還り見れば酔生夢死か?

80歳代の聾人でネットの話題を書いています。足が悪いので家で得ることが出来るネット情報と私自身の唯我独尊の偏向文です。

今年は暖かい?

2009-02-22 07:06:03 | ネタ

今年は暖かい?

この冬の季節になってから当地では未だ雪を見ていない。

広島や鹿児島でさえ雪が降ったというのに・・・。

ここ三浦半島には雪は似合わないのかも?

横浜の会社の社宅から当地に引越しをしたのはカレコレもう40年近くなる。

最初は駅から5分の平地に建つ11階のマンションだった。

そのマンションに来て直ぐに大洪水(平作川の氾濫)に見舞われ車が屋根まで洪水で浸かったのだ。修理に思わぬ経費を要した。

コリャタマランとまた家探しが始まった。

そこで今度は山の上がいいということになり、アチコチと探す。
(カミさんが主に探した)。

そのようなある日

「売り出し中の宅造地の家がこの向こうの山の上にあるよ、見に行かない?」というので、この山の上のこの家を見たのだ。

売り出し当時はこの造成団地?は和風通り、西洋風通りとか?家のならびの通りに名がついていてソレゾレそれなりの形と家の中の間取りや仕上げが異なっていた。

主に異なるのは外観に見る屋根だった。

瓦屋根の家の並び(和風)とアスベスト製品の屋根材の家(洋風)である。

何故 洋風が貼り物の屋根材の家になるのか?海外旅行をしていない私には分からないが?

これは!と言う家は既に売却済みだった。残念!

その時に売れていた家はAさんの家と角の家だったように思う。

未だ売れていない家も沢山あった。

今の我家の両隣はまだ空いていた。

東隣の家は骨組みが軽量鉄骨造りで食指は動いた。

風呂場も広かった。(既に現在は3階建ての鉄骨造建物に建て替えられている)

我家の前の家は敷地が広く、これも魅力があったが少し気になる点は入り口が階段であったこと・・。その上に前の家は今の我家より値段も数百万も高かった。

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* 階段のある家は私が以前 現役時代に会社で住宅設計をした時にお施主さんから家に入るつくりに注文がついた。その注文は入り口を階段にすることである。

敷地が道路より1mくらい低かっただけだ。

それゆえに、わざわざ階段にする必要はないが、洒落た登り階段にすると見てくれが斬新に見える。その為に二階に玄関を設けることを主張されたのだ。

私はその時に玄関を一階に作ることを提案したがダメだった。

段差があまりない下りゆえに階段と緩やかなスロープを併用すると自転車でも楽に出入りできる。

「階段は若い時はいいのですが年齢を重ねると大変ですよ」と一応その問題点を報せたがお施主さんは何故か階段にこだわっておられてオマケに回り階段を所望されたのだ。

「周り階段は家具や物の出し入れが大変ですよ」と、これまた注意を申し上げたが聞き入れてもらえなかった。

然し完成して暫くして「なんとか直線に変更して巾も広くして貰えないか?」と設計変更の申し出があった。

すでに完成していたので家の玄関の向きまで変更の羽目になったことを覚えていた。
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さてっと 話を戻して、この建売の家の購入の本論に入る。

当時はこの前の家と我家との売値に数百万の差があったのだ。

それが問題だったのだ。

出来るだけ予算内に済ませたい。

それでも、まだ多少の余裕はあったがぎりぎりでは不安である。

アレコレと見るとソレゾレに各家には特徴があり目移りも激しい。

結局 見て廻るのが、めんどくさくなり資金の関係やら、なにやらで現在のこの家になったのだ。

購入後の手続きは全てカミさんに任せた。と言うより金銭感覚に乏しい私ではどうにも成らない。

手続きの中で購入資金の銀行からの借り入れ?登記?保証人とか?いろいろと煩い事項が沢山あったが、それらには私は全く無頓着で私には関心がなかった。

関心が有るのは家の構造のみだ!これで、よく一級建築士が務まったと今にして思う。

それでも、ただ狭いながら庭のみには関心があったのだ。

家を購入後、狭い庭に手をいれたのだ。

そういえば購入に際してカミさんは殆ど意見は言わなかったように思う。
未だ当時は私の一級建築士と言う資格の見る目を信じていたようだ。(苦笑)

