還り見れば酔生夢死か?

80歳代の聾人でネットの話題を書いています。足が悪いので家で得ることが出来るネット情報と私自身の唯我独尊の偏向文です。

雨の錦帯橋を渡る

2008-11-09 06:23:56 | ネタ

雨の錦帯橋を渡る

錦帯橋を渡るのは半世紀ぶりと言ってよいだろう?カミさんと渡るのは30年か?40年前のことと思う。



生憎と雨で濡れていて滑りやすい年寄りには向いていなかったが、痛む膝を庇いながら一段(?)づつ 昇り下りして渡るだけで草臥れたものだ。



錦帯橋の上から下流を望む。足元が濡れていて歩きつらい!



吉川公園の一画?に建つ興味をそそった建物 遠くから見ただけ・・



馬鹿の石?お店の中を見てみたかったが我輩の連れの者?がスタスタと行ってしまい入れなかった。興味は湧かなかったようだ。我輩は同類の親近感を覚えたのだが

カミさんは無関係のようだったな・・・




この白蛇は餌の鼠を食べているところです。鼠の尻尾がまだ白蛇の口から少し出ています。この尻尾は次の写真を撮る時は既に飲み込まれていた。白蛇の目は本来ウサギのように目は赤いのですが、デジカメの赤め補正が効いたようです(苦笑)



旅館の前に建っていた重厚な民家?門や家の造りに見とれた。昔はこの前の道路が主な通りであったが、今は別に広い道路が出来てこの道路は一方通行になっていた。



昔の我家の外観はその面影をなくしていた。外壁の簓下見板壁は取り払われモルタル塗り壁になっていた。辛うじて入母屋つくりの屋根だけは変わらない。

玄関の引き戸の連子格子戸も取り替えられていた。勿体ないと思うがどうしようもない。塀もブロック塀になっていて昔の板塀も取り払われていた。

広かった裏庭は大きな建物が増築されて全く見る影もない。

この家の前に幅一間 深さ30CM位のドブがあった。ドブと言っても私の姉はこのドブで水遊びをしていたというから当時(昭和7~8年)は綺麗な水が流れていたようだ。

今はコンクリートの蓋がしてあり道路も4m 近く広がっている。

そういえば、我輩が学生のころは、このドブで泳いでいる2mくらいの白蛇をよく見たものだ。ただ見るだけで棒で追いかけたり、殺生は誰もしなかった。

亡父の話によると人絹工場の建設当時 工場敷地内に繁っていた葦の中に白蛇がウジャ・ウジャいたと聞いた。今は先ず見ることはないらしい?



現在の岩国駅の改札口


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8 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
岩国 (沼じじ)
2008-11-09 10:43:10
岩国はosamuさんの故郷ですよね?
故郷に我が家が残っていて思い出一杯でいいですね。
私など故郷の我が家はさら地となり寂しい限りです。

それにしても雨に煙る錦帯橋情緒が溢れていますね。
実物を見たいです(パソコンで調べます)

