還り見れば酔生夢死か?

80歳代の聾人でネットの話題を書いています。足が悪いので家で得ることが出来るネット情報と私自身の唯我独尊の偏向文です。

老い様(ザマ)?

2007-12-10 07:01:50 | 日常生活
歳をとり自分が老いて来て改めてわが身に感じることが多い。

我輩の思い出にあるイロイロな老い様(ザマ)が脳裏を掠(カス)める。

気が弱くなる方、更に無理を強いる方、その有様は、十人十色である。

そのような姿を見る度にに、やがて我輩も、そのような姿を他の方に見せるようになるのかな?と?不安を感じた。

同じ感じ方も50台の時、60台の時、70台の現在では随分と異なる。

その① もう30年も前になりますか? 会社である日、同僚の方から

「○○さんから泣いて訴えられ困った・・・・」と親しさからか我輩のデスクの側に来られ、愚痴は決して零されない庶務課長が珍しく話しかけられた。

「どうしたんだい?」

「実はね~○○さんが退職の勧告を受けたらしい・・・」

「ああ、あの 翻訳者の方?」

「そう・・・」

「もう65なんだ・・・今のわが社では仕方ないと思うのだが?判って貰えない・・」

ほとほと困った態(テイ)である。

相手の方にも何か事情があるらしい?

その為か一刀両断にはできないようだ。

「でも、わが社の定年は55歳だよ、もう10年も延長しているのでは?」
「う~ん・・・そうなんだがな~ァ・・・」

「何しろ本人は定年延長の時に70歳まで働かして貰う約束だった。と言って聞かないのだ・・・」

「なに!70歳?・・・」聞いて我輩も驚いた。

「そこで、約束したという上司に電話で聞くと、そのような約束を俺が出来るか!」と怒っていたのでね~其れを言うわけにも行かないし・・・」ほんとに思案投げ首のようすであった。

「なんとか説得できたの?」

「う~ん 今では其れしかないだろう・・・」

庶務課長も我輩に喋ると少しは重い気分も去ったのか静かに部屋を出て行った。

少し気になるので○○さんの居る部屋に何気ない装いで行ってみた。

○○さんは机に書物を広げたまま外を見ていた。なんとなく空(ウツ)ろな感じである。

その部屋にいる友人のそばに行き少し話をして部屋をでた。

その月の終わりの日に○○さんは退職した。退職後のことは何故か不明だった。

その② 

我輩が仕事をして居ると突然 誰か我輩の机の前に どかッ!と座られた方がいた。

顔を上げてみると過っての我輩の上司である。

「コンニチは・・・お元気そうですね。今日はなにごとですか?」ややしかめっ面をしたその方は平然として

「××の工事のことで来たのだが予算は幾らだい?」単刀直入で、これまた唐突な問いかけでもある、また失礼極まる。

昔はこの方の部下だったのだが、このような事を平気で聞かれる我輩の当時は如何に間の抜けた社員であったかの証明でもある。

そう言えばこの方の我輩に対するボーナスの査定は最悪だったな~と詰まらぬことを思い出す。

部屋では皆 聞き耳をそばたてている。

「○長 コーヒーでも飲みに行きませんか?」と在社中の役職名で言うと

「そうだな、行くか・・・」

一緒に外に出て近くのコーヒー店に行く。

よも山話をしながらコーヒーを飲み現在の様子を聞く。

「お仕事のほうはいかがですか?」

「結構忙しいのだよ」

「それはいいですね」

「ところで先ほどのことはどうなんだ?」

「ああ、××工事はまだ受注が決定していません」

「まだ決まっていない?」

「おかしいな?」

「営業からは、工期のない忙しい仕事だから準備をして置くようにと言われては居ますが引き継はしていません」

「おかしいな?今 営業に行って確かめたんだがな~」しきりに顔を傾げておられた。

我輩は黙ってコーヒーを口につける。

「そうか?未だか?」そういって後は暫く雑談をして帰られた。

過っての、このやり手の上司も、もう過去の方になられたのかな?と感じたものだ。

仕事は既に決まっていて今や、てんてこ舞いが我輩の部屋の現状であった。

仕事は各自ソレゾレ5~6工事を分担してやっているが、部屋の内情を知れば直ぐに判るのだが?或いはそれも知った上で我輩に聞いているのかな?試されているのかな?

まァ いいか?

