子供の自転車は私の車の前部に三分の一くらい食い込んでいて子供は私の車の前方の直ぐ前に頭を先に足を車のほうにして横倒れになっていた。
私は直ぐに車から飛び出し思わず
「大丈夫か?」と問いかけていたように覚えていますが?
子供は私を見ているだけで何も言いません。
直ぐに
「名前は?」と聞くと、なんだか、ことの起こりが理解できていないようで目を瞬かせていて返事をしません。
「君、ハイと言ってみて・・・」
「ハイ・・・」子供はちゃんと返事をしたのです。
ほッ とした。
意識はある。
それに眼も見えている。
「動けるか?」
「ハイ・・・」そう言って子供は起き上がろうとした。私は
「そのまま・・そのまま・・」
「ちょっと頭を触らせて?」と頭の両方の耳の周りや、そ~と頭を少し上げて後頭部に触れてみた。
別に出血も、瘤も無い。
意識もシッカリしている。
足の膝を少し持ち上げてみる。
痛がる様子はない。
倒れている場所が道路の真ん中付近で、このままでは危険だ。
子供に
「歩道の安全な場所に移すから身体の力を抜いて、そのまま静かにしていて頂戴ね」
と言って子供を静かに、そのままの姿勢を出来るだけ保った常態で歩道に移し、私の防寒着を子供に覆った。
そして私は周囲の方に
「何方か救急車の手配をお願いします」と大声で私は叫んでいた。
「もう直ぐに救急車が来るから、安心して待っていようね」
「学校は?」
「何年生なの?」
「お母さんは?」
「誰かに知らせたいのだが?」と次々に問いかけた。
子供は自分の名前を言い、
「1年生・・・」とも答えた。
そう話しかけながら救急車を待った。
周りは大勢の野次馬が取り囲み私と歩道に寝かせた子供を覗きこんでいた。
救急車が到着したのは事故から20分近く経っていたのでは?
何時の間にか交通警察官の事故処理車が来ていた。
そちらを見ると一人の身なりのよい背広姿の方が警官に何か説明をして居られるように感じた。
近所の方も警官に盛んに説明をされていたようだ。
子供の側にいる私には全く分からない。
野次馬の中に、この子は、何処其処のだれだれだ。
「お母さんは何処何処で働いているよ」と言う声がしたが、直ぐに誰かに呼ばれたらしく側から去った。
やっとのことで救急車が来て救急車に乗せるが救急車が中々動かない。
私は気が気でなかったが、後で聞くと受け入れ先の病院を探していたそうだ。
救急車が到着して約20分近く経ってやっとサイレンと、ともに救急車は去った。
私は虚脱したように見送ったようだ。
その後、事故係りの警察官から私の車のスリップ跡を一緒に見て簡単なことを聞かれ説明を受けた。
スリップ跡は子供を避けるように道路中心に向け斜めに2mちょっと付いていた。
「明日、9時に本署の交通課に来て下さい」
「何方をお尋ねすればいいのですか?」
「私のところに来てください」と名詞を戴く。
その後、急いで病院に行こうと、するも病院が分からない。
側の交番に行き巡査さんに聞くと
「○○病院です」と直ぐに教えて頂いた。
病院でお母さんに会う。
お母さんの話では既にMRA(?)検査も済み今のところ異常は見られない。
と言うことで先ずは一安心するも、今後が心配だ。
そのまま其処にいると、
「あとは私が見ますのでどうぞ・・・・」と言外に帰られても、いいですといわれているように感じたので、私は静かに病院を去った。
翌日、交通課に行くと昨日の警察官がおられ 暫く待った後で、その方の机の前に座ると、逐一昨日の事故の様子を再現するかのように述べられる。
私はただ
「その通りです」を繰り返すような感じだった。
そのたびに担当官はペンを走らせて記述されて、
「これで間違いありませんか?」と調書を見せられ、
「此処に署名捺印してください」で終わりだった。
そして、
「目撃証言者は学校の教頭先生で名前は○○さんという方だ」とつぶやくように言われた。
私にはよく聞こえなく
「お名前をもう一度お願いします」と言うと、再び、つぶやくように机の下を向いて
「○○さんだ」といわれ私には依然としてはっきり分からない。
これも個人情報の侵害になるのか?はっきりといわれない。
今、思うと多分担当官の好意で言われたのだと想像している。
ことによると、これは取り調べの違反事項に抵触する事項かも知れない?
