今朝も寝坊して起きたのは6時ころでした。
最近はカミさんが早起きをしてなにやら家の中のことをしています。
居間にはいつも既に暖房が入っていて暖かいのです。
庭に降りて寒暖計の温度を確かめるのも日課になりました。
今朝は6時半で14度でした。
空は薄い雲で覆われて、これなら案外 日中は晴れるのかな?と思います。
きょうはジムに行く日なので食後は車で出かけます。
私はプールで水中歩きでカミさんは筋力強化の機械に取り組みます。
カミさんは筋力をつけるのも、そして体重を増やすのも目的のようです。
我輩は膝を治すのが第一目的で後は体重を減らすのが今のところ第二目的です。
???体重を落とせば必然的に膝の痛みもなおるのかな?では第一も第二ないですね。
とにもかくにも自然に歩きたい。
TVのニュースを見れば消費税でもめていますね~
国民新党など現代版「下克上(ゲコクジョウ)」ですよ。大臣の椅子は魅力があるのですね~
亀の首を刎ねて城主になった大臣・・・

//////////////////////////////////////////////
火論:紛争の季節=玉木研二 (毎日新聞:火論)
毎日新聞 2012年03月27日 東京朝刊
<ka−ron>
http://mainichi.jp/opinion/news/20120327ddm003070123000c.html 以下全文
火論:紛争の季節=玉木研二
毎日新聞 2012年03月27日 東京朝刊
<ka−ron>
「大学へのベルトコンベヤーで、高校ではもはや師弟の情などは味わえるものではなくなってしまいました。私たちは先生の名を、先生方は私たちの名前さえ知らずに過ごしてきたではありませんか」
1968年3月1日、福島の県立高校卒業式で生徒会長が事前に教師の目を通したのと全く別の「送辞」を読み上げ、会場がざわめいた。
同日。京都の府立校では送辞がベトナム戦争を批判し、答辞は「無気力と無関心を打ち破り、日本と日本の教育の現状打破に立ちあがろうではありませんか」と応じた。
翌日の毎日新聞(東京)は<型破りの送・答辞>の見出しで<現代っ子らしい一面>と評している。だが、受験一辺倒教育への失望と反発、政治的関心や行動への欲求を記事が直視した気配はない。高校紛争は全国に広がった。
先月出版された教育ジャーナリスト小林哲夫氏の「高校紛争 1969−1970」(中公新書)は校史、ビラ、機関紙、証言など残る資料、当事者たちへのインタビューを積み上げた。読みながら、時にジンとしたのは、私がそこに描かれた高校生たちと同世代だからだろう。
程度に差はあれ、あの空気は多くの学校を包んだ。
私の高校は、瀬戸内の至ってのどかな学校だった。それでも生徒たちは校則(日没後は男女が連れ立ってはならぬ、といった類い)改正を求めたり、同級生が檄文(げきぶん)を配って処分されるなどのさざ波は立った。デモ用ヘルメットとタオルを持っていた者もいる。
文化祭で校庭で生徒たちが校長と話そうとしたら、なぜキミは制服を着ていないのか、と校長が言ってかみ合わず、失望したものだ。
市内の別の高校卒業式では、校長の前で女子生徒が証書を受け取るや破り捨てた。
米空母エンタープライズ佐世保寄港では「先進校」から女子生徒がオルグに来た。感心して聴くばかりで「連帯」することはなかったが、彼女はひとしきり、状況の切迫を語って帰って行った。どうしているだろう。
同書が紛争のピークに挙げるのは69年9月から70年3月。エスカレートし、封鎖や占拠が各地で起き、機動隊導入や生徒の逮捕が相次いだ。
大学紛争や他校の動きの刺激もある。「おもしろい」という側面もあったに違いない。しかし、高校生たちの独自の動機、思考、焦慮を抜きにしては、あの運動や空気の広がりは説明できない。
制服廃止など紛争を機に変わったことも少なくない。しかし、高校教育の改革という根本的な提起は、風に吹かれたままだ。(専門編集委員)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
つぶやき
当時 私の卒業した広島の高校も嵐が吹き荒れていました、新聞のニュースを見て驚きもしたし、あの質実剛健を旨とした私立の男子校が・・・と時代の流れに流される姿を新聞で目にするたびに何も出来ず傍観した自分は ただただ仕事に励み?自分を忘れた思いがあります。嵐の吹き荒れた後 割られた校舎の窓ガラス・・何故?と言う気持ちは今も変わらない。あの嵐は全国に広がり一部の学生が全生徒を制圧した様子は実におぞましい限りだった。気がつけばいつの間にか嵐は通り過ぎあの騒ぎは収まり ほッ としたものです。
あのような時代もありました。
現在60歳プラス・マイナス(+・-)3歳くらいの方々の世代でしょうか?もの凄い全国的な学園闘争だったですね。先生方も為すすべを失っていたように感じました。

