/11(火) 13:43
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2010&d=0511&f=national_0511_025.shtml
北京市内の歴史教師を務め、関連著作やテレビ出演で知名度が高い袁騰飛氏がこのほど、インターネットの動画講座で、中華人民共和国の歴史を痛烈に批判した。毛沢東主席は「皇帝であり教主」で、「思うままに人を殺した」と主張。さらに、「中国共産党はチベットを武力侵略した」などと論じた。袁氏に対する、猛烈な反発が発生したが、擁護の声もあがった。
袁氏は、中国の歴史教科書が「デタラメだらけ」と主張。毛沢東主席については、文化大革命時代の青少年の熱狂と本人の満足ぶりを「皇帝はみんな、そうだった」と指摘。「毛沢東は皇帝になり教主になった。すべての独裁者の心理は不健全になり知力はなくなる。毎日のように、万歳と叫ばれるからだ。合理的判断はできなくなる」と論じた。
袁氏によると、毛沢東主席はヒトラー、スターリンと並ぶ20世紀の三大魔王。ただし、「ヒトラーは外国人を殺戮(さつりく)」、「スターリンは自国民を殺戮。ただし、法律的手段を用いた」点は異なり、「毛沢東は、殺したいと思っただけで、自国民を次々に殺した」という。
天安門広場にある人民英雄記念碑には毛沢東主席の字で「人民の英雄は永久に朽ちることがない(人民英雄們永垂不朽)」と書かれている。抗日戦争や国民党との内戦の犠牲者をたたええるものだが、袁氏はこの文句を「(中華人民共和国が成立した)1949年から1978年までの恐怖政治で犠牲になった人々のため」とすべきだと論じた。
また、チベットは、中華人民共和国が成立した後も独立していたと主張。ダライラマが1989年にノーベル平和賞を受賞したのは、中国共産党のチベットに対する武装侵略に抵抗しているからだとの見方を示した。
袁氏は、中国の近現代史における「タブー」にまで踏み込んだ。ただし、日本絡みの歴史観で、中国の公式見解と大きな違いはない。靖国神社に参拝する日本人に「病的なファシスト。極右分子」がいるとした上で、「私は靖国神社を見学したが、参拝はしなかった」と述べ、「あなたも、(毛沢東主席の遺体を安置している)毛沢東記念堂を見学するのはよいが、参拝はすべきでない」、「毛沢東記念堂は、靖国神社と同じだ」と主張した。
袁氏に対しては、多くの非難が寄せられた。インターネットには、同氏を裏切り者などと罵る(ののしる)書き込みが殺到。著作を売るためなどの、売名行為との批判もある。
一方で、文明論を専攻する作家・研究者の北野氏(姓が北、名が野。中国人)は「“でたらめ”であっても、発言の自由はみとめるべきだ。言論の自由には副作用がつきものだ。ただし、自分の考えによる発言を許し、(受け取った側が)自分の脳で判断することが、社会全体の知恵を高める最初のきっかけになる」などと擁護。単語を“ ”で囲うのは「本当は異なる」とのニュアンスなので、北野氏は袁氏の主張そのものにも、共感する部分があると考えられる。
袁氏の「問題の動画」は、削除されたもよう。袁氏は10日までに別の動画をインターネットで公開し「私は大丈夫。心配してくれてありがとう。もう、舌戦をおこなう気はない。法律が公正な裁決を下してくれるだろう」と述べた。
袁氏は黒板の前に立ち、両手を体の後ろに組むような姿勢だったため、「実際には当局に連行され、手錠をかけられているのだろう」と考える人もいる。(編集担当:如月隼人)
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やはり気になるのは政局であり、国際問題でもある。
ここでは浅学な知識で一人前のことは言えないが、鳩山元首相の「日本列島は日本人だけのものでない」などの発言を見ると一体あの半世紀前の戦争で自らを敵艦に体当たりして死んでいった若者は何を守ったのか?彼らの死は?と考えざるをえない。
今朝も下記の記事に接した。少々長いのでURLのみリンクしておく
論説委員・石川水穂 「領土教育」の充実が急務だ
2011.2.5 03:16
http://sankei.jp.msn.com/world/news/110205/chn11020503180000-n1.htm
上の記事にある「日露戦争と久松五勇士」は国民学校で習ったように思うが今は定かでない。
「愛国心は自然に芽生えるもので強制すべきものでない」は社会党等のうたい文句であり亡国の思想ともいえる。撒かぬタネに芽が出るわけがない。
これすら今の教師(もうリタイアされた方も含めて)には理解をしようとしない。
理解したくないのかも?
