薬は毎日 朝・昼・晩 と飲んでいるが、その都度 ぬるま湯で薬を飲んでいるが、いつもの癖でコップの底に二割くらいの水が残している。何のためでもない私の癖である。
薬を飲むお湯はまず空のコップ(茶碗)に熱いお湯を適当な量を入れ、後の温度調整は水を持って適温にしてそのお湯で薬をのむ。
これが普通の方の飲み方である。
問題はそこにあるのだが?全部飲み干してしまえば問題は起こらない。
「逆さ水」は忌み言葉であるが、現代では日常では使われない。
また気にされる方も少ないと思う。・・・・でも気になる私は気になるのだ。
毎度 薬を飲む時にこの残り水のあるコップに、そのままお湯を足して適温にして、そのまま、つい薬を飲むのだ。
時に アッと「逆さ水」だと気が付いてコップの残り水を別の大コップ(椀)?に移してからカラのコップにして、それから、先ず熱いお湯を適当に入れて後は水をポットからコップに注ぎお湯の温度を適温にして、その ぬるま湯で薬を飲む。
この所作をつい忘れてしまう。もう米寿を過ぎれば、このような故事・忌み行動に気を回さなくてもよいと思うのだが、それが益々気になるから不思議だ。
デイ・ケアーでもお茶の継ぎ足しが、毎度のようにされているが、「逆さ水」を気にする者としては、あまり気持ちのよいものではない。できるだけ継ぎ足しはしないように頼んではいるが忙しいスタッフの立場からは無理は言えない。
何故そう頼むのかは尋ねられたことはないが、尋ねられれば返答に困るがね。なにせ冥途に近い方の集まりですからね。
「継ぎ足したお茶は不味い」とは言っていますがね。
茶碗の残り茶に継ぎ注がれたお茶は大体 飲まないようにして自分で、さりげなく洗面所の流しに流す。
そして自分でポットから空の茶碗に熱いポットのお湯を入れるようにしている心算である。
この気難しい私の行動に気が付かれたスタッフの方は少ないと思う。
自分だけが会そう思っているだけかもね?
スタッフの方は見て見ぬふりをされているのかも?
そのくらい忍者スタイルで自分はやっている心算である。
こんなことを気にしているから長生きをしてるのかな?とも思うこともあるが、迷信は迷信であるのでは?
健康はやはり、食事と運動の結果だろうね。ただカミさんは実に健康に気を付けていたが、なぜか癌で5年前に逝ってしまった。
おかげで今は私一人で慣れぬ日常生活に悪戦苦闘している。
幸いなことに二人の娘の支援・介護を受けている所為か、先ず先ず何事もなく生きてはいるが二人にとっては迷惑・至極だろうと思う。
さりとて自裁の勇気?もなく生きている、まことに私の存在は御し難い存在だと推察している。
「苟生」と言う言葉があるが、まさに私の生きている姿ではないだろうか?しみじみと、そのような感じを感じる時がある。
これも秋の所為か?
そう、ならない為になんとか次の目標は立ててゆきたいと思う昨今である。
迷信が迷信で済めばよいが、そうではないかと思われる現実を、これまで再々見ているから怖い。
その一つに子供のころ、祖母から「櫛はどんなに綺麗でも拾うな」と言われたことがった。
ある時にとても美しい櫛を道端で見つけたが、ちらりと見ただけで通り過ぎた。
暫く経ったある日のこと、近くにある鉄道で飛びこみがあった!と叫ぶ声がして、急いで土手の線路にあがると、まだ人影は少なかったが轢死された女性の頭になんとあの櫛が刺してあった。
自分が見た櫛に非常によく似ていた、同じものか?どうかは分からないが?
子供心に強いショックを受けたことは否めない。
櫛を見て急いで、その場を逃れたことは言うまでもないし、祖母にも誰にも、このとは言わなかった。
他にも、私にとって理解し難い不思議なことは私の周りで沢山あった。
祖母や祖父から聞かされた忌ごとの言葉は沢山あった。
もう忘れたことも多いし、忘れたおかげで気にすることが少なくなったのでは・・・・。
夏は過ぎたというのに今更 怪談でもあるまいしね~ェ~。
人は当たり前の様に、不幸が降りかからぬように、避ける行動をとります。階段はどちらの足から?夜中にナニナニ~などたくさんあります。
私は高貴な出なので、全く無頓着です(笑)曹洞宗なのでボンさん〈ホウジョサン〉と親父の通夜で酒を飲みました。これも供養です.禅宗系はおおらかですね~
私は薬を朝晩2回飲みますが、水やお湯は使いません。2種、あるいは5種の薬を皆口に入れ、飲み込みます、むせることはありません。飲んだ後はビールないし、焼酎の氷水割、そのうちお湯割り?寒くなって来たので。
確かにお茶は継ぎ足しはまずいですね。私は一番おいしい一煎目を飲み。後は2、3煎目は運動用にもっていきます。何も汗を流してから、良きお手前で~など風流なことは言いません(笑) 稽古中はただ飲めればいいのです。昔は稽古中に水飲むな!!の時代で、隠れて少しは飲んでいましたが(笑)
くしは拾うな、女性の魂が宿る!は良く聞きましたが、骨董の世界では櫛コレクターもいます。その人が(たたり)で死ぬことはないとは思いますが、私でも立派な輪島塗の櫛をもらう気にはなりませんね~
但し、血のりでさびた日本刀ならもらいます。いい刀かどうかは解るので錆の深さを調べ、研げば助かるいい刀なら、研いで助けます、ほっとくと錆が喰い込み助かりません。
と言う訳でワタクシはほゞ忌みはないと自覚しています( ´∀` ) 楽しく生きなきゃ損損。
草々 底のない楽天家拝
信長を思い出しましたよ。
> くしは拾うな、女性の魂が宿る<
これに関することは実によく聞かされましたね。今の世は櫛などさしている女性は京都でも行かないとみられないですね。
>研げば助かるいい刀なら、研いで助けます、<
これは研ぐ前に清められますのでよいことだと思います。祖父は数本の日本刀を持っていてよく京都の研ぎ師さんのところに送っていました。
刀が帰った時など私など傍に寄せてくれなかったですね。収める時が見たかったのですが見せてくれなかったです。あの刀・・・今はどこにあるのでしょうね?
私は外孫なので多分、直系の長男が持っているのではと思っていますが・・・。
祖父は刀についての話は私には皆無でした。内・外の差?仕方ないですね。
>ワタクシはほゞ忌みはないと自覚しています<
忌みの有無はその方の自信・自覚によるところが大だと思っています。我が家の娘などてんで問題にしてないですね。亡き家内が忌みなど全く気にしていなかったので、そのようになったのでしょうね。
私自身は ”これは!” ということは気にしますし、避けています。娘に「これは迷信ながら気を付けたほうがいいよ」と言っても受け付けないようですね。それも娘自身の人生です。
”信心篤くして極楽 通り過ぎ” 江戸川柳?になるのもですね。ほどほどがよいようで・・・。
>楽しく生きなきゃ損損。<
例えがよくないですが、「心中より饅頭」と言います。楽しく生きることも知恵がいります。
”米寿で気が付くバカもいる” その一人がここにいます。 osamu 拝
追伸 お隣さんは、いよいよ トラに引かれて地獄参り? youtube は派手に書き始めました。
おら~ァ しらね~ぞ! まただ
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