我輩が子供の頃は病気で動けない人を個人病院に運ぶのは大体 リアカーであった。
病院なら未だいいほうである。時に「祈祷師」さんのとこまで運ばれることもあった。
そういう方が つい最近 と言っても70年くらい前だがあったのだ・・・。
後は「ヤイト屋」さんのところである。何れもかなり遠い。
リヤカーで片道2時間は掛かるといわれていた。よく其処まで病人の体力が持ったことと今は不思議でもある。
今は救急車なる凄まじい能力を備えた車で運ばれるか?或いは自家用自動車である。
半世紀?いや70年経てばこれほど変わるか?と驚くばかりである。
ネットで読んで思わず笑ったのが下記の記事である。
//////////////////////////////////////////////////////
預言者の時代にラジオはあったかね? ツイッター
2012.3.4 12:00 [Twitter・SNS]
http://sankei.jp.msn.com/world/news/120304/mds12030412000001-n1.htm 以下全文
預言者の時代にラジオはあったかね? ツイッター
2012.3.4 12:00 [Twitter・SNS]
立派なひげの男性が、タクシーに乗り込み、運転手に尋ねた。「預言者の時代にラジオはあったかね?」
運転手が「そりゃあ、なかったでしょうね」と答えると、男性は「だったら、とっととラジオを消しなさい」と命じた。
腹が立った運転手は「預言者の時代にタクシーはなかったですよね?」と尋ね返した。「だったら、お客さんはさっさと降りて、ラクダが通りかかるのを待っていたらどうです」
この小話に登場するひげの男性のように、イスラム教を起こした預言者ムハンマドの時代を理想化する考えを「サラフ主義」という。サラフはアラビア語で「先達」を意味し、預言者が「最善の世代はわが世代」と語ったとされるのを根拠に、外来の思想や文物を否定、初期の純粋な信仰への回帰を説く。
サラフ主義は、1980~90年代のエジプトでテロを繰り返したイスラム過激派にも色濃くみられた傾向だ。しかしムバラク前政権は、過激派組織が相次いで武装闘争を放棄した90年代末以降、政治に口出しさえしなければサラフ主義者らの行動を一定程度容認、サラフ主義は徐々にエジプト社会に浸透した。
前政権崩壊後は、そんなサラフ主義者らが「ヌール(光)党」を結成、昨年から今年にかけての上下両院選で第2党に躍進し社会のあらゆる場面で存在感を強めている。
ただ、選挙で支持を集めたとはいえ、サラフ主義者に目立つ教条主義的な態度に辟(へき)易(えき)としている人は多く、短文投稿サイト「ツイッター」などではジョークのネタとなることもしばしば。あるユーザーは、ヌール党が政治権力を握れば「内務省は『勧善懲悪省』に、警察は『不信仰者撲滅機関』に改名させられるらしい」とつぶやいていた。(カイロ 大内清)
/////////////////////////////////////////////
つぶやき
ホントに昭和は遠くなりました。プロペラの無い飛行機など当時は無かったし・・ヘリは「オート・ジャイロ」と言っていたね。電波探知機は終戦 間際に聞いたと思うが、敵機を察知するのは大体は「聴音機」であった。デッカイ・ラッパで爆音をいち早く聴くのだ。爆音で敵、味方を聞き分け且つ高度、およその機数、機種まで当てたというから凄い。まさに職人芸だと思う。我輩は知らなかったが、昭和19年末には一部軍艦には電波探知機が装備されていたと本で読んだが、敗戦時 日本に入港した米国軍艦を見て海軍の技術者が思わずさけんだ「あれでなくては戦は勝てない」
それは何か?と言うと電波探知機のアンテナの設置位置である。米国軍艦ではマストの頂上近くに設置してあり、日本の軍艦には軍艦旗より高く設置するのは陛下に失礼・・・と言う理由でマストの中ほどに設置したと書かれていた。真偽の程は定かでないが・・。
頷けるものがあった。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます