ジムのプールで水中歩きをしている時によくお会いする方と帰りのエレベーターで偶然 一緒になった。
前回 一度 ご一緒にエレベーターに乗ったことがありその時に
「いつもプールでお会いしているのに ご挨拶もせずに失礼しています。私は今は補聴器をしていますので少しはお話も出来ますがプールでは全くお話が出来ず つい 失礼しています・・」
とお詫びしたところ、
「お互い様ですよ」とにこやかに笑っておられた方である。
すると
「何年 生まれですか?」と聞かれた。咄嗟に出たのが手話の「7」の指文字であった。
最近は私の話す発声の言葉も不確かになり つい 手話を使ってしまう。
その指文字を見られて
「フタツ上ですね」と言われた。
「そうですか?でも随分とお元気ですね」と答えた。
手話の世界 ↓
http://www3.ocn.ne.jp/~oneyes/movin/yubimoji/yubimoji3.html
ジムは3階なので5階に着くのは早い。
その方が乗られた車は私の車から2台 離れた場所に止められていた。
見れば素晴らしい磨き上げられたベンツである。
私が車のドアーを開けた時にはサ~と発車されて音も無く通路に車は消えた。
凄い車に乗っておられる方だった。
ところで家に帰り
「おい これ幾つの数字に見える?」とカミさんに効くと
「三ッだよ」と言う。
内心 そうだろうな・・・一般の健常者の方は三ッに見えるのが当たり前だ。
ではあの方は
「二ッ上ですね」と言われたのは私が昭和3年生まれと察してそう言われたのかも?
然し 私は昭和7年生まれであるから 二ッ上は向こうの方(ベンツの方)であるようだ。
とてもお元気な方である。 私もまだまだ 車の運転は出来るぞ。
変なことで自信が付く・・・・・。
ジムでの出来事だった。
私の足の腫れ(浮腫み?)は かなりよくなったようだ。右足の膝が曲がらなかったが 少し(30度クライ)は曲がるようになった。
今朝は形は悪いが久しぶりに真向法をしてみた。頭は床に付かなかったが無理はやめた。開脚は130度くらいであった。膝が曲がらないのがチト困る。
きょうは手話の日である。少し早めに行き 付け刃の 「にわか勉強」をするか?
////////////////////////////////////////////////////
http://mainichi.jp/opinion/news/20120612k0000m070090000c.html 以下全文
余録:「通り悪魔」というのが江戸時代の随筆に出てくる…
毎日新聞 2012年06月12日 00時14分
「通り悪魔」というのが江戸時代の随筆に出てくる。「何となきに怪しきもの、目に遮ることありて、それに驚き、魂を奪われ、思わず心の乱れるなり。俗に通り悪魔に会うという、これなり」。人を不意に襲って、乱心を引き起こすのだ
▲ある武家は、白い衣を着て髪をふり乱した老人がやりを携える姿を見たという。すかさず下腹に力を入れて心を静め、再び見れば姿を消していた。だが、直後に近所に騒ぎがあり、聞けば乱心した当主が刀を振るったとのことだった(宮田登著「妖怪の民俗学」)
▲つまり人の心に取りつき、理由の分からない凶事を引き起こすのが「通り悪魔」だった。しかし先日の通り魔殺人の容疑者は理路整然と自らの動機を語っている。「自殺しようと思って包丁を買ったが死にきれなかった。人を刺して殺せば死刑になると思ってやった」
▲しかも魔物の行き交う夕暮れ時の「逢魔(おうま)が時」というのでもない。休日の昼下がり、にぎわう大阪・ミナミの繁華街の出来事だ。通りがかりの男女2人が殺された事件で逮捕された礒飛京三容疑者が口にしたのはまたもあの言葉だった。「殺すのは誰でもよかった」
▲自分の自殺願望を理由に見知らぬ人の生命を奪う途方もない卑劣と倒錯は、今さらののしるのもむなしい。ただ似たような無差別殺人は近年いくつも思い浮かぶ。たとえ自暴自棄が供述通りでも、それが残忍で執拗(しつよう)な他人への攻撃に転じる不気味は見捨てておけない
▲突然人生を断ち切られた2人の被害者には「魔」としかいえない理不尽である。その正体はしっかりと暴き、類似の犯行防止の策があるならば見定めたい。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
私のつぶやき
このような ↑ ことは江戸時代から・・・ことによると もっと以前からあったのかも?
耳の遠い私など「逃げろ!」と言われても聞こえない。
日本も不気味な国になった。大阪府知事の言葉ではないが「死ぬなら勝手に一人で死んでくれ」と言いたい。
つい最近も警察に助けを求めても「忙しい」と受付を跳ねつけらて身内 数人が殺された事件があった。その 受付を跳ね付けた警察は その後 旅行に行くという時代である。
市民の安全より温泉旅行が大事な警察といえよう。
警察関係者に対する警察の処分も民間から比べると驚くほど軽いものだった。
前回 一度 ご一緒にエレベーターに乗ったことがありその時に
「いつもプールでお会いしているのに ご挨拶もせずに失礼しています。私は今は補聴器をしていますので少しはお話も出来ますがプールでは全くお話が出来ず つい 失礼しています・・」
とお詫びしたところ、
「お互い様ですよ」とにこやかに笑っておられた方である。
すると
「何年 生まれですか?」と聞かれた。咄嗟に出たのが手話の「7」の指文字であった。
最近は私の話す発声の言葉も不確かになり つい 手話を使ってしまう。
その指文字を見られて
「フタツ上ですね」と言われた。
「そうですか?でも随分とお元気ですね」と答えた。
手話の世界 ↓
http://www3.ocn.ne.jp/~oneyes/movin/yubimoji/yubimoji3.html
ジムは3階なので5階に着くのは早い。
その方が乗られた車は私の車から2台 離れた場所に止められていた。
見れば素晴らしい磨き上げられたベンツである。
私が車のドアーを開けた時にはサ~と発車されて音も無く通路に車は消えた。
凄い車に乗っておられる方だった。
ところで家に帰り
「おい これ幾つの数字に見える?」とカミさんに効くと
「三ッだよ」と言う。
内心 そうだろうな・・・一般の健常者の方は三ッに見えるのが当たり前だ。
ではあの方は
「二ッ上ですね」と言われたのは私が昭和3年生まれと察してそう言われたのかも?
