年齢と呆け?我輩も歳を取った?
「お年は?」とよく聞かれる。その時は
「76歳です」と素直に答えている。
「お若いですね~」と言われる時は些(イササ)か 捻(ヒネ)くれた、この爺には
「(それにしては)幼いですね~ェ?」とも聞こえる、が単に
「76歳になられて居られるのですか?」とわざわざ歳の数を言われる方もある。
これなど、もっとお歳に見えますよ、というニュアンスにも感じられる。
相手の方は、どちらを、どのように解釈して言っておられるのだろうか?と思う。
コレらはまだいいほうだ。
或る集まりで、なにやらグループで話されている中に偶々(タマタマ)その場に居て、グループの話がよく聞き分けられないので、ただ黙っていると唐突に誰かさんから
「○○さんは・・・・」となにやら質問を我輩に問いかけられたことがある。
問いかけの意味がわからないので答えようがない。そこで
「何ですか?」と問い直すと、もう駄目だ。
相手の方はコリャダメだ?年寄りには無理だ!となる感じだ。
我輩も、もう、そのような年寄りの仲間に入ったのだなと痛切に思う。
そのような時は遭えて聞き返さない。
この瞬間に我輩のその場における存在価値はそこにない!と、いって狭い部屋では行き場はない。
そのまま、そこに時間まで居るしかない。
場合によっては時機を見て帰ることにしている。
我輩も若い頃を考えれば、そのような事があったな~ァ と振り返る。
現場で仕事をしていると職人さんの中に数人は60歳以上と思える方が見られたが、一緒に仕事をしている若い衆から余り声をかけられないのだ。
それでも不平も言わずにコツコツと仕事をこなしておられた姿を思い出す。
ご自分の立場を心得ていらっしゃるようだった。
我々監督の立場からすると怪我をされるのが一番怖い。それゆえ
「年寄りの方には余り危険な仕事はさせないでくれよ!」とボーシン(土方の親方の俗称)によく頼んだものだ。
今の我輩は既に60歳どころか70歳代の半ばを越した。
身体の動きは自分でも驚くほど衰えている。
まして膝を痛めている現在はちょっとしたことで身体がよろめくのだ。
その時に側に何か捕まるものがあればいいのだが、普通は何も捕まる物がないのが相場だ。
家の中ではアチコチに捕まるものがあるからいいようなものだが・・・・。
そういえば現役時代の悪餓鬼の仕事仲間の一人に脳梗塞で倒れ、回復して勤務についた者がいたが、その動作は危なかっしい限りだった。
ある朝、顔に擦り傷をつけて絆創膏や赤チンをやたらにぬったり、貼り付けて出勤してきた。
「おい!どうしたのだ?」
「な~に 転んだだけだよ」と済ましている。
それにしても顔に傷とは?よく聞くと、何のことはない。
赤ちゃんと同じく前に転んだときに手を付かずに相撲ではあるまいし顔で身体を受けたのだ。
「おまえ、何故手を使わなかったのだ?」と言うと急に怒り出した。
「俺の身体が不自由なのを知らないのか?」
「なにいってんだ、左手は使えるだろう?」
「馬鹿 野郎!左手が使えれば使ってるさ・・・」
「じゅあ 何故 手を使って顔を防がなかった?」
「左手にはな~ァ~荷物を持っていたのだ」
「なに!荷物?そんなもの投げ出しても顔を庇うのものだぞ!」
「お前とは話にならん!」そう怒って部屋を出て行った。
後で別の仲間に聞くと、そのような瞬時の際には左手もそれに対応しないらしい?
気の毒なことを言ったものだ。
2~3年前に風呂場の改造をした時にオプションで浴室周りに捕まり棒を数箇所設置した。
お陰で今は随分と助かっている。
ドアーもガラスを避けてアクリルとした。床もノンスリップ材だ。
また、話が逸れた。
所属している会で打ち合わせがあり出席した。
よく聞き取れないので何度も聞き返す。されど意味が判らない!
相手の方も親切に何度も答えて戴く。
然し、ものには限度があるようだ。会議に出るのはもうやめようと思う。
出ても頭の鈍い所為か理解が遅い。
また、理解していて、我輩の意見を言うと、どうもトンチンカンな意見になるようだ。
これでは、どうも我輩は認知症を疑われているように思える。
身体も、さることながら頭の回転も鈍くなり、オマケに言葉も不確かなものになっているのではと相手の方は思ってきた様子を感じる。
自分では76歳で未だ元気だ!なんて思っていても相手の方はそうは思って頂けない。
以前 読んだ本に昭和天皇の侍医をされていた方の息子さん(医師)が書かれた本があった。その中に既に現役を退官されて80歳代になられたお父上(元天皇の侍医)のところにTV局から何らかのことで出演依頼があった。息子さんのお医者さんは近頃の父上には何か、その言動に不確かなものがあると感じていて出来れば出演は控えて貰いたかったが、父は引き受けてしまった。そこで出演内容を聞き、その問答を父上と予習されたそうである。その時は何事もなく、自分の思い過ごしだったか?とやや安心されたそうである。
然し、いざTVに出演された時には相手の質問には殆ど答えられなかった?とか?既に認知症の初期が始まっていた。と言う記事があった。お医者さんの息子さんでも父上の認知症の初期症状を見逃していたのだ。素人では尚更その判断は難しい。
今の我輩自身もそうであるかも知れない?
車を運転している時によく指文字の練習をする。
今日(2/19)のことであった。
いつものように渋滞している道で運転しながら片手(右手)で指文字の練習をしていた。すると突然 目の前に横道から大きなワゴン車が飛び出てきた。
ビックリして急ブレーキを踏んだ。
我輩の車の前にボンネットを少し出した車の窓から運転者が我輩を睨んでいる。
はて?何をしたのだろう?と思ったがわからない。
その車の前をユックリと通り過ぎて前に出て進んだ。
瞬間 理由が分かったのだ。
我輩の指文字がサ行の「ソ」を示していた。
向こうから見れば、「どうぞ・・・」のように見えたのだ。
それでいて我輩の車はユックリと進んで止まらなかったのだ。
これでは怒るわけだ。後ろについた車にその場は心で謝るしかない。
今度はそのようなことの無いように車の運転中の指文字の練習はしないことにした。
やはり指文字の練習はトイレの中がいちばんいい!
トイレの目の前のドアーに指文字の50音図や手話の形の表が貼り付けてある。
「ア行」から「ん」間での時間も時には計っている。
安物だがストップ・ウオッチも側に置いてある。
今では短い文章を全て指文字を使う練習に入った。
それでもイザと言う時に肝心な指文字が出てこない!思い出さないのだ!
くそ爺も認知症の初期症状に入ったかな?
TVでしきりにイージス艦「あたご」の報道をしている。
アナウンサーやコメンターの方がしきりに「あたご」「あたご」と言われている。
そこえ我輩がパソコンで囲碁を打ちながら・・・・
「おい!アナゴか~ァ 俺は好きだよ・・・」側のカミさんから何の返事もない。
「おいどうしたんだ?」
「あんた?今 なんと言った?」
「うんん?アナゴだよ!おれは好きだな~近頃余りたべないな~ァ?」
カミさんが不審な顔をして我輩を見つめていた。
「うんんん????」
「お年は?」とよく聞かれる。その時は
「76歳です」と素直に答えている。
「お若いですね~」と言われる時は些(イササ)か 捻(ヒネ)くれた、この爺には
「(それにしては)幼いですね~ェ?」とも聞こえる、が単に
「76歳になられて居られるのですか?」とわざわざ歳の数を言われる方もある。
これなど、もっとお歳に見えますよ、というニュアンスにも感じられる。
相手の方は、どちらを、どのように解釈して言っておられるのだろうか?と思う。
コレらはまだいいほうだ。
或る集まりで、なにやらグループで話されている中に偶々(タマタマ)その場に居て、グループの話がよく聞き分けられないので、ただ黙っていると唐突に誰かさんから
「○○さんは・・・・」となにやら質問を我輩に問いかけられたことがある。
問いかけの意味がわからないので答えようがない。そこで
「何ですか?」と問い直すと、もう駄目だ。
相手の方はコリャダメだ?年寄りには無理だ!となる感じだ。
我輩も、もう、そのような年寄りの仲間に入ったのだなと痛切に思う。
そのような時は遭えて聞き返さない。
この瞬間に我輩のその場における存在価値はそこにない!と、いって狭い部屋では行き場はない。
そのまま、そこに時間まで居るしかない。
場合によっては時機を見て帰ることにしている。
我輩も若い頃を考えれば、そのような事があったな~ァ と振り返る。
現場で仕事をしていると職人さんの中に数人は60歳以上と思える方が見られたが、一緒に仕事をしている若い衆から余り声をかけられないのだ。
それでも不平も言わずにコツコツと仕事をこなしておられた姿を思い出す。
ご自分の立場を心得ていらっしゃるようだった。
我々監督の立場からすると怪我をされるのが一番怖い。それゆえ
「年寄りの方には余り危険な仕事はさせないでくれよ!」とボーシン(土方の親方の俗称)によく頼んだものだ。
今の我輩は既に60歳どころか70歳代の半ばを越した。
歳を取った
ことを認識する必要があるようだ。身体の動きは自分でも驚くほど衰えている。
まして膝を痛めている現在はちょっとしたことで身体がよろめくのだ。
その時に側に何か捕まるものがあればいいのだが、普通は何も捕まる物がないのが相場だ。
家の中ではアチコチに捕まるものがあるからいいようなものだが・・・・。
そういえば現役時代の悪餓鬼の仕事仲間の一人に脳梗塞で倒れ、回復して勤務についた者がいたが、その動作は危なかっしい限りだった。
ある朝、顔に擦り傷をつけて絆創膏や赤チンをやたらにぬったり、貼り付けて出勤してきた。
「おい!どうしたのだ?」
「な~に 転んだだけだよ」と済ましている。
それにしても顔に傷とは?よく聞くと、何のことはない。
赤ちゃんと同じく前に転んだときに手を付かずに相撲ではあるまいし顔で身体を受けたのだ。
「おまえ、何故手を使わなかったのだ?」と言うと急に怒り出した。
「俺の身体が不自由なのを知らないのか?」
「なにいってんだ、左手は使えるだろう?」
「馬鹿 野郎!左手が使えれば使ってるさ・・・」
「じゅあ 何故 手を使って顔を防がなかった?」
「左手にはな~ァ~荷物を持っていたのだ」
「なに!荷物?そんなもの投げ出しても顔を庇うのものだぞ!」
「お前とは話にならん!」そう怒って部屋を出て行った。
後で別の仲間に聞くと、そのような瞬時の際には左手もそれに対応しないらしい?
気の毒なことを言ったものだ。
2~3年前に風呂場の改造をした時にオプションで浴室周りに捕まり棒を数箇所設置した。
お陰で今は随分と助かっている。
ドアーもガラスを避けてアクリルとした。床もノンスリップ材だ。
また、話が逸れた。
所属している会で打ち合わせがあり出席した。
よく聞き取れないので何度も聞き返す。されど意味が判らない!
相手の方も親切に何度も答えて戴く。
然し、ものには限度があるようだ。会議に出るのはもうやめようと思う。
出ても頭の鈍い所為か理解が遅い。
また、理解していて、我輩の意見を言うと、どうもトンチンカンな意見になるようだ。
これでは、どうも我輩は認知症を疑われているように思える。
身体も、さることながら頭の回転も鈍くなり、オマケに言葉も不確かなものになっているのではと相手の方は思ってきた様子を感じる。
自分では76歳で未だ元気だ!なんて思っていても相手の方はそうは思って頂けない。
以前 読んだ本に昭和天皇の侍医をされていた方の息子さん(医師)が書かれた本があった。その中に既に現役を退官されて80歳代になられたお父上(元天皇の侍医)のところにTV局から何らかのことで出演依頼があった。息子さんのお医者さんは近頃の父上には何か、その言動に不確かなものがあると感じていて出来れば出演は控えて貰いたかったが、父は引き受けてしまった。そこで出演内容を聞き、その問答を父上と予習されたそうである。その時は何事もなく、自分の思い過ごしだったか?とやや安心されたそうである。
然し、いざTVに出演された時には相手の質問には殆ど答えられなかった?とか?既に認知症の初期が始まっていた。と言う記事があった。お医者さんの息子さんでも父上の認知症の初期症状を見逃していたのだ。素人では尚更その判断は難しい。
今の我輩自身もそうであるかも知れない?
車を運転している時によく指文字の練習をする。
今日(2/19)のことであった。
いつものように渋滞している道で運転しながら片手(右手)で指文字の練習をしていた。すると突然 目の前に横道から大きなワゴン車が飛び出てきた。
ビックリして急ブレーキを踏んだ。
我輩の車の前にボンネットを少し出した車の窓から運転者が我輩を睨んでいる。
はて?何をしたのだろう?と思ったがわからない。
その車の前をユックリと通り過ぎて前に出て進んだ。
瞬間 理由が分かったのだ。
我輩の指文字がサ行の「ソ」を示していた。
向こうから見れば、「どうぞ・・・」のように見えたのだ。
それでいて我輩の車はユックリと進んで止まらなかったのだ。
これでは怒るわけだ。後ろについた車にその場は心で謝るしかない。
今度はそのようなことの無いように車の運転中の指文字の練習はしないことにした。
やはり指文字の練習はトイレの中がいちばんいい!
トイレの目の前のドアーに指文字の50音図や手話の形の表が貼り付けてある。
「ア行」から「ん」間での時間も時には計っている。
安物だがストップ・ウオッチも側に置いてある。
今では短い文章を全て指文字を使う練習に入った。
それでもイザと言う時に肝心な指文字が出てこない!思い出さないのだ!
くそ爺も認知症の初期症状に入ったかな?
TVでしきりにイージス艦「あたご」の報道をしている。
アナウンサーやコメンターの方がしきりに「あたご」「あたご」と言われている。
そこえ我輩がパソコンで囲碁を打ちながら・・・・
「おい!アナゴか~ァ 俺は好きだよ・・・」側のカミさんから何の返事もない。
「おいどうしたんだ?」
「あんた?今 なんと言った?」
「うんん?アナゴだよ!おれは好きだな~近頃余りたべないな~ァ?」
カミさんが不審な顔をして我輩を見つめていた。
「うんんん????」
風呂の出入り、階段の上り下りも捕まり棒無意識に頼る後期高齢者です。
運転中の指文字、気を付けてください。
わが身の部品もアレコレと故障してきました。
今はまた、目です。昨日も眼科に行って来ました。
車で行ったために検査が出来ないから今度は歩いて来て下さいと言われました。
イヨイヨですね~ェ
車の運転中の手話の練習は止めました。如何に渋滞中といえども危険でした。
誰かが80歳過ぎたら末期高齢者と言うのかなと皮肉っていました。誰が誰のために考えのでしょうね。
その次は「臨終高齢者」?ですかね?