過日 故郷の岩国から秋の味覚の「栗」や「林檎」が送られてきた。
栗はよく知っていたが昔はこのように大きくは無かった。
改良に改良を重ねて大変な苦労の末に こんなに大きくされたのだろう?しかも実に美味しいのだ。
その上に薄皮ごと食べられるようだ。
カミさんが早速 皮を向いて娘どもにお裾分けを持って行った。
この栗と一緒に「林檎」も送られてきた。
以前と言ってももう数十年も前であるが「南限の林檎」なる物が送られてきたことがあるが・・・今回 送られてきた林檎はどうもそれらしい?
その夜 早速 デザートとして戴いたが甘く実に美味しかった。
思わず送られた方(弟の嫁さん母)の健康を祈らずにおれない。
感謝の念を深くして戴いたものだ。
半世紀前には亡き母から「栗」や「ナバ」等 故郷の味が送られてきていたが両親亡き後は弟の義母から岩国の旬の物を送って戴けるようになった。
こちらでも栗や林檎も手に入るが・・・申し訳ないがこの故郷の味とは比べるべきものがない。
ありがたいことだ。
きょうは故郷便りで閉める。
名古屋の妹からも祖父江の特大の銀杏も過日送ってきたが次回に書きます。
先ずは秋の味覚の話①を・・・・
/////////////////////////////////////////
http://mainichi.jp/opinion/news/20121029ddf041070020000c.html 以下全文
憂楽帳:「ヒロシマの心」と酒
毎日新聞 2012年10月29日 大阪夕刊
我が家の冷蔵庫には長年、果物を漬け込んだ外国の酒が入っている。広島支局にいた14年前、被爆者団体の代表をしていた男性に結婚祝いにもらったものだ。
男性は、我が子より若い記者たちと本気で付き合ってくれた。自身の被爆体験や戦後の原水禁運動を語り、一緒に酒を飲んでは「どうすれば世界から核兵器が無くなるか」を真剣に論じ合った。カラオケでは軍歌を歌い「元は軍国少年じゃけえ」と頭をかいた。私の先生だった。
酒を贈られた翌年、異動が決まった。男性は私と妻を招き、送別会を開いてくれた。最後に「ヒロシマの心を忘れたらいけんよ」という言葉を贈られた。その3年後、男性はがんで亡くなった。
「核兵器廃絶の日まで」と誓いを立てたわけでもないが、どうも封を切る気にならない。ヒロシマの心を伝える記事を書けないまま記者生活を送ってきた後ろめたさもある。何かいい報告ができる日が来たら、と思うが、核兵器は無くならず、戦争の危機はむしろ高まっている。
近く転居を計画している。酒瓶を抱えての引っ越しはこれで6度目。残念ながらまだ先がありそうだ。【脇田顕辞】
.・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
つぶやき
故郷・・・この言葉には不思議な魅力がある。如何に故郷を疎遠にしても故郷は生きている限り永遠の郷愁を齎(モタラ)す。
ハーモニカでも 何かといえば よく故郷を吹く。
「岩国海軍航空隊」・「川下のクスノキ」・「錦川」上流の下(シモ)まだ まだ沢山あるが・・・子供の頃を思い出すことが多くなった。
こうして故郷の旬に接すると思いはさらに募る。
栗はよく知っていたが昔はこのように大きくは無かった。
改良に改良を重ねて大変な苦労の末に こんなに大きくされたのだろう?しかも実に美味しいのだ。
その上に薄皮ごと食べられるようだ。
カミさんが早速 皮を向いて娘どもにお裾分けを持って行った。
この栗と一緒に「林檎」も送られてきた。
以前と言ってももう数十年も前であるが「南限の林檎」なる物が送られてきたことがあるが・・・今回 送られてきた林檎はどうもそれらしい?
その夜 早速 デザートとして戴いたが甘く実に美味しかった。
思わず送られた方(弟の嫁さん母)の健康を祈らずにおれない。
感謝の念を深くして戴いたものだ。
半世紀前には亡き母から「栗」や「ナバ」等 故郷の味が送られてきていたが両親亡き後は弟の義母から岩国の旬の物を送って戴けるようになった。
こちらでも栗や林檎も手に入るが・・・申し訳ないがこの故郷の味とは比べるべきものがない。
ありがたいことだ。
きょうは故郷便りで閉める。
名古屋の妹からも祖父江の特大の銀杏も過日送ってきたが次回に書きます。
先ずは秋の味覚の話①を・・・・
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http://mainichi.jp/opinion/news/20121029ddf041070020000c.html 以下全文
憂楽帳:「ヒロシマの心」と酒
毎日新聞 2012年10月29日 大阪夕刊
我が家の冷蔵庫には長年、果物を漬け込んだ外国の酒が入っている。広島支局にいた14年前、被爆者団体の代表をしていた男性に結婚祝いにもらったものだ。
男性は、我が子より若い記者たちと本気で付き合ってくれた。自身の被爆体験や戦後の原水禁運動を語り、一緒に酒を飲んでは「どうすれば世界から核兵器が無くなるか」を真剣に論じ合った。カラオケでは軍歌を歌い「元は軍国少年じゃけえ」と頭をかいた。私の先生だった。
酒を贈られた翌年、異動が決まった。男性は私と妻を招き、送別会を開いてくれた。最後に「ヒロシマの心を忘れたらいけんよ」という言葉を贈られた。その3年後、男性はがんで亡くなった。
「核兵器廃絶の日まで」と誓いを立てたわけでもないが、どうも封を切る気にならない。ヒロシマの心を伝える記事を書けないまま記者生活を送ってきた後ろめたさもある。何かいい報告ができる日が来たら、と思うが、核兵器は無くならず、戦争の危機はむしろ高まっている。
近く転居を計画している。酒瓶を抱えての引っ越しはこれで6度目。残念ながらまだ先がありそうだ。【脇田顕辞】
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つぶやき
故郷・・・この言葉には不思議な魅力がある。如何に故郷を疎遠にしても故郷は生きている限り永遠の郷愁を齎(モタラ)す。
ハーモニカでも 何かといえば よく故郷を吹く。
「岩国海軍航空隊」・「川下のクスノキ」・「錦川」上流の下(シモ)まだ まだ沢山あるが・・・子供の頃を思い出すことが多くなった。
こうして故郷の旬に接すると思いはさらに募る。
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