← 一度クリックを宜しくお願い致します。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
http://sankei.jp.msn.com/life/news/140803/trd14080303050004-n1.htm 以下全文
「人生一世紀」 8月3日
「半寿」とは、なかなか粋な表現である。慶事に詳しい方は、ひと目でお分かりか。「半」の字を細かく分ければ八十一。きりのいい傘寿は、カサが頭打ちしてさえない。だから「もう1つ年を取ってお祝いを」と験を担ぐ人もいるという。
▼昨今、年を取ってからの「もう1年」は半丁先ほどの近所にある。平成25年の日本人の平均寿命が、男女とも過去最高になった。男性は初めて80歳の大台を超え、86・61歳の女性は2年連続世界一。医療の進歩もさることながら、世の「高齢者」は語感に似合わず若々しい。
▼昨年生まれた女児の4人に1人は、95歳まで生きるとの推計もある。終戦直後の「人生五十年」からやがて「人生一世紀」だ。国としては、かさむ医療費への備えがいる。喜びと不安は五分五分か。そんな世相が、「半」に重なる。
▼生物学者、本川達雄さんの「心臓時計」の説を思い出す。エッセー『おまけの人生』(阪急コミュニケーションズ)にある。ゾウもネズミも人も一生で刻む鼓動は心臓約15億拍。人の場合は40歳ほどで達する。以後の人生は医療などがもたらす恵みで「言ってみればこれは『おまけの人生』」と。
▼老後の時間は若い日の10倍の速さで流れる-。貝原益軒の『養生訓』を思うとぞっとしないが、本川さんは一生で消費するエネルギーの量、言い換えれば仕事量は変わらないとも指摘する。ゾウは70年、ネズミは2年、人は80年。細く長くか、太く短くかの違いだ。
▼『養生訓』には「あだに日をくらすべからず。つねに時日をおしむべし」の一節もある。自戒を込めてかみしめたい。まだ「人生の半ば」と高をくくっていた小欄が、本川説で「余生」「老境」に分類されてしまうのはかなり不満だが。
////////////////////////////
つぶやき
長生きがいいのか?どうかは、人それぞれの解釈による。 人生50年がいつの間にか80年になった。30年も伸びたが私は一体何をなしたか?非常に疑問である。 なんだか長生きも罪なような時代になってきたと思うのは僻み?
先日のTVでは「健康年齢」 を話題としていたがこの男性の 80 歳には健康年齢と10歳の差がある。
自分のことは自分でできる。これをもっとうに当分?は自然に生きて行きたいものだ。
そして やりたいことをする以外に これからの生きがいはなさそうである。意にすることは多いだけにいっそのこと何もしないほうがいい?なんてことも時に考える。
何はともあれ先ずは膝を治さないと・・・・現状はそれが第一のようだ。
そうそ 先日 「明日は来らず」 1937年 米国 監督 レオ・マッケリー 映画を見ながら実に切ない思いをした。
同時に日本映画「東京物語」を思いだした。 「老い」 の現実の認識が求められているようだ。自分をどう処するかだ。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます