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http://mainichi.jp/opinion/news/20130918ddm003070163000c.html 以下全文
水説:選択的発信力とは=倉重篤郎
毎日新聞 2013年09月18日 東京朝刊
<sui−setsu>
むしろ、新聞、テレビなどメディア報道が日中関係悪化に一役買っているのではないか。中国報道最前線の特派員らがそんな問題意識でつづった本が出版された。
「日中対立を超える『発信力』」(段躍中編・日本僑報社)だ。
それによると、彼らの共通の悩みは、反日デモや尖閣問題を正確、詳細にニュース報道する記者としての使命感と、それが日本側の反発を呼び、その報道がさらに中国側を刺激し、結果的に日中間に不信と憎悪の連鎖を作ることのジレンマにある。
この悪循環を克服する道はあるのか。各社の試行錯誤が紹介されている。
例えば、読売新聞は、2012年9月の荒れ狂う反日デモ行進の中で、1人うつむき加減に歩く若い女性を写真付きで取り上げた。
女性が両手に抱えるプラカードには以下の文字が書き込まれていた。
「私たちの領土は殴ったり、壊したり、焼いたりして守るものじゃない。今は文革でもない。私たちのオリンピックは全世界がみんな見た。傷つけるのはやめて。私は、私たちの祖国が愛に満ちあふれていることを知っている」
同社北京支局が、ネットからこの写真を発見、まずは、撮影したフリーカメラマンを見つけ出し、そこから女性にたどり着き、改めて取材して記事にしたもの。
女性が文句を一晩じっくり考えたこと、興奮する群衆の中で恐怖を感じたが自分の意見を表現する道を選んだこと、しばらくたってプラカードが奪われ破られたことが記されている。
「矛盾だらけの中国という国家と、文化や知恵に富み義理人情に厚い中国人とを混同しない」(朝日特派員)、「善悪二元論的報道を避け領土問題も政府の立場に縛られない多様な視野を提供する」(共同特派員)、「大型インタビューで、人権や環境などさまざまな分野で中国政府と一線を画す中国人の率直な意見を紹介する」(毎日特派員)。
それぞれの努力と工夫がある。
中国側もまたしかり。
経済担当の日本駐在ジャーナリストが「不得意な靖国や領土問題についての執筆依頼が多く結果的に一部の過激な政治家が日本を代表するような印象になってしまった」と嘆く。
歴史は必然的に選択的である、と論じたのは英国の歴史家E・H・カーだ。
あらゆる事実から歴史家が自らの価値観で特定の事実を拾い上げ歴史を編むのである。
歴史を日々報道するメディアの世界も似た作業が必要だ。多様な視点とバランス感覚。そして読者の選択的に読み解く能力である。(専門編集委員)
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つぶやき
先日読んだ「永遠のゼロ」 の主人公は大日本帝国海軍空軍のゼロ戦闘機乗りである。戦況が悪化して「特攻」志願の是非を問われる。
「参加希望する者は一歩前に」 「参加しない者はそのまま」 殆どのパイロットが「参加する」 に応募して一歩 前に出た。中にそのままの位置にいた ただ一人が主人公の戦闘機乗りである。 同僚からさげすまれる目に晒されながらも自己の主張を通す。
そのようなことは あの時代には不可能と私は思っていたが・・・この本を読み随分と考えさせられた。そういう勇気のある戦闘機乗りも居たのかな?と思う。大変な勇気である。
勿論 上官から殴られるが怯むことはない。最後まで意志を貫くが遂に「特攻」(*命令) で未帰還機の一人となる。
先日 駅前の本屋に行くと単行本となり平積みで売られていた。文庫本でなく もう一度読んでみたいと今は購入を考えている。 本には文庫本にない地図が載っていた。
「正しい」と自分が思うことが国の意志に反することでも怯まず主張する勇気こそ「真の勇気」ではないか? 私には残念ながらなかった。今もない・・・。悔やまれることである。
「言うは易く行うは難し」
楊式剣 (52式): 日に日に涼しくなってきた。季節の変わり目か?身体がだるくアタマの回転も ピンとこなくなった。 公園で一人するツルギの練習もあるところでピタッと止まる。 止まると先に進まない。 どうしても思い出さないのだな~ それでも最初からやるも同じところでまた止まってしまう。
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