法律は素人ですので分かりませんが?
それ以上は聞き直せなく諦めた。
このことは今でも、どうして一番大事なことを確認しなかったのかが心に残っている。
ただ
「怪我をされた、お子さんのお家には出来るだけ早く行ったほうがいいよ」と、これは、はっきりと分かるようにアドバイスを受けた。
そして
「シッカリとされた証言者が多くてよかった。それに直ぐに子供の救助に当たっていたのも良かったですよ」
「最近は人身事故を起こすと殆どの奴がそのまま逃げる」と怒りを露わにされたのが印象に残った。
警察署を出ても気が重かった。
あの子は大丈夫だろうか?カミさんの車に乗せてもらい帰宅するも、このことが一番気になっていた。
事故は決して起こしてはならない。
そのように、日常から車の運転は前後、左右に気をつけてスピードは控えめにしてきたのだ。
私の車の事故暦は車同士のすれ違い時に相手の車のドアを擦ったことが一度と、
あとは車庫入れの時に自分の運転ミスにより車に傷を付けたくらいだ。
免許証に記載される事故はない。
私の運転暦は40年になる。
その間、違反は駐車違反が数回あるが・・・。
それでも、今は車での遠出はしない。
片道30分以内の場所だ。
あの事故から、もう6年経っている。
時の経つのは早い!
事故関係の記事は、これでお終いとする。
車の運転は、より気をつけなければと
私は直ぐに車から飛び出し思わず
「大丈夫か?」と問いかけていたように覚えていますが?
子供は私を見ているだけで何も言いません。
直ぐに
「名前は?」と聞くと、なんだか、ことの起こりが理解できていないようで目を瞬かせていて返事をしません。
「君、ハイと言ってみて・・・」
「ハイ・・・」子供はちゃんと返事をしたのです。
ほッ とした。
意識はある。
それに眼も見えている。
「動けるか?」
「ハイ・・・」そう言って子供は起き上がろうとした。私は
「そのまま・・そのまま・・」
「ちょっと頭を触らせて?」と頭の両方の耳の周りや、そ~と頭を少し上げて後頭部に触れてみた。
別に出血も、瘤も無い。
意識もシッカリしている。
足の膝を少し持ち上げてみる。
痛がる様子はない。
倒れている場所が道路の真ん中付近で、このままでは危険だ。
子供に
「歩道の安全な場所に移すから身体の力を抜いて、そのまま静かにしていて頂戴ね」
と言って子供を静かに、そのままの姿勢を出来るだけ保った常態で歩道に移し、私の防寒着を子供に覆った。
そして私は周囲の方に
「何方か救急車の手配をお願いします」と大声で私は叫んでいた。
「もう直ぐに救急車が来るから、安心して待っていようね」
「学校は?」
「何年生なの?」
「お母さんは?」
「誰かに知らせたいのだが?」と次々に問いかけた。
子供は自分の名前を言い、
「1年生・・・」とも答えた。
そう話しかけながら救急車を待った。
周りは大勢の野次馬が取り囲み私と歩道に寝かせた子供を覗きこんでいた。
救急車が到着したのは事故から20分近く経っていたのでは?
何時の間にか交通警察官の事故処理車が来ていた。
そちらを見ると一人の身なりのよい背広姿の方が警官に何か説明をして居られるように感じた。
近所の方も警官に盛んに説明をされていたようだ。
子供の側にいる私には全く分からない。
野次馬の中に、この子は、何処其処のだれだれだ。
「お母さんは何処何処で働いているよ」と言う声がしたが、直ぐに誰かに呼ばれたらしく側から去った。
やっとのことで救急車が来て救急車に乗せるが救急車が中々動かない。
私は気が気でなかったが、後で聞くと受け入れ先の病院を探していたそうだ。
救急車が到着して約20分近く経ってやっとサイレンと、ともに救急車は去った。
私は虚脱したように見送ったようだ。
その後、事故係りの警察官から私の車のスリップ跡を一緒に見て簡単なことを聞かれ説明を受けた。
スリップ跡は子供を避けるように道路中心に向け斜めに2mちょっと付いていた。
「明日、9時に本署の交通課に来て下さい」
「何方をお尋ねすればいいのですか?」
「私のところに来てください」と名詞を戴く。
その後、急いで病院に行こうと、するも病院が分からない。
側の交番に行き巡査さんに聞くと
「○○病院です」と直ぐに教えて頂いた。
病院でお母さんに会う。
お母さんの話では既にMRA(?)検査も済み今のところ異常は見られない。
と言うことで先ずは一安心するも、今後が心配だ。
そのまま其処にいると、
「あとは私が見ますのでどうぞ・・・・」と言外に帰られても、いいですといわれているように感じたので、私は静かに病院を去った。
翌日、交通課に行くと昨日の警察官がおられ 暫く待った後で、その方の机の前に座ると、逐一昨日の事故の様子を再現するかのように述べられる。
私はただ
「その通りです」を繰り返すような感じだった。
そのたびに担当官はペンを走らせて記述されて、
「これで間違いありませんか?」と調書を見せられ、
「此処に署名捺印してください」で終わりだった。
そして、
「目撃証言者は学校の教頭先生で名前は○○さんという方だ」とつぶやくように言われた。
私にはよく聞こえなく
「お名前をもう一度お願いします」と言うと、再び、つぶやくように机の下を向いて
「○○さんだ」といわれ私には依然としてはっきり分からない。
これも個人情報の侵害になるのか?はっきりといわれない。
今、思うと多分担当官の好意で言われたのだと想像している。
ことによると、これは取り調べの違反事項に抵触する事項かも知れない?
法律は素人ですので分かりませんが?
それ以上は聞き直せなく諦めた。
このことは今でも、どうして一番大事なことを確認しなかったのかが心に残っている。
ただ
「怪我をされた、お子さんのお家には出来るだけ早く行ったほうがいいよ」と、これは、はっきりと分かるようにアドバイスを受けた。
そして
「シッカリとされた証言者が多くてよかった。それに直ぐに子供の救助に当たっていたのも良かったですよ」
「最近は人身事故を起こすと殆どの奴がそのまま逃げる」と怒りを露わにされたのが印象に残った。
警察署を出ても気が重かった。
あの子は大丈夫だろうか?カミさんの車に乗せてもらい帰宅するも、このことが一番気になっていた。
事故は決して起こしてはならない。
そのように、日常から車の運転は前後、左右に気をつけてスピードは控えめにしてきたのだ。
私の車の事故暦は車同士のすれ違い時に相手の車のドアを擦ったことが一度と、
あとは車庫入れの時に自分の運転ミスにより車に傷を付けたくらいだ。
免許証に記載される事故はない。
私の運転暦は40年になる。
その間、違反は駐車違反が数回あるが・・・。
それでも、今は車での遠出はしない。
片道30分以内の場所だ。
あの事故から、もう6年経っている。
時の経つのは早い!
事故関係の記事は、これでお終いとする。
恐ろしいですね!! 昭和33年に運転免許を取ってから違反はたくさんあります。スピード違反・駐車違反・酒酔い運転・一時停止違反などなど・・・
40年前の酒酔い運転で90日の免許停止でしたが
その当時 車が少なく 素直に停止処分を受けていました。今なら新聞に報道され 職場も首になったことでしょう。最近は妻の運転が多くなりましたが 不安と不信で助手席には乗らないようにしています。
私たち高齢者には市から「高齢者パス」が発行されているが、便利さに慣れ自動車免許の返上を迷っています。
奥様の車には乗ってください。奥様もきっとより慎重に運転をされると思います。
事故はタイトルの通り怖いです。寒いからお酒が恐いですね。
雪道はなおさら運転が難しいとか?
無事故で”春”を待ちましょう。
コメント有難うございました。
PS:sibuya さんのブログから随分とネットの輪が繋がりました。御礼を申し上げます。
ブログは何時も雪景色ですね。雪景色は綺麗ですが運転はなんとなく私は恐い感じを受けます。
慣れていらっしゃるようですが、くれぐれも気をつけられて”春の花”を気持ちよく見られるように祈っています。
三浦半島より 外は10度もあります。