国旗、国歌を認めない義務教育の先生など私には信じられない存在だ。
韓国大統領の
「力なき正義は存在しない」これは、かの尖閣列島事件発生のときの日本政府の対応を指しての言葉だ。また
「戦争を恐れていては平和は成り立たない」
実に立派な言葉だ。
憲法9条が日本を守っているから現在の平和がある。だから憲法9条は絶対に守らないといけないという方も多い。実際に半世紀以上の日本の平和に貢献しているのは米国なのだがね。
だれもそれを言わないね。お一人いらっしゃいました。女性の方です。
自衛隊? 現在の憲法では何も出来ないね。
拉致問題などは完全に国権を侵されているのに日本国は未だに何もしないし、しようともしない。
「10人や20人のことで北朝鮮との国交回復が遅れてはならない」これは外務省高官の言葉である。何処か感覚がずれている。それが正しいと思っているから困る。
されど尖閣列島事件の時に不法に捕まった「フジタの社員」を9条が救助したか?むしろ悪化させただけである。
仙石も中国船長を釈放しても、まだ拘留されている「フジタの社員」の状態をみて
「中国は変わらないな~○○年遅れている」など意味不明のことを言っていた。
ここでは時事問題は扱わないと決めていたが偶には書いてみたくなった。
海外で活躍している多くの日本人のためにも日本政府は常に国民の頷ける決断を望むものである。
なにも戦争をしろとは言っていないが、その覚悟が必要と言っている。
覚悟とは国を守る手段として取りえるもっとも効果ある手段である。
そのためにもより実行効果ある憲法にするのが当然の成り行きと信じている。
「1945年樺太 氷雪の門」などは、もう30年以上も前に作成されたがロシアからの圧力でその公開放映はされなかった。
終戦以来なにかにつけ常に外国の圧力に屈しているのが今までの日本ではなかったか?
教科書さえ中国の圧力に屈して近代史は省いていると聞く。
1972年だったか?日中国交回復の声明の中にはお互いに「内政不干渉」の条項もあったが今は完全に無視?いや中国側からは完全に反故にされている。ドナタも異論を挟まない。
日本国政府と中華人民共和国政府の共同声明
反故はコウタクミンの「歴史認識論」以来からである。
今朝はいささか気分が高まった。
このあたりで・・・・。
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新日鉄・住金に合併を急がせた“金満インド人”の脅威
2011.2.5 00:07 (1/2ページ)
http://sankei.jp.msn.com/economy/news/110205/biz11020500100000-n1.htm
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世界からは常に虎視眈々と日本は見られている。
日本の国も企業も心して対応して欲しい。なんだかむなしい気がする。
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南京大虐殺紀念館の建設要請 (田邊誠 元社会党幹部)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E4%BA%AC%E5%A4%A7%E8%99%90%E6%AE%BA%E7%B4%80%E5%BF%B5%E9%A4%A8
上から一部 抜粋 ↓
日本からの要請と寄付 [編集]
元日本社会党委員長であった田辺誠は1980年代に南京市を訪れ当館を建設するよう求めた。しかし当初、中国共産党は資金不足を理由に建設には消極的だった。そのことから同氏は総評から3000万円の建設資金が南京市に寄付し、その資金で同紀念館が建設された[4]。3000万円の資金のうち建設費は870万円で、余った資金は共産党関係者で分けたという。また記念館の設計は日本人が手がけた[5]。
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その効果の程が余りに顕著なために今は中国では何億も出して国内に次々と建設している。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E9%82%8A%E8%AA%A0
下記はその一部 抜粋 ↓
南京大虐殺紀念館の建設要請
浜田幸一によると田邊が1980年代に南京市を訪れた際に南京大虐殺紀念館を建設するよう求めたという。浜田はこの要請や総評から南京市への3000万円の寄付によって同紀念館が建設されたと語っている[3]。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
↑ このために現在 どれだけ日本国が困惑しているか?彼(田邊)に現在の心情を質したい。
や~ァ 随分と今朝はブ~垂れたな~ 我輩も、もうゆくべき時がきたのかも?
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外務省「チャナ・スクール」
↑ 槙田邦彦 の発言を見てください。彼には以前 北朝鮮へのスパイ容疑もかかっていた。現在はよく分からない。ついでに加藤紘一の発言もね!このサクランボの発言がどれほど日本に害をなしたかも?こんな議員が多すぎる。議員の数が多すぎる欠陥かも?
