今年は振り替え休日をいれ9日間の休日の人もいらっしゃるとか?
現役時代は休みは嬉しかったが、反面 大工事の工事中は遠くには出かけられなかった。特に地下数拾mも掘削している現場があれば尚更である。
車で旅行に出かけるようになったのは40歳台半ばからではないか?
我輩の長い休日は30年勤続による10日間の休日くらいだ。
この時は東北を回った。初日はユックリ走り那須にあった会社の保養所に泊まり後は一路 東北高速を一関に向かい毛通寺に向かったと憶えているがその後の経路はよく憶えていない。
平泉、石割桜、龍泉洞などが印象に残っている程度である。
ただ事前に「あそこは いいから是非 見てくる価値があるよ」と言われた場所は期待がおおき過ぎたのか案外であった。むしろ何も知らずに目にした景色に心を打たれたものだ。
宿泊は予約した旅館が主で7泊くらいしたのでは?帰路の四万温泉も印象が深い。
四万温泉では結構 長い車の運転による疲れを一挙に取ったようだ。
その他 休みが取れた時は2白~3泊の「秘湯めぐり」などもしたものだ。昭和50年代のことである。当時は未だ車も少なく道もそれほど混んではいなかった。
当時はまだ携帯もなく途中で2~3度 社に電話を入れた程度だった。
じつにおおらかな古きよき時代だったようだ。
外国には行く機会はなかったが関東一円の近場の車旅行は数回した。
中でも「デスカバリー日本」の宣伝で有名な上原 謙 と高峰三枝子さんの入浴シーンの「法師温泉」、露天風呂で有名な「宝川温泉」、洞窟の「仙仁温泉」 その他 既に忘却のかなたの忘れてしまった名湯もある。
東北旅行ではカミさんの車「サイノス(1500cc)」で廻ったが、あの車はよかった。馬力がありスピードが難なく出る。小さいのにタイアがデカかった。運転もしやすかったね。
今でもカミさんは「あの車はよかった」と呟いているくらいだ。 ← サイノスです。(ネットから拝借)
いずれも国内の車による旅?だったが、その思い出はつきない。
ゴールデン・ウイークでつい昔を振り返った。
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余録:勝海舟の父、小吉は14歳の時に家出して上方へと…
毎日新聞 2012年04月28日 01時43分
http://mainichi.jp/opinion/news/20120428k0000m070110000c.html 以下全文
余録:勝海舟の父、小吉は14歳の時に家出して上方へと…
毎日新聞 2012年04月28日 01時43分
勝海舟の父、小吉は14歳の時に家出して上方へと向かった。当時は抜け参りといって親や雇い主にだまって伊勢参りの旅に出る子供が多かった。家の金をくすねて飛び出した小吉だが、浜松で盗っ人に身ぐるみすべてを盗まれてしまう
▲同情した宿の亭主は裸同然の小吉に柄杓(ひしゃく)を渡し、街を回るようにいう。柄杓は伊勢参りの無銭旅行のシンボルで、1日街を回った小吉に人々は米や麦5升と銭130文をめぐんでくれた。伊勢では江戸の大店(おおだな)から抜けて来たと言うだけで御師(おし)の館で接待してくれた
▲柄杓さえあれば何十日間も子供が見知らぬ土地を無銭旅行できた国など世界にもほかにあるまい。小吉はその後に病気やけがをしたが、4カ月後に江戸の家に戻っている。主筋の旗本も出奔をとがめるでもなく、「まずまず帰ってめでたい」とおおらかなものである
▲抜け参りが成人儀礼だった土地もあるが、ともかく年季の入った日本人の旅行好きである。信州のある村では嫁入り前の娘が集団で関所を迂回(うかい)しながら伊勢参りしていたという。さすがにこちらは路銀を持つ男が引率した
▲そんな先祖譲りの旅好きの血が騒ぐゴールデンウイークの到来だ。今年は2日有給休暇をとれば9連休となり、円高の続くなか欧州など遠方の地に旅立つ人も多いという。国内では期間中に桜が満開となる東北各地へのツアー客が震災前のシーズン並みに戻っている
▲窮屈な日常からするりと抜け出て、見知らぬ景色の中に身を置く楽しさは昔も今も変わらない。もちろん近間でもかまわない。ちょっと疲れ気味の心も、輝く新緑がリフレッシュしてくれるこの季節だ。
.
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
つぶやき
旅はよい。気分一転 英気を養い見聞を広める。今は耳が聞こえなく膝も悪く歩けないので何処にも出かけられないがTVがあるのでそれで気晴らしをしている。
便利な時代になったが余りに便利過ぎないかと聊か???と思っている。
昨日のパソコン教室
旅先で買った小冊子「日本の秘湯」 法師温泉 ← 今はどうなっているのかな~ァ?
