還り見れば酔生夢死か?

80歳代の聾人でネットの話題を書いています。足が悪いので家で得ることが出来るネット情報と私自身の唯我独尊の偏向文です。

冬将軍の来襲か?

2010-12-17 19:33:32 | 季節


↑ 不入斗北体育館のクリスマス飾り



冬将軍の来襲か?

今朝のTVの天気予報(午前5時)では日本列島猛吹雪?の風景を醸し出していた。

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ふるさとの岩国や広島も昨日 初雪が降ったらしい?

TVのニュースでも日本海側の沿岸や北海道での雪かきの報道で満ちていた。

北海道ではー23度と言う寒気に見舞われた場所もあったとか?

ここ三浦半島は、まだまだ雪景色には、ほど遠いようだ。

確かに昨日は寒かったが外気温は9度だった。

ジムから見た東京湾は曇っていて対岸の房総半島は見えなかった。



家に帰っても暖房の設定温度が26度では十分ではなくなった。

貯油タンクの残量が少なくなると燃焼にも影響するのか?よく分からないが満タンの時と発熱量が少し違うように感じる。

先々月の末に貯油タンクを満タンにして、これで11月は大丈夫と予想したがその通りになり今月はじめにまた満タンにした。

これで今月末に満タンにすれば正月も安心だ。

先日不入斗体育館のロビーに飾られたクリスマスの飾り



きょうは朝一番に耳鼻科の病院に行く。

その他 暮れまでに循環器の病院を初め4箇所の病院に行かねばならない。

その合間にジムやら太極拳の教室かよいだ。

手話は先日の14日の料理の集いで今年の行事や勉強会は全て終わった。

太極拳も来週は練習後に忘年会だそうだ。

気持ちもなんとなく気ぜわしく感じる。

年末の雑用が老いの身にも迫ったか?

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日の暮れも一段と早くなり午後5時すぎには、もう大小イロイロと工夫を凝らしたイルミネーションが見られる。

ジムの駐車場の手摺にも小さな電球?がすずらん状に配線してあった。



どのような飾りになっているのか?夜に見にきて見たいが夜 車を走らせるのは怖いので止める。

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きょうのニュース

【感染症と人の戦い】国立感染症研究所情報センター長・岡部信彦
2010.12.17 03:15

http://sankei.jp.msn.com/science/science/101217/scn1012170316000-n1.htm
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インフェルエンザもなんとか予防できそうだが?矢張り予防には“手洗い” “嗽(ウガイ)”に勝るものはないようだ。

歳をとれば身体の抵抗力も衰えてきていることを自覚しなければ・・・・。

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【次代への名言】警世の科学者編(16)
2010.12.17 03:18

http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/101217/acd1012170319000-n1.htm

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↑ のような記事を読んだ時には何時も、もう40年も前に亡くなった父の臨終を思い出す。

父の死を告げられて暫くして私は担当医の先生から先生の部屋に呼ばれた。

そして最後まで看取っていただいたその先生から

「解剖をお願いしたいのですが・・・・」と告げられた。

父の“ 死“を告げられて5分も経っていなかった。

瞬間 解剖???当時の私の知識では、この杉田玄白による腑分けを思い出した。

私には、その程度の知識しかなかった。

つまり父の身体がバラバラになると思ったのだ。数秒後に

「申し訳ありません。解剖はしないでいただけないでしょうか?」と返事をした。

担当医の先生は「分かりました」と答えられ何も言われることはなかった。

私は先生に一礼して、未だ父の遺体のある病室に帰った。

少しして遺体処理の看護婦さんが見えて、てきぱきと処理をされるのを呆然と見ていた。霊安室に運ばれて、その後はよく憶えていない。

葬儀や後始末で約一月会社を休んだ。

今ではとても考えられない長い期間だった。

葬儀には会社の上司の方も見えていたと後から聞く。

私は気が付かなかったし家族の誰も私の上司の顔は知らなかったのだ。

申し訳ないことをしたと会社でお詫びをしたが、あの時は自分を失っていたようだった。

解剖についてもあの時に若しも、もう少しその解剖と言うことに対して知識があれば、つまり死に至った患部(すい臓ガン)を摘出するだけと知っていればまた私の判断も違っていたかも?

今 振り返ると“解剖“ と言う言葉に惑わされていたように思う。

また当時は未だ田舎では死後に遺体を傷つけたり、解剖されると魂が彷徨うとも言う言い伝えもあった。

葬儀が終わった後で、それとなく親戚の叔父に事実を報告しておいた。

その時に

「osamuの判断はよかったよ」と言われたが果たして・・・・・。

数年後 叔母が急逝された。

急ぎ帰省した私に叔父は「解剖は断ったよ」と直接 聞かされた。

私の心中を察しておられたのかも・・・・・。

そのお世話になった叔父も今は既に鬼籍に入られた。

私の子供時代からお世話になった叔父叔母も全て他界された。

それでも今もって“死”と向き合うことの難しさを感じている。

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きょうは曇っていて寒い日だったが、外気温は8度はあった。

朝 早く病院に出かけて帰宅後は今年最後のパソコン教室に行ったのでブログのアップが遅れてしまった。

それに撮った写真もぶれていていいのがなかった。

またハナシが飛んだ。





 


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