然し 私は昭和7年生まれであるから 二ッ上は向こうの方(ベンツの方)であるようだ。
とてもお元気な方である。 私もまだまだ 車の運転は出来るぞ。
変なことで自信が付く・・・・・。
ジムでの出来事だった。
私の足の腫れ(浮腫み?)は かなりよくなったようだ。右足の膝が曲がらなかったが 少し(30度クライ)は曲がるようになった。
今朝は形は悪いが久しぶりに真向法をしてみた。頭は床に付かなかったが無理はやめた。開脚は130度くらいであった。膝が曲がらないのがチト困る。
きょうは手話の日である。少し早めに行き 付け刃の 「にわか勉強」をするか?
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http://mainichi.jp/opinion/news/20120612k0000m070090000c.html 以下全文
余録:「通り悪魔」というのが江戸時代の随筆に出てくる…
毎日新聞 2012年06月12日 00時14分
「通り悪魔」というのが江戸時代の随筆に出てくる。「何となきに怪しきもの、目に遮ることありて、それに驚き、魂を奪われ、思わず心の乱れるなり。俗に通り悪魔に会うという、これなり」。人を不意に襲って、乱心を引き起こすのだ
▲ある武家は、白い衣を着て髪をふり乱した老人がやりを携える姿を見たという。すかさず下腹に力を入れて心を静め、再び見れば姿を消していた。だが、直後に近所に騒ぎがあり、聞けば乱心した当主が刀を振るったとのことだった(宮田登著「妖怪の民俗学」)
▲つまり人の心に取りつき、理由の分からない凶事を引き起こすのが「通り悪魔」だった。しかし先日の通り魔殺人の容疑者は理路整然と自らの動機を語っている。「自殺しようと思って包丁を買ったが死にきれなかった。人を刺して殺せば死刑になると思ってやった」
▲しかも魔物の行き交う夕暮れ時の「逢魔(おうま)が時」というのでもない。休日の昼下がり、にぎわう大阪・ミナミの繁華街の出来事だ。通りがかりの男女2人が殺された事件で逮捕された礒飛京三容疑者が口にしたのはまたもあの言葉だった。「殺すのは誰でもよかった」
▲自分の自殺願望を理由に見知らぬ人の生命を奪う途方もない卑劣と倒錯は、今さらののしるのもむなしい。ただ似たような無差別殺人は近年いくつも思い浮かぶ。たとえ自暴自棄が供述通りでも、それが残忍で執拗(しつよう)な他人への攻撃に転じる不気味は見捨てておけない
▲突然人生を断ち切られた2人の被害者には「魔」としかいえない理不尽である。その正体はしっかりと暴き、類似の犯行防止の策があるならば見定めたい。
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私のつぶやき
このような ↑ ことは江戸時代から・・・ことによると もっと以前からあったのかも?
耳の遠い私など「逃げろ!」と言われても聞こえない。
日本も不気味な国になった。大阪府知事の言葉ではないが「死ぬなら勝手に一人で死んでくれ」と言いたい。
つい最近も警察に助けを求めても「忙しい」と受付を跳ねつけらて身内 数人が殺された事件があった。その 受付を跳ね付けた警察は その後 旅行に行くという時代である。
市民の安全より温泉旅行が大事な警察といえよう。
警察関係者に対する警察の処分も民間から比べると驚くほど軽いものだった。
そうです。広島の高校に岩国から列車通学をしていました。丁度 サマータイムが日本で初めて実施された時期に当たります。
昭和23年から26年までです。今でもその辛さは忘れられません。夏とはいえ朝は暗く駅に出る橋は遠回りで いつも近くの鉄橋を渡っていました。暗い鉄橋は足元の踏み板を一歩 踏み外すと枕木の間から川に落ちる恐怖がありました。これが3年間続きました。大学はこちらに来ましたので そのようなことから開放されて卒業しても在京の会社に勤め以来そのまま在京?です。
膝の痛みは少しづつ よくなってきたように感じますが天候が悪いと痛み出します。 梅雨の期間は油断がなりません。この夏の暖かい間に治す努力がひつようなようです。
コメント&応援有難うございました。
頂き有難うございます。
osamu様は広島の学校へ電車通学されて
おられたのですね^^広大でしょうか~^^
勝手に想像しております。サマータイムになると
朝4時起きでの通学とか、まるで新聞配達さんや
お豆腐屋さんみたいですね^^朝型人間はあまり
苦にならないのでしょうが、私は夜型なので5時でも
無理ですね^^;早くても6時ですよ^^お恥ずかしいです
膝の腫れは良くなられましたか、私も少しだけラクになりましたよ
やはり冷やすと関節がガチガチになってしまうようです、
osamu様も引き続きお大事になさってください^^。ポチ☆