私は会社で京都の庭園の講義を受けて、俄かに日本庭園に興味を持ち即席造園士になったのだ。

家を購入後にカミさんの勤めていたところに出入りしていた日本庭園の造園会社の方に我家の狭い庭の造園のスケッチを描いて渡し見積もりを取り造園工事の依頼をした。

隅に小さな築山を作り、そこに三尊の石組を組み、その石組を元に形のよい松を添えた簡単なものだ。

当時の面影はもうない庭 ↓




狭い庭の片隅にある石組 ↓


当時 松だけで数十万円も費やした。石も同じであった。

あれからもう30年近い。

当時は実に形のよかった松は私が剪定したために今は昔の姿からほど遠い惨めな姿になっている。今になって選定は職人さんに頼んでいる。

実に勿体ない話だ。

過っての造園の先生(故 重森完途教授)から松の剪定はくれぐれも素人がするものでないと注意を受けていたのであるが、そのくらいは出来ると多寡を括ってやったのが間違いだった。

私は一応造園の手解きを市の造園講習で半年間の実習を受けていた。

然しこれも才能の問題のようである。手先が不器用で何事も長続きがしない!

剪定の手解きも受けたが、なにを隠そう私には全くその才能がなかったのだ。

但し当時すでに一級造園施工管理士の資格は持っていた。

造園士(国家資格ではないが・・・)も持っていた。

資格だけは一人前であるが肝心の技術がない!

まァ 能書きだけは一人前であるが・・・・。

大体 私の会社での仕事そのものが、当時は作業所長から相談を受けて

「それは ああせい!」

「こうせい!」と言うだけのものだったのだ。

構造のみはほんの少々詳しかっただけである。

時に工場での追加工事の設計の耐震設計の計算もさせたれたこともある。

それも当時は全て手計算であった。

時間もかかったし図面まで引くと大変だった。

話がまた逸れたが、この住宅地も引越し当時は子供が多かったが今は閑散としている。

町も歳をとるものだ。これは想定外だったな~~。

自分だけは歳をとらないと思っていたのかと問いたい気持ちだ?

北海道に冷たい風が吹き、また雪が降ったらしい?

日本は南北に長いといわれる由縁である。

小学生時代の頃の感覚としては日本の国土は緯度と平行と言う感覚だったが東京に来てから、なんと東京で日本の国土が真北に折れ曲がっていることを学んだものだ。

そして日本の国土が南北に長いことも知ったバカでもある。

このようなことにも驚いた時代があった。

我家の購入の話からまた変な話になった。

ここらできょうの居間から発信は終わる。

今7時 夜が明けて来た ↓ 東の空が明るくなった。


かみさんは未だ白川夜船のようだ。

ゆうべ私が寝たのは12時を過ぎていたが私が今起きたのは4時半である。

こうしてくだらぬ文の補足文を書き始めていて早や6時になった。

外はまだ真っ暗であり。きょうもまた居間での生活だけのようになるのかな?

とょっと庭に下りて 寒暖計を見た。5度くらい?でも余り寒く感じない?

「この取り付けた針金?なんとかならぬか?」と何時もカミさんから苦情が出ている。
なんとも「ならないね~!」まさか誰かに頼むほどのことでないしィ~~

暖かい冬とは言っても私は相変わらず冬篭り?

ここの以下の文は昨日:朝の外は明るくなった。

午前8時ごろ・・・・。

太陽の光が差し込まない所為か庭の水仙も元気がない。↓


午後になり日差しが庭に差し込んできた。

元気が出たようだ。↓


庭の寒暖計は17度を示している(午後1時)

気温も上がって来たのか窓から見える一株の水仙の花も元気がでたようだ。











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2 コメント

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春ですね (沼じじ )
2009-02-23 10:40:00
我が家の花壇は雪下1m以上、春が来ると水仙が咲きます。もろもろの花が次々と雑多ながら咲きます。その花を見て喜んでいます。
花を愛する人の花壇は美的です。我が家は手がかからず花持ちの良いものをごちゃごちゃ植えています。
花壇もいいが私は日本庭園が大好きです。
osamu さんは建築・庭園・造園のプロなので
早く膝を直して奥さまと(無理ですねー失礼)
散歩しながら建物と庭を見て歩くと脳の若返りになりますね。
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水仙の花 (osamu)
2009-02-23 12:21:22
どうも、私は花の名前はサッパリです。見れば綺麗だな~~と思うのですが・・・。

造園は会社にいる時に京都で重森先生を中心に他の大学の先生から7日間の集中講座を受けました。結構勉強になりました。受講生は15~16人だと思います。余りのハードな講義内容で途中で帰った者もいましたね。

そちらは未だ雪に埋もれているのですね。
きょうは少し寒い感じですが、マイナスには、ほど遠いです。午後は出かける予定です。

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