← 一度クリックを宜しくお願い致します。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
憂楽帳:運命の休符
毎日新聞 2014年11月11日 大阪夕刊
ベートーベンの「運命」を時々無性に聴きたくなる。あの「ジャジャジャジャーン」だが、楽譜では冒頭に半拍の休符がある。本当は「 ジャジャジャジャーン」と「ン」の八分休符がある。
知り合いの指揮者が「日本の学校の音楽の授業では休符を『休み』と教えるが、休符はただの休みではなく、そこには音楽が流れている。『音のない音符』だ」と力説していたのを思い出す。
「運命」の冒頭の衝撃力は、まさに音のないエネルギーに満ちたこの休符が生む。
むかし著名な指揮者が「運命」と「田園」の2大交響曲の演奏会で振る順番を勘違いしたという。
舞台袖から指揮台に向かってくる指揮者を見てオーケストラの団員らは、1曲目の「田園」ではなく「運命を振るつもりだ」と見抜いた。
力強くタクトが振り下ろされても、流れたのは牧歌的な「田園」のメロディー。
この話で私が感心するのは勘違いを見抜いて対応(無視?)したプロ奏者の眼力だけではない。振る前からどんな音楽を指揮するかを全身から発散していた指揮者のすごさだ。
音楽は時に休符どころか始まる前から流れている。【大野靖史】
ソース: http://mainichi.jp/opinion/news/20141111ddf041070029000c.html
///////////////////////////////////////
つぶやき
このような話は初めて聞く話であるがオーラ を出す指揮者も凄いがそれを瞬時に悟る 楽団員・・・共に凄い。
演奏はさぞかし だったと想像する。 私も耳が聞こえていたころはなんとなく「運命」や「田園」のLP を求めて聞いていたが・・・聞いているパーフォーマンスに過ぎなかったようだ。
田園 などはなんとなく気が落ち着く音楽と感じるくらいである。 最近は耳が聞こえなくなり もうこれらの音楽は聞くことができない。 肌で感じることができればと願っているが・・・・。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます