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人乳で育てたブタ 12月8日 産経抄
ソース: http://www.sankei.com/world/news/141208/wor1412080008-n1.html
「酒池肉林」に代表される、中国歴代皇帝の贅沢(ぜいたく)のエピソードには驚かされる。中国文学者の井波律子さんによると、贅沢の担い手は歴史的には、皇帝から貴族、商人へと移行していった。たとえば、司馬炎が265年に立てた西晋王朝の下では、貴族たちが激しい贅沢競争を繰り広げた。
▼宮中で出る料理はまずいと、箸をつけない者までいたという。司馬炎があるとき、貴族の家に行幸したとき、蒸したブタの料理が普通の味と違っていた。わけを尋ねると貴族は答えた。「人乳を飲ませております」。あきれた司馬炎は、食事の途中で立ち去った(『酒池肉林』講談社現代新書)。
▼中国共産党の習近平指導部は、前最高指導部メンバーだった周永康氏の党籍剥奪と送検を決めた。容疑は巨額の収賄から女性問題まで多項目にわたっている。今後の捜査で、数兆円とも伝えられる不正蓄財で、どんな贅沢を楽しんできたのか、明らかになるかもしれない。
▼周氏は、2年前に失脚した薄煕来元重慶市党書記と結びつきが強かった。政敵の排除に成功して、政権基盤が固まったとの見方が強い。ただ、汚職追及の姿勢が国内外にアピールできたか、という点では効果は疑わしい。
▼ドイツの民間団体が、汚職の状況についてまとめた「清潔度ランキング」では、中国の順位は今年、100位にまで下がった。国内でも、周氏とその一派だけの問題なのか、疑問の声も上がっている。一党独裁の政治システムこそが、腐敗の温床であることに、国民の多くはとっくに気づいているはずだ。
▼西晋時代に話を戻せば、司馬炎は貴族社会を覆う拝金主義を打破しようと改革に乗り出す。しかし、やがて断念して、自ら快楽の虜(とりこ)になりはてたそうだ。
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つぶやき
「虎も蠅も叩く」 習近平 国家主席の言葉であるが、人民の中では「叩くはしから新しい虎や蠅が湧く」と言われているようだ。
「モグラ叩き」のようであるが叩くほうにも問題があるのでは? いうならば凄まじい内紛ともいえる。
「賄賂は文化である」が未だにふさわし国と言えよう。
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寒くなった。 四国 徳島で陸の孤島となったのニュースが未だに続いている。思わぬ天災(雪害)である。 自衛隊の活動も難工事のようだ。 停電・電話の不通・道路の不通・食糧の不足・ などなど思わぬ災害を蒙った。
日本ならどこでも形を変えて起きうる災害かも? そこに今回の選挙である。 巧言に惑わされないように・・・・。
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追記
司馬炎(シバエン)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%B8%E9%A6%AC%E7%82%8E
↑ から 一部 抜粋 ↓
司馬炎は女色にふけったことでも知られる。統一以前の泰始9年(273年)7月には、詔勅をもって女子の婚姻を暫時禁止し、自分の後宮に入れるための女子を5千人選んだ。
さらに呉を滅亡させた後の太康2年(281年)3月には、呉の皇帝であった孫皓の後宮の5千人を自らの後宮に入れた。合計1万人もの宮女を収容した広大な後宮を、司馬炎は毎夜、羊に引かせた車に乗って回った。
この羊の車が止まったところの女性のもとで、一夜をともにするのである。
そこで、宮女たちは自分のところに皇帝を来させようと、自室の前に竹の葉を挿し、塩を盛っておいた。羊が竹の葉を食べ、塩をなめるために止まるからである。
この塩を盛るという故事が、日本の料理店などで盛り塩をするようになった起源とも言われている。なお、1万人の女性といっても、后などを世話する女官などの数も入っているため、実際に司馬炎が1万人の女性を相手にしたというわけではない。
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