庭の生け垣の躑躅 柘植
現役時代は休みは嬉しかったが、反面 大工事の工事中は遠くには出かけられなかった。特に地下数拾mも掘削している現場があれば尚更である。
車で旅行に出かけるようになったのは40歳台半ばからではないか?
我輩の長い休日は30年勤続による10日間の休日くらいだ。
この時は東北を回った。初日はユックリ走り那須にあった会社の保養所に泊まり後は一路 東北高速を一関に向かい毛通寺に向かったと憶えているがその後の経路はよく憶えていない。
平泉、石割桜、龍泉洞などが印象に残っている程度である。
ただ事前に「あそこは いいから是非 見てくる価値があるよ」と言われた場所は期待がおおき過ぎたのか案外であった。むしろ何も知らずに目にした景色に心を打たれたものだ。
宿泊は予約した旅館が主で7泊くらいしたのでは?帰路の四万温泉も印象が深い。
四万温泉では結構 長い車の運転による疲れを一挙に取ったようだ。
その他 休みが取れた時は2白~3泊の「秘湯めぐり」などもしたものだ。昭和50年代のことである。当時は未だ車も少なく道もそれほど混んではいなかった。
当時はまだ携帯もなく途中で2~3度 社に電話を入れた程度だった。
じつにおおらかな古きよき時代だったようだ。
外国には行く機会はなかったが関東一円の近場の車旅行は数回した。
中でも「デスカバリー日本」の宣伝で有名な上原 謙 と高峰三枝子さんの入浴シーンの「法師温泉」、露天風呂で有名な「宝川温泉」、洞窟の「仙仁温泉」 その他 既に忘却のかなたの忘れてしまった名湯もある。
東北旅行ではカミさんの車「サイノス(1500cc)」で廻ったが、あの車はよかった。馬力がありスピードが難なく出る。小さいのにタイアがデカかった。運転もしやすかったね。
今でもカミさんは「あの車はよかった」と呟いているくらいだ。 ← サイノスです。(ネットから拝借)
いずれも国内の車による旅?だったが、その思い出はつきない。
ゴールデン・ウイークでつい昔を振り返った。
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余録:勝海舟の父、小吉は14歳の時に家出して上方へと…
毎日新聞 2012年04月28日 01時43分
http://mainichi.jp/opinion/news/20120428k0000m070110000c.html 以下全文
余録:勝海舟の父、小吉は14歳の時に家出して上方へと…
毎日新聞 2012年04月28日 01時43分
勝海舟の父、小吉は14歳の時に家出して上方へと向かった。当時は抜け参りといって親や雇い主にだまって伊勢参りの旅に出る子供が多かった。家の金をくすねて飛び出した小吉だが、浜松で盗っ人に身ぐるみすべてを盗まれてしまう
▲同情した宿の亭主は裸同然の小吉に柄杓(ひしゃく)を渡し、街を回るようにいう。柄杓は伊勢参りの無銭旅行のシンボルで、1日街を回った小吉に人々は米や麦5升と銭130文をめぐんでくれた。伊勢では江戸の大店(おおだな)から抜けて来たと言うだけで御師(おし)の館で接待してくれた
▲柄杓さえあれば何十日間も子供が見知らぬ土地を無銭旅行できた国など世界にもほかにあるまい。小吉はその後に病気やけがをしたが、4カ月後に江戸の家に戻っている。主筋の旗本も出奔をとがめるでもなく、「まずまず帰ってめでたい」とおおらかなものである
▲抜け参りが成人儀礼だった土地もあるが、ともかく年季の入った日本人の旅行好きである。信州のある村では嫁入り前の娘が集団で関所を迂回(うかい)しながら伊勢参りしていたという。さすがにこちらは路銀を持つ男が引率した
▲そんな先祖譲りの旅好きの血が騒ぐゴールデンウイークの到来だ。今年は2日有給休暇をとれば9連休となり、円高の続くなか欧州など遠方の地に旅立つ人も多いという。国内では期間中に桜が満開となる東北各地へのツアー客が震災前のシーズン並みに戻っている
▲窮屈な日常からするりと抜け出て、見知らぬ景色の中に身を置く楽しさは昔も今も変わらない。もちろん近間でもかまわない。ちょっと疲れ気味の心も、輝く新緑がリフレッシュしてくれるこの季節だ。
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つぶやき
旅はよい。気分一転 英気を養い見聞を広める。今は耳が聞こえなく膝も悪く歩けないので何処にも出かけられないがTVがあるのでそれで気晴らしをしている。
便利な時代になったが余りに便利過ぎないかと聊か???と思っている。
昨日のパソコン教室
旅先で買った小冊子「日本の秘湯」 法師温泉 ← 今はどうなっているのかな~ァ?
庭の生け垣の躑躅 柘植
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