「高校紛争 1969−1970」・・・読んでみたいですね。
http://www.chuko.co.jp/shinsho/2012/02/102149.html
+関連ブログ ↓
http://blog.goo.ne.jp/kurukuru2180/e/34a84843f12bba635b2ff0aa1b27849e
最近はカミさんが早起きをしてなにやら家の中のことをしています。
居間にはいつも既に暖房が入っていて暖かいのです。
庭に降りて寒暖計の温度を確かめるのも日課になりました。
今朝は6時半で14度でした。
空は薄い雲で覆われて、これなら案外 日中は晴れるのかな?と思います。
きょうはジムに行く日なので食後は車で出かけます。
私はプールで水中歩きでカミさんは筋力強化の機械に取り組みます。
カミさんは筋力をつけるのも、そして体重を増やすのも目的のようです。
我輩は膝を治すのが第一目的で後は体重を減らすのが今のところ第二目的です。
???体重を落とせば必然的に膝の痛みもなおるのかな?では第一も第二ないですね。
とにもかくにも自然に歩きたい。
TVのニュースを見れば消費税でもめていますね~
国民新党など現代版「下克上(ゲコクジョウ)」ですよ。大臣の椅子は魅力があるのですね~
亀の首を刎ねて城主になった大臣・・・

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火論:紛争の季節=玉木研二 (毎日新聞:火論)
毎日新聞 2012年03月27日 東京朝刊
<ka−ron>
http://mainichi.jp/opinion/news/20120327ddm003070123000c.html 以下全文
火論:紛争の季節=玉木研二
毎日新聞 2012年03月27日 東京朝刊
<ka−ron>
「大学へのベルトコンベヤーで、高校ではもはや師弟の情などは味わえるものではなくなってしまいました。私たちは先生の名を、先生方は私たちの名前さえ知らずに過ごしてきたではありませんか」
1968年3月1日、福島の県立高校卒業式で生徒会長が事前に教師の目を通したのと全く別の「送辞」を読み上げ、会場がざわめいた。
同日。京都の府立校では送辞がベトナム戦争を批判し、答辞は「無気力と無関心を打ち破り、日本と日本の教育の現状打破に立ちあがろうではありませんか」と応じた。
翌日の毎日新聞(東京)は<型破りの送・答辞>の見出しで<現代っ子らしい一面>と評している。だが、受験一辺倒教育への失望と反発、政治的関心や行動への欲求を記事が直視した気配はない。高校紛争は全国に広がった。
先月出版された教育ジャーナリスト小林哲夫氏の「高校紛争 1969−1970」(中公新書)は校史、ビラ、機関紙、証言など残る資料、当事者たちへのインタビューを積み上げた。読みながら、時にジンとしたのは、私がそこに描かれた高校生たちと同世代だからだろう。
程度に差はあれ、あの空気は多くの学校を包んだ。
私の高校は、瀬戸内の至ってのどかな学校だった。それでも生徒たちは校則(日没後は男女が連れ立ってはならぬ、といった類い)改正を求めたり、同級生が檄文(げきぶん)を配って処分されるなどのさざ波は立った。デモ用ヘルメットとタオルを持っていた者もいる。
文化祭で校庭で生徒たちが校長と話そうとしたら、なぜキミは制服を着ていないのか、と校長が言ってかみ合わず、失望したものだ。
市内の別の高校卒業式では、校長の前で女子生徒が証書を受け取るや破り捨てた。
米空母エンタープライズ佐世保寄港では「先進校」から女子生徒がオルグに来た。感心して聴くばかりで「連帯」することはなかったが、彼女はひとしきり、状況の切迫を語って帰って行った。どうしているだろう。
同書が紛争のピークに挙げるのは69年9月から70年3月。エスカレートし、封鎖や占拠が各地で起き、機動隊導入や生徒の逮捕が相次いだ。
大学紛争や他校の動きの刺激もある。「おもしろい」という側面もあったに違いない。しかし、高校生たちの独自の動機、思考、焦慮を抜きにしては、あの運動や空気の広がりは説明できない。
制服廃止など紛争を機に変わったことも少なくない。しかし、高校教育の改革という根本的な提起は、風に吹かれたままだ。(専門編集委員)
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つぶやき
当時 私の卒業した広島の高校も嵐が吹き荒れていました、新聞のニュースを見て驚きもしたし、あの質実剛健を旨とした私立の男子校が・・・と時代の流れに流される姿を新聞で目にするたびに何も出来ず傍観した自分は ただただ仕事に励み?自分を忘れた思いがあります。嵐の吹き荒れた後 割られた校舎の窓ガラス・・何故?と言う気持ちは今も変わらない。あの嵐は全国に広がり一部の学生が全生徒を制圧した様子は実におぞましい限りだった。気がつけばいつの間にか嵐は通り過ぎあの騒ぎは収まり ほッ としたものです。
あのような時代もありました。
現在60歳プラス・マイナス(+・-)3歳くらいの方々の世代でしょうか?もの凄い全国的な学園闘争だったですね。先生方も為すすべを失っていたように感じました。

「高校紛争 1969−1970」・・・読んでみたいですね。
http://www.chuko.co.jp/shinsho/2012/02/102149.html
+関連ブログ ↓
http://blog.goo.ne.jp/kurukuru2180/e/34a84843f12bba635b2ff0aa1b27849e
今朝の広島は春らしい快適な朝になりました!
之で広島の桜も一気に咲く事でしょう。
今週も元気に頑張りましょ~!
!(^^)!バイ・バ~ィ!
いつも応援&コメント有難うございます。