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http://mainichi.jp/opinion/news/20131226k0000m070142000c.html 以下全文
発信箱:書の美=勝田友巳
毎日新聞 2013年12月26日 00時09分(最終更新 12月26日 00時32分)
1948年、書が日展の5番目の科として採用された時、書道界の大御所、手島右卿(てしまゆうけい)はこう書いた。
「書道は今や単なる趣味道、修養道の域を超えて新文化国建設の一翼を担うべく一大生命の前に立たされた」(小野寺啓治著「現代書道史1」、萱原書房)。
書は江戸時代まで技巧と思想の表現の極みとして重視されながら、明治期の西洋文化流入と第二次世界大戦の敗北を経て、当時は他の芸術から一段低い扱いに甘んじていた。
日展参加は書道界を挙げての熱望だった。
その日展で、書の審査を巡る不公平が明るみに出た。
会派別に入選作品数の割り当てが決まっていたというのだ。
調査した第三者委員会の報告書は、書の分野は生涯続く師弟関係に支えられ、「日本芸術院会員を頂点とし一般公募者を底辺とするヒエラルキー」「長老支配」があると指摘した。
西洋的な美術の仲間入りをしながら、極めて日本的なまま。泉下の手島も、眉をひそめていよう。
書は芸術の中でも難しそう。
書きぶりの美しさは、3000年の研究と洗練の結果。鑑賞には素養を求められる−−。と思っていたが、五島美術館の名児耶明(なごやあきら)・学芸部長は「見て素直に、いいと思えればいいんですよ」。それに、と続ける。
「名品の鑑賞法を、教育現場で教えるべきだ」。分かる人だけの世界となれば、閉鎖的になっていく。
「書の文化を失うことは、日本の個性を失うこと」と名児耶さん。
その文化の基盤には、技術や精神を継承する強固な師弟関係がある。
同時にそれが、審査の不公平の温床ともなった。日展は改善策の検討に入った。
伝統と公平性の両方への目配りが、改めて求められている。(学芸部)
寒くなった。冬だから当たり前だが・・・。昨日 ガソリンは満タンにした。プールはあと2日・・・28日から5日までお休みだ。 どうしよう?
書道:先輩のおっしゃる通りと思います。書芸で各流派が、それぞれが、がんばればよいものを。道に統一となれば、入選者の数の分配は至極当然です。しかし本当に良い物を良いと感じるにはそれなりの眼力も要りますが。
各流派の先生が地方に来れば、一枚10万円の色紙が飛ぶように地方の先生や生徒に売れ、100枚なら1千万円とか。道でなく芸でいいのでは。
柔道、空手道。いずれも道と名前だけ替えて、現実はスポーツの道をたどっています。
実態(権威と金)と乖離した(道)を名乗るのは先達に対し、申し訳ないと思います。
術を通して道を歩み、道に到る~使うことのない平和な現代では、到る人は少なくとも、私は動ける間は道を歩みたいと思います。
~と、大げさなことを踏まえて、世界に冠たる接近戦の頂点、太極拳法が太極拳道にならなければよいのですが、日本での太極拳は歴史が浅いので、まだそれ以前の問題ですか。(笑)
草々
外道拝
>各流派の先生が地方に来れば・・・
これはよく聞く話ですね。私はとてもお付き合いできませんが・・・。
太極拳道・・・これは何時しかそうなるかもです。
中国から苦情がくるかも?苦笑
太極拳は今のところ そのままでは?それから簡化24式は日本が一番 熱心に取り組んでいるそうです。24式は中国では「あれは太極拳ではない」とまで言われていると聞いたことがあります。私にはよく判りませんが?