白蛇棲む岩国を垣間見ることが出来ました。
有難うございます。
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故郷 (ゆら)
2008-11-09 14:35:59
osamuさま、こんにちは。。
今年5月に岩国に行ってきました。
ブログのお友達で観光ボランティアをなさっている方がいて、1時間30分ばかりでしたがお城山から吉香神社、シロヘビ観覧所、錦帯橋と見学してきました。
シロヘビが鼠を食べる話だけでもぞっとしちゃいますね。
岩国石人形ミニ資料館、ここは入って見てきましたよ~
なんと言う昆虫だか忘れましたが、その水生昆虫が川底の小石や砂を集めて造るのだそうです。
清らかな錦川の流れ、緑豊かなお城山、郷土色豊かで人情も厚い岩国がとってもお気に入りの町です。
故郷があるosamuさまがうらやまし~~です。
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osamuさんへ (Unknown)
2008-11-09 14:37:16
折角半世紀ぶりに我が家に戻ったと言うのに雨に降られて残念でしたね。日本は本当に良く雨の降るお国ですね。私は岩国は余り詳しく有りませんが、それでも錦帯橋は未だ母が生存していた時が最後に一緒に渡った橋なので懐かしいです。岩国駅も昨年姉夫婦を訪問した折に出入りした駅なので見覚えなくても懐かしいです。osamuさんに取っても浦島太郎同様ですね。然し我が家が未だに弟さんに受け継がれているなんて懐かしかった事でしょう。姉夫婦の家も古い家で昔のままでしたが近所の様子がすっかり変わっていました。
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沼じじさんへ (osamu)
2008-11-09 19:03:42
雨に濡れた錦帯橋はすべり易く、特に下りは膝が痛みました。白蛇は子供の時から見慣れていますので珍しくないですが、大勢の観光客の方が見ておられました。パソコンで調べてみて頂くとは嬉しい限りです。
古い家は既に80年くらい経っていますが外見はシッカリとしていましたね。ただ昔の重厚な感じはなくなっていました。戦後の”文化住宅”のように見えました。
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ゆらさん へ (osamu)
2008-11-09 19:20:00
”よう きんさったのォ~”と言うのが岩国弁でしょうか?久し振りにこのような言葉に接しました。

「岩国石人形ミニ資料館」入られたのですね。我家のカミさんは見向きもしませんでした。私が入ってみようと言ったのですが無視されました
故郷で喧嘩も出来ず。渋々ついて行きました。でも咄嗟に写真だけは撮りました。

卒業した小学校にも行きたかったのですが、時間がなく残念な思いを残しました。
こちらで想いを馳せるのがいいようです。

ゆらさんのブログの写真は何時拝見しても驚かされます。スキルが違うようです。
おいで下さり有難うございました。
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べんさんへ (osamu)
2008-11-09 19:30:20
まさに浦島太郎の感じでした。アチコチと行きたかったのですが歩くのが辛く残念でした。弟に車で案内して貰いましたが時間がなく、残念でした。もう帰省することはないと思います。
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懐かしい故郷 (ベン)
2008-11-10 00:29:13
又お邪魔します。同じ日本に居ながら、何故それ程急ぐ旅だったのですか? 勿体無い! まるでトンボ帰りでしたね。 そう言えば私の場合も本当に残念で堪りませんでしたよ。原爆資料館に行った帰りに八丁堀まで姉夫婦や姪っ子と歩いて既に予約されていた料亭まで歩きその途中で直ぐ近くの袋町の袋町小学校がどんなになっているか懐かしい思いで姉と表通りを素通りして来ました。4歳頃から小学2年生までその学校の真向かいで母が文房具店を経営していたのです。直ぐ隣りに有った染め物屋さんが新たに立派なお店を出されていたのには驚き昔が蘇りました。勿論既に誰も知らない方が経営されているのだと思います。その幼友達は何処え? ゆっくりご挨拶に伺うことも無く変わり果てた立派な袋町でした。父母の墓参りだけして美智子が待つ東京に3日目に戻りました。其れこそ大急ぎのすれ違いの旅でしたよ。今度は是非ゆっくり行きたいです。
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Unknown (Unknown)
2008-11-10 17:39:00
実際にトンボ帰りでした。ユックリしたかったのですが、何故か?何かに急きたてられた感じでした。
故郷に帰ると何時もそうです。特にお墓参りをした時は亡き両親に申し訳なくて・・・。

自責の念に駆られるのでしょうか?今は遠くで想うもののようです。

弟が居ますので多少は気が休まりますが・・・。

ベンさんが小学校2年生まで袋町小学校に行って居られたとは?私は4年生まで大手町小学校に通っていました。大手町小学校は広島市役所の前にありました。

その後、両親が外地に行きましたので祖父母の元の岩国に転校しました次第です。

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