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http://mainichi.jp/opinion/news/20130705k0000e070212000c.html
以下全文
しあわせのトンボ:犬は人なり=近藤勝重
毎日新聞 2013年07月05日 14時29分
今、犬にエサをやるとは言わない。エサはあげるだ。エサとも言わない。ご飯である。
「うちの子は男の子なのに恥ずかしがり屋で」とか「この子はおてんば娘で困ります」といった愛犬家同士の会話もよく耳にする。
犬は家族の一員であるばかりか、子や孫より可愛い、と言う人も知っている。
ぼくも大のワン君好きだ。朝の散歩時に決まって出合うワン君が何匹もいて、体をすりつけてじゃれてくる子もいる。
ある日、久しく会わないなあと思っていたワン君の飼い主と、道で出合った。
「○○ちゃんは元気ですか」と声をかけると、「それが……2カ月前、亡くなりました」と表情を曇らせた。驚いて何と言っていいかわからずにいると、飼い主が言葉を続けた。「老衰です。自宅で、主人も私も家にいましたので、最期は2人で抱きかかえて……そうしてあげられたことが何よりの救いです」
臨終の場で人は「ありがとう」「ご苦労様」「ごめんなさい」の3語のいずれかを口にするという。
おそらく愛犬をみとった時の言葉は「ありがとう」が圧倒的に多いだろう。先ほどの飼い主からも、「主人と何度も、ありがとう、ありがとうって体をさすりました」と聞かされた。
ところで、ワン君と飼い主の関係でいつも疑問に思っていることがある。
連れているワン君に顔が不思議と似ている飼い主が目につくことだ。以下はぼくと同じ感想を持つ周辺の声である。
「無意識のうちに自分に似た顔の犬を選んでるんじゃないかな」
「飼い主はボスだから、犬が似るように努力してんだよ」
「一つ屋根の下にいると、犬も飼い主の性格や気性とかが似てくる。そういうことじゃない」
疑問解消とはいかないが、うなずけるところもある。
大変な愛犬家であった川端康成氏の短編「霧の造花」にこんな言葉が出てくる。
「犬は人なり」
「文は人なり」を熟知した大作家の言葉である。顔の印象ぐらい愛犬と似ていて当然かな、と思ってみたりもする。(専門編集委員)
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つぶやき
早朝 散歩の時に多くのペットを連れた方を見かける。ペットは言わずと知れる犬である。
小さな犬から大きな犬まで種類はさまざまである。種類も分からぬが多種類の犬を見かける。
そのような方々をみるに付け私も時々犬を飼ってみたいとは思うが世話は嫌だな~など調子のよいことを思う。つまり私にはペットを飼う資格はないようだ。
カミさんもペットを飼うのは嫌がる。多分 ??の世話が大変だからと想像する。
きょうはかなり暑くなりそうな空模様である。現在 外気温は既に28度 (午前7時丁度)
ジムに行く日である。 ジムも近頃は苦痛になってきた。体調が優れぬ所為かも?
うちのわんこも、似ているのかもしれないですね。
ずっと、柴が飼いたくて飼っているのですが。
まだ元気なうちから、「うちにきてくれて、ありがとう」を何度も言っています。
確かに、犬の生活リズムも考えた生活スタイルになりますね。
ともに暮らす時期は、その生活から楽しみを見出す、そんな今です。
私も飼ってみたいのですがね~ェ~
何故かカミさんが嫌がります。
「これ以上 手はかけないで・・・」と悲鳴を上げます。