上から一部 抜粋 ↓
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「チャイナ・スクール」が問題視されるきっかけとなったのは、2001年年の春、森内閣末期に、台湾の李登輝前総統の来日が持ち上がった際、当時、アジア大洋州局長だった槙田邦彦が一外交官であるにもかかわらず、来日妨害を画策したことに産経新聞や読売新聞が問題視したことに端を発する。槙田は後に、拉致問題に対して「たった10人のことで国交正常化が止まっていいのか」との自らの発言が批判に拍車をかけることになる
・・・・・・・・・・・・・・・・
以下 加藤紘一の発言 ↓
官房長官である加藤紘一などを中心として、「世界中から批判を受けている中国に今日本が恩を売っておけば、中国は日本に感謝し、また中国が現状打開のために硬化・過激化することを防げる」という観点からODA凍結解除を決定した。しかし、結果的に靖国・歴史教科書問題をはじめとする歴史認識問題に見られるように、未だにそのような中国の穏健化は生じておらず、むしろ中国の態度を増長させる一因となったとも一部で批評されている。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
↑ 一例としては、ODA(政府開発援助)供与の問題があげられる。1989年6月の天安門事件が発生した際、欧米を中心とした世界中の国々は中国政府の行動を非難、経済制裁を発動した。宇野宗佑・海部俊樹政権下の日本もこれに倣い、対中ODAの大幅な凍結を行なっている。しかし、宮沢喜一内閣においては、官房長官である加藤紘一などを中心として、「世界中から批判を受けている中国に今日本が恩を売っておけば、中国は日本に感謝し、また中国が現状打開のために硬化・過激化することを防げる」という観点からODA凍結解除を決定した。しかし、結果的に靖国・歴史教科書問題をはじめとする歴史認識問題に見られるように、未だにそのような中国の穏健化は生じておらず、むしろ中国の態度を増長させる一因となったとも一部で批評されている。
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や・や・や・や チョウフク(重複)したな!
「このあたりで・・・・。」・・・からが長かったな~ァ~ァ
2月6日(日)追記 (メモ)
中国の歴史専門家「毛沢東は人殺し、共産党はチベット侵略」で物議
Y! 【社会ニュース】 2010/05/11(火) 13:43
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2010&d=0511&f=national_0511_025.shtml
北京市内の歴史教師を務め、関連著作やテレビ出演で知名度が高い袁騰飛氏がこのほど、インターネットの動画講座で、中華人民共和国の歴史を痛烈に批判した。毛沢東主席は「皇帝であり教主」で、「思うままに人を殺した」と主張。さらに、「中国共産党はチベットを武力侵略した」などと論じた。袁氏に対する、猛烈な反発が発生したが、擁護の声もあがった。
袁氏は、中国の歴史教科書が「デタラメだらけ」と主張。毛沢東主席については、文化大革命時代の青少年の熱狂と本人の満足ぶりを「皇帝はみんな、そうだった」と指摘。「毛沢東は皇帝になり教主になった。すべての独裁者の心理は不健全になり知力はなくなる。毎日のように、万歳と叫ばれるからだ。合理的判断はできなくなる」と論じた。
袁氏によると、毛沢東主席はヒトラー、スターリンと並ぶ20世紀の三大魔王。ただし、「ヒトラーは外国人を殺戮(さつりく)」、「スターリンは自国民を殺戮。ただし、法律的手段を用いた」点は異なり、「毛沢東は、殺したいと思っただけで、自国民を次々に殺した」という。
天安門広場にある人民英雄記念碑には毛沢東主席の字で「人民の英雄は永久に朽ちることがない(人民英雄們永垂不朽)」と書かれている。抗日戦争や国民党との内戦の犠牲者をたたええるものだが、袁氏はこの文句を「(中華人民共和国が成立した)1949年から1978年までの恐怖政治で犠牲になった人々のため」とすべきだと論じた。
また、チベットは、中華人民共和国が成立した後も独立していたと主張。ダライラマが1989年にノーベル平和賞を受賞したのは、中国共産党のチベットに対する武装侵略に抵抗しているからだとの見方を示した。
袁氏は、中国の近現代史における「タブー」にまで踏み込んだ。ただし、日本絡みの歴史観で、中国の公式見解と大きな違いはない。靖国神社に参拝する日本人に「病的なファシスト。極右分子」がいるとした上で、「私は靖国神社を見学したが、参拝はしなかった」と述べ、「あなたも、(毛沢東主席の遺体を安置している)毛沢東記念堂を見学するのはよいが、参拝はすべきでない」、「毛沢東記念堂は、靖国神社と同じだ」と主張した。
袁氏に対しては、多くの非難が寄せられた。インターネットには、同氏を裏切り者などと罵る(ののしる)書き込みが殺到。著作を売るためなどの、売名行為との批判もある。
一方で、文明論を専攻する作家・研究者の北野氏(姓が北、名が野。中国人)は「“でたらめ”であっても、発言の自由はみとめるべきだ。言論の自由には副作用がつきものだ。ただし、自分の考えによる発言を許し、(受け取った側が)自分の脳で判断することが、社会全体の知恵を高める最初のきっかけになる」などと擁護。単語を“ ”で囲うのは「本当は異なる」とのニュアンスなので、北野氏は袁氏の主張そのものにも、共感する部分があると考えられる。
袁氏の「問題の動画」は、削除されたもよう。袁氏は10日までに別の動画をインターネットで公開し「私は大丈夫。心配してくれてありがとう。もう、舌戦をおこなう気はない。法律が公正な裁決を下してくれるだろう」と述べた。
袁氏は黒板の前に立ち、両手を体の後ろに組むような姿勢だったため、「実際には当局に連行され、手錠をかけられているのだろう」と考える人もいる。(編集担当:如月隼人)
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