何時ものように病院の待合室で本を読んでいると、突然目前で大きな声がした
「行きたくない!」
「行きたくない!」と繰り返し叫んでおられる小柄のお年寄りの男性の方が見られた。
傍に若い息子さんらしき大柄な方がむずかっているお年寄りを宥めながら、足元のおぼつかない老人を後ろから支え歩かせていた。
それでもお年寄りの男性は
「行きたくない!」
「行きたくない!」と子供がダダを捏ねるように叫んでいる。
その後ろを、そのご老人の奥さんらしき方が周りの方に軽く会釈されながら付いて歩いておられる。
一体、何処の科に行かれるのだろう?と視線を追うが私の知らない方向に去られた。
はて?あのほうには、どんな科があったかな?と思ったが判らない。
まさか私が幾ら好奇心が強いといっても通りがかりの看護婦さんや他人に聞くわけに行かない。
帰りに玄関入り口にある「案内板」の平面プランを見てみようと思いながら、また本に目をやる。
通路の真ん中に何故か柱がある
通路は曲がりくねっている。
まるで迷路のようだ
然し、あの姿は目に焼きついた。
まるで自分の将来の姿を見ているようだった。
何が嫌なのだろう?あのお年よりの方と私と歳は余り変わらぬ感じだったからだ。
むしろ私より若いのでは?とも感じた。
趣味の同会の知り合いの女性の方が、田舎で一人で生活をされている、ご主人のお母様を引き取られ一緒に生活を始めたのはよいのだが、その義母の方が思いもかけないボケの症状を呈してこられたそうである。
真夜中に徘徊をされ始められたそうで、寝るときには家中の戸締りをシッカリとされて就寝しても何時の間にか外出されて真夜中に電話が鳴る。
何事かと電話をとると警察からで義母の背中に縫い付けていた住所を書いた名札を見て保護したということだった。
このようなことが続き、その方は半ばノイローゼ気味になり、流石のご主人も養護施設に入所してもらうことにしたそうである。
そして、その奥さんは毎週のように義母の様子を見に行き、何かと義母の面倒を見ておられたとか・・・。
或る時、何時もの日に養護施設に行くことが出来なく翌日に施設に急いで行った時に、たまたま、ある部屋を見たところ寝台に両手、両足を縛れている老人を見てビックリされたそうです。
その日 義母の見舞いから帰り際に擁護施設の方から
「次に来られるときには電話で報せてください」と言われたとか・・・。
義母の様子は入所前より日ごとに惚けの様子は酷くなり自分すら判別されないまでに進んだそうですが、たまたま見た、あの寝台に縛れた入所者の姿が目に焼きつき、堪らずに、再びご主人と相談されて義母をご自分の家に引き取られて最後まで面倒を見られたとの話であった。
引き取られた直後は不思議に少し病状も軽くなり おや!これは案外好転するやも?と 希望も感じられたとか・・・。
ところがやはり、暫くして、また病状は進み始め徘徊が始まり、ご主人はお仕事で忙しく、全ては奥様の両肩に負担がかかってきた。
然し、覚悟は決めての引き取りだったそうです。
とは言うもののその精神的なストレスは私とて想像するにその域を超えているのではと思う。
以後 数年も義母のお世話をされたそうである。
今、介護のことが問題になっている所為か、先ほど見たご老人の
「行きたくない!」と叫んで居られた方が何故かは?
ふと 以前 聞いた義母のお世話を自宅で最後まで見られた方のことを思い出した。
「行きたくない」といわれているのは未だ何処か意識がシッカリしているのでは?
読んでいる本をそ~と閉じた。
冷房が自棄に効いて来た。
PS:通院している病院には入院養護病棟はありません。
よっしいさんもお姑さんのお世話をされたのですね。
私の所属した同好会にも沢山いらっしゃいました。
そして異口同音に「私が若しも・・・・?」と言っておられました。
ps:こちらこそ宜しくお願い致します。
それより、今、皆さんのお仲間に入れていただいた出会いに感謝!
足元がふらつくころ施設にお願いしましたが、転倒防止で車椅子、ベッドに束縛されたこともありました。骨がもろくなっているので、施設では転倒骨折を恐れています。一時入所のときは、なるべく歩くようお願いしましたが、本入所になると施設に任せました。そのときは、ベッドは使わず床に布団がひいてありました。
姑は穏やかな人でしたから、介護も楽なほうだと思いますが、夜寝られないだけでなく、昼も目を離せないのは辛いですよね。一人で頑張らず、頼れるところは、最大限お願いして支え合って行くのが良いと思います。
「ピンコロ」も楽ではないようです。今はあの世から「ブログ」に書き込みたい気持ちです。(苦笑)
カミさんは私が呆けたら「外注」だそうです。
ああ、怖ろし!昨夜も心臓がおかしくなり隣の部屋で急ぎ一人横になりましたが毛布を掛ける余裕もなかったですがカミさんは居間で「漢字クイズ」で夢中でした。気が付いたら旦那はシンデレラとなるとこでしたよ
少しよくなり居間に行き文句を言うと
「毛布くらい自分で出しな!」
もう、なにおか言わんぞ!
5年前衣笠の病院で10日間入院していました、夜9時で消灯とともに他の病棟から「助けて下さいーー」と悲痛の叫び声が毎晩の様に聞こえ、1時間すると
突然聞こえなくなる、病室の人に聞くと当直の看護師がある注射をするとの事何の注射かなと疑問に思っていました、退院して入院していた病棟に訪ねて
助けて下さいのお婆さんは2日前に亡くなったとの事
複雑な思いをして病院を後にしました2度とこの病院には行きません、
許し難いことです。
私の心を揺さぶるブログ゛を読ませていただきました。(母の介護から)