その後イロイロとあって我輩は若しも退社した場合には決して、もう、二度と再び、この会社の現業には顔を出さないことを心に決したものだ。

その③

 卓上の電話が鳴る。受話器を取ると

「君か?俺だ!」声は近頃 定年退職されたAさんである。

「失礼ですが、どなたでしょうか?」


「俺だよ!」
「ああ、Aさんですか?おひさぶりです。お元気ですか?」

「今度、○○会社に入社してね~ェ。ことによると、あんたのところでお世話になるかも知れん?よろしく頼むよ」

なんだか、わからぬが頭からのわけの判らない依頼である。

Aさんは、まだ、わが社に在社中の感覚である。ここは

「ああ 判りました」と、これまた常識的に答えておく。

数日後 Aさんが私のところに来た

「何かいい仕事はないかね?」これまた、いきなりで驚く。

他に何か言うことはないのかね~?と思うが知らぬ顔で

「仕事は山ほど有りますが今の私の立場ではどうにも成りませんよ」と言う、実際にそれが我輩の立場であり現状だ。

「誰か紹介を頼むよ!」

「ナニの?」我輩は彼が一部上場会社に再就職したのは聞いていたが、その会社の業種は知らないし、また彼がどの部署に居るのかも知らない。

彼は徐(オモムロ)にカバンからご自分の名詞とカタログらしきものを出し

「○○工事だよ」

「ほう ○○工事ですか?今までの専門とは180度違う職種ですね~ェ。よく決断をされましたね~」これは驚いた。

以前 読んだ本に「近江」の大商人の息子が小学校を卒業して修業のために自分の家の商品の行商を言い付かった。

商品を天稟(テンピン)に担いで、売り歩くのだ。コレくらいなら、お昼までに軽く済ませると彼は思った。

早速、自分の家の取引先の家に行き販売しようとすると、その家の方から

「坊ちゃん、うちで買うことは出来ますが、それでは大旦那さんに申し訳ないので買いません。坊ちゃんの知らない所で知らない方に売って下さい」と断られた。

その後 彼は終日、天稟を担いで知らない町を歩きまわり売り歩いた、足を棒にしたにも関わらずが、売り上げはゼロに近い。 

子供ながら商売に対する自分の考えの甘さに気づかされる場面があった。これは商売の真髄だと思う。

その③ 

この話は少し毛色が変わったことで、ある日、趣味の会に行くと会の女性の方が3~4人集まりボソボソと話をしている。何事かと聞くと

「○○さん昇進試験が受けられないんだって・・・・」

「どうして?」

なんでも先生から「あんたはまだ早い」と試験の申し込みが出来なかったらしいのよ~。

「それで・・・」

「○○さん可哀想に悔し涙を流していたわよ」我輩はそれを聞くや、さぞかし悔しかったことと思った。

○○さんは人柄のいい好々爺である。我輩と所属が違うがなんとかしてあげたい。

「若し、来年も、そのようだったら私に言ってよ!申し込みに資格、レベルはないよ。私が手続きの手配はするよ。そう○○さんに言ってくれない?・・・」

「判ったよ、あんたは顔が広いから大丈夫だよね」別に顔が広い狭いの問題ではないが・・・。

翌年、無事に彼は試験を受けた。そして受かり待望の「資格」をとった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

我輩が定年の数年前から会社に何かしら異質なものを感じ始めた、もう辞めたいな~と感じたことが多々あった。

肌に感じる社風が変わってきたのだ。

会社の○○会議に出ても、頷けない信じられない事柄が責任者の口から出る。曰く

「キミ~ィ!地元の業者を使いたまえ!今度 こちらで仕事をする時はアンタのところを全面的に使うよと言って叩けるだけ叩け!」

「然し、そのようなことをすれば、その会社は潰れますよ・・」悲鳴に近い所長の声である。

「今のところ次の仕事の見込みはないので、そのような・・・」と現場所長は口ごもる。

「ナニを言っているのだ。そのくらいのことも出来ないのか!」と叱咤している工事部長。

「地元の業者が潰れようが、潰れまいが、わが社の知ったことではない!」既に現場を離れ現業には口出しは出来ない我輩は、その席から退席したかった。

世代が変わり時代の変化が身に沁みた。

我輩が知る会社は、このような会社ではなかった。何時の間に、このような利益先行で血も涙もない会社になったのかな?と会議の後に言い知れぬ寂寥感を味合った。

家に帰りカミさんに

「おい もう会社勤めは嫌になったよ!」と言うとカミさんは、いとも簡単に

「そう 辞めたければ辞めれば・・・」と、あっさりと言う。

数日後、定年には未だ2年残して退職願いを提出して社を去った。

浜の中華街でささやかな退職の宴会があった。

昔の我輩の仲間が千葉の山奥から、丹沢の麓からと、駆けつけてくれ、ただただ、頭を下げるのみだった。

退職後 会社には一度も行っていない。もう20年近く経つ・・・。

会社のOB会があり当初は、よく参加したが最近はもう歳なので欠席が多い。

そのOB会に出た時にある先輩がふと我輩に

「君 歳はな~ァ 上品に取りたいものだな~」と何気なく呟いた。

土建屋とも思えぬ言葉であったが、この方が?と驚かされた。

この人に一体ナニがあったのだろう?何故我輩に言ったのだろう?今も謎である。

その方は数年前に亡くなられている。

我輩の会社での友人の「悪3人組み」も一人は数年前から音信普通で、もう一人は一昨年脳梗塞で逝き、今は我輩一人となった。

毎年、三人組で桜の季節に上野美術館に行き「書」や「絵」の展示物を見た後に満開の桜の花の下で持参の酒とつまみで誰は憚ることなく大声をあげ「書」や「絵」の話に興じたことが懐かしい。

クマちゃんこと書道の大家 喜熊さん。トッチャン坊屋こと洋画が得意な別名バタやん。

かく言う我輩は口先男で何も出来ぬ○○さんで三人寄ってアホばかり喋っていた。

と、今回は老いぼれのタワゴトとなった。





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