40万都市の片隅に眠る英霊 この言葉も若しかしてGHQにより
使用禁止になった言葉かも知れません。
戦いに敗れるということは言葉を失うことに通じるのでは?或いは
本来持っていた文化(風俗、習慣,信仰、全て)まで・・・。
坂道を登ったところはやや広い公園のような場所であった。


この広場に入った直ぐ側の右側にある碑もん




剥ぎ取られた?私にはよく判らない?

お花の一束も持参しなかったことを悔やむ


私の知らない事実(史実)を見た!





入り口近くに男女の方が見えて丁寧に碑もんに手を合わせて回れていた。
丁度私と反対側で顔も、挨拶も交わすことはなかった。
この静かな公園墓地を帰路に着く

少し下ると左手に、もう市街地がみえるが、ここはなんと静かなことでしょう。

直ぐ下は国道16号線だ。門の脇に置いていた自転車で帰路につく。
ここまで帰れば我が家は直ぐそこだ。この坂道を最近は電動自転車ながら
慣れたのか最後までペタルから降りることなく登りきる。

登り切るといっても息は切れる。呼吸も辛い。然し、後は我が家まで
等高線に従った平らな100Mばかりの道だ。
我が家に入ると先ず水を一杯飲み、身体の汗をふく。
わずか5~6分間の坂道でも汗をビッショリ掻く。
ホットして居間に横になる。
なんだか?えらい仕事?か、なにかしたみたい?
これでこの墓前祭は終わりとします。
実はこの墓地に行くまでと帰ってからも理解しがたい経験をした。
行くときに自転車で転んだ。
その時に打った膝が今もって痣にになり内出血している。
未だに治らない。10日以上も経った今は内出血も少し薄れた。
早朝、この記事をブログに掲載中 側の本棚から何もしないのに本がおちた。
右側の棚に置いてあったテッシュ・ペーパーの軽い箱が落ち床に立っていた。
これらは、偶然なことと思うが・・・・。
変な音もした。難聴の私に聞こえる。戸袋?ガサッと言う音。
振り返り部屋の中を見回すが異常はない。然し誰かがいる人の気配はした。
時に悪寒も背中に走った。
記事投稿も2度も文章画像が消えた。
これは私の不手際と思うが・・・・。
午前3時まえから書き始め今 投稿が終わる。早くも5時半だ。
さてっと窓でもたまには私があけるか?
今、窓を開けると嵐の前触れのような雨が降り、風も少々ある。


この広場に入った直ぐ側の右側にある碑もん




剥ぎ取られた?私にはよく判らない?

お花の一束も持参しなかったことを悔やむ


私の知らない事実(史実)を見た!





下記は参考HP
横須賀市公式ホーム・ページ
市営場門山墓地(旧横須賀海軍基地)
http://y-suikoukai.daa.jp/topics/history/mamonzan_bochi.html
鎮魂の霊地 横須賀海軍馬門山墓地http://www.asahi-net.or.jp/~un3k-mn/0815-2yoko.htm
少々ブログが暗い感じになったので終わりに横須賀市の
ピンポイントのお天気情報のHPを付記します。
横須賀ピン・ポイントお天気
http://yokosuka.wni.co.jp/これはブック・マークに入れたほうがべんりかな?
カミさんは、そのようなことは全くないと言っています。時々私が、不意に「おい地震だ!」と叫びます。
カミさんは全く信じませんが、やがてTVで放送されると信じます。耳が悪い分何かの神経が補佐しているのしょうね?私はP波を感じるのではないかと思っています。
私が叫んで早ければ3~5秒、遅くとも10秒くらいで地震がきます。
義母が危篤で病室に来た時、子供たちは”線香の匂いがする“と話していました。義母は数時間後になくなりました。
さらに義父が義母の写真数枚撮っていたのですが写っていませんでした。義父は「へんだなあ~と、不思議がっていました。
カミさんは全く信じません。時に工学部出身の私が変なことを言うものですから不思議がっています。
今は私が何を言ってもカミさんは驚きません。