我輩が市の太極拳講座(10回)が終了して、これは身体にいい!と感じて、或る太極拳教室に初めて入会した時には「簡化24式」が全く分からなかった。
我輩と共に市の講座に参加した者が10数名この教室に入会した。
教室の生徒数は我々を含めて40名前後だったと思う?教室では最初に「練功18法・前段」をやり、その後、歩行練習だった。
連功18法は前列の皆さんについてゆけば何とかなった(方向転換が左右のみ・・)。
歩行練習も前の方の真似をすればいい・・。
だが!簡化24式 となると、中々そうは行かない!なにしろ何も知らないのだから・・・・。
或るとき、たまたま我輩の前に我輩より年配と思えるG氏が居られた。
G氏はもう長く、この教室に居られて簡化24式は大体覚えていらっしゃった。
後ろの新入りの我輩を意識してのことか?どうかは?分からないが?
次の型が先生より一足先にやって頂けるのに我輩は気づいた。
“これはいい!“ 瞬間そう思ったものだ。
次週の教室では、この方の後ろに位置するように立とうと心がけた。
お陰で実に早くトウロ(順番)を覚えることが出来た。
G氏はお世辞にも上手いとはとは言えない。しかし下手でも、なんとか様になっていて見れば次の型が分かる。
このときに感じたのだが?習い事の最初は余り上手な方からでなくてよいと感じた。
しかも、G氏は次の型を尋ねれば実に親切に教えて頂けた。
トウロを覚えれば後は自分で下手なりに練習すればいい!当時はまだ若かった(?)ので毎朝5時には総合グランドに行き、先ず400mコースを10周して、更に後ろ向きで1~2周歩く。
その後、ラジヲ体操をして、太極拳(24式)の練習に入る。
我輩が一人太極拳をやっていると同じ教室の方が二人も見えて3人で練習をしたものだ。
我輩以外の方は太極拳では我輩より4~5年の先輩であった。
驚いたことに、このお二人の先輩は24式をお一人では出来なかったのだ。
我輩が前でやり。後に、この先輩のお二方がついてやるという具合だったのだ。
最初 我輩に「○○さん何時覚えたの?」と聞かれたものだ。
何時と言われても同じ教室で同じ事を同じように教わっているので返答に困る。
その後、神奈川県武術太極拳選手権大会に出場する機会を得て、思いがけなくも神奈川県の「ねんりんピック・チーム(男3女4=7名構成)」の選手の中に選ばれたのだ。
これは我輩より高得点を出された上位の選手の方が何らかの事情で参加を断られ、なんと我輩まで順位が繰り下げられての出来事だったのだ。
「ねんりんピック」がなにかも分からず、ただ、「神奈川県チームの選手に選ばれました」と言う言葉に飛びついただけだったのだ。
島根県のねんりんピックまで7ヶ月位の間があった。
チームの初練習のときに監督さんからの事前電話連絡で「簡化24式」を逆にやりなさいという伝達でみんなで向かい合うような形で24式を逆の形で練習をやったものだ。
片方の列が正式で、もう片方の列が逆でお互いに見ながらの練習だ。
それを交互に繰り返した。
これが難しい!難題だったことは忘れ難い。
ダンビエンからユンショウに入る形では何時も、もたついた。
動きが止まるのだ。
その点を厳しく指摘され常に水(空気?だったか?)の流れる如く動くことを厳しく指導を受けた。
今でも「止まったらダメ!」と監督さんの割れ鐘のような叱咤の大声が、この聞こえぬ耳に残っているくらいだ。
最初の頃は、この大声にビックリして動きが止まったくらいだ。
ねんりんピックの開催会場は「島根県・松江」だった。
当時(1995)はまだ参加する県が少なく全国から38チームだったと覚えている。
我輩が太極拳を始めて実質2年の経験での参加であった。
にも 関わらず、なんと優勝したのだ。
生まれて初めての「金メダル」だった。
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表演では三角形を構成した表演で、なんと我輩がその頂点に位置する場所に立たされたものだ。
監督も我輩が一番下手であることを計算しての構成だと今では思っている。
我輩以外の方はみんな10数年の経験者だったのである。
表演は隊形が三角形に始まり斜線の一直線になり更にX状から元の三角形の構成に戻るものだった。
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今でもその隊形の変化は懐かしく思い出す。
優勝は神奈川県チームの構成選手の方の技術レベルが我輩を除いてみなさん高かったのと指導された監督さんの力が郡を抜いた力量だったのだと思う。
競技が終わり翌日の自由時間は出雲大社に御礼のお参りをした。
そして出雲大社の特大の絞め縄の下で金メダルを首に下げて一人づつ記念写真を撮った。
以来3年連続して神奈川県チームが優勝するのだ。
これも考え詰めれば、その昔、我輩の前に居られたG氏のそれとない指導の賜物と感謝する次第である。G氏は10年くらい前に鬼籍の方になられた。
習い事の最初の先生は、ことによると技術は低くても親切で、お人柄のいい先生がいいな?と思う。
そして自分がもっと上位を目指すようになった時には、またよい先生の指導を受ければいいのでは?などと今は思っている。
ただ気になるのは、この世界は案外と縄張りが煩いようだ。
「入(ハイ)るを拒まず。出(イズル)を追わず」という会が我輩の周囲には意外と少ないのが気になっている。
毎年7月、千駄ヶ谷の東京体育舘で行われる、全日本武術太極拳選手権大会で「簡化24式 A」の部で10年連続優勝を成し遂げられた“故 植村敬一先生”には我輩も1996年ころから4~5年神奈川県「県立武道館」に通いご指導を戴いた。
当時は(いまでも?)同時に所属の異なる別の教室に通うことは、余り好まれなかったようだ。
それでも我輩の通う教室では大目に見て頂いて居たようだった。
ある教室では、それが露見すると所属している教室から追い出されることもあるとも聞いたことがあった。昔のことだったが・・・。
やはり我輩にはワイワイ・ガヤガヤと賑やかで気楽に身体を動かせる教室がいいようだ!
*文字の大きさを変えてみました。
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2年で「金メタル」は凄い偉業ですね。本人の努力はもちろん指導者よき仲間に恵まれたのですね。
三角形の頂点の表演、緊張感が伝わって来ます。
往時の体の動きはできなくとも、昔取ったきねづかで
S級に挑戦し楽しみながら若返ってください。
Osamuさん、お久振りです。
ひろし爺の秋芳洞探訪ブログにお越し頂有難う御座いました。
太極拳を始めて2年で、金メダル獲得とは素晴らしい能力をお持ちですね。
健康のためとは言え、目指すものが有るのはいい事ですね。
お互い頑張って長生きしたいものです。!!
<追伸>何時もベンさんより、暖かいコメントを頂いています。便の時、爺がお礼を言っていたとお伝え下さい。
いい経験をしました。S級なんとかしたいですね。
またよろしく”ふるさと通信”お願い致します。
ご訪問有難うございました。