我が家の生垣のツツジ ↑
きょうは(29日:旧天長節)、いいお天気でした
← 左クリックで ”カチ”
小学生時代の天長節の日は学校に行って紅白の饅頭をもらったことが忘れられないです。
(笑)あまりいいお天気なので少し家の周りを散歩?しました。
我が家の生垣のツツジがほぼ満開になったようです。 ↓
↓ これは近所の家の垣根にぶら下げたようにしています。
お天気がいいと坐骨神経痛も膝の痛みもあまりありません。
でも少し長く歩くと膝に痛みを感じます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
1960年代の日本・・・(昭和35年 吾輩は現場勤務中でした)
今(29日14時ころ)TV で1960年代の話を萩本きんちゃん(そう呼んでいいのかな?)などの役者の方々が当時を忍びその映像が放映されている。
映像の中に建設現場でコンクリートを打つ猫車(ネコ・クルマ)が足場の上を走りまわっている映像があった。非常に懐かしい場面である。
この猫車は吾輩が現場に出た当時(昭和30年はじめ)は猫車の容量は6切れ(6才とも言った)であったが、いつのまにか4切れになった。
因みに一切れ(ヒト・キレ)は一尺立方である。
(0.3×0.3×0.3=0,027リュウベ)である。
当時はコンクリート打ちは土方(ドカタ)と言ったが、この職種は誰にでも出来そうであるが、それでいて結構難しい。
猫車一つ押すにも桟橋の上ではコツがある。
ヘボが押すとすぐに足場板の隙間に車輪を落とすか?猫車を足場から転げ落として現場は怒号の海になります。
また土方については吾輩が最初に、その歩掛りを教わったものである。
一日で一人が掘る量はほぼ一間四方であると・・・6立方米
しばらくして何故か?5立方米になった。
TV の画像を見ながらひさしぶりに昔のことを思い出しました。
日本人の体格はよくなったが基礎体力は何故か落ちてきたように思う。
現在は地盤の掘削は殆どが機械堀りであり、コンクリートの打ち込みはチュウブである。
建築建設現場でコンクリート・ミキサーが回ることはない。
昭和は遠くなりました。
いわゆるサンカタ(三方)さんが懐かしいです。
三方:ドカタ、フナカタ、???はて?度忘れしました(苦笑)
*ウマカタ(馬方)でした。
ついでに当時の交通費請求の項目に「馬車賃」という項目があり最初はびっくりしました。
当時 現場手当3千円でしたね。現場に泊り込みをすると月給がまるまる残った時代でもあったが吾輩は何故か?前借りの常習犯でした。
今は時々カミさんから前借りをしています。
既に花園町の灯は消えていたが・・・。代わりに青い灯があったか?
///////////////////////////////////////////
コレも問題だが ↓ (政治資金規正法) (以下30日追記す)
http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/100429/stt1004292014014-n1.htm
政党交付金 ↓ コレを私服していると思われる政治家もいるようだ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%94%BF%E5%85%9A%E4%BA%A4%E4%BB%98%E9%87%91
↑ 我輩はコチラの方が問題ではないかと存ずるが・・・ なにせ金銭支出台帳がいらなく報告の義務もない!
コレを見て ↓ コレってみんな税金だよ。誰がどのように使っているか?国民には全く分からないのだ!!!
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%94%BF%E5%85%9A%E4%BA%A4%E4%BB%98%E9%87%91#10.E5.B9.B4.E3.81.AE.E6.94.BF.E5.85.9A.E4.BA.A4.E4.BB.98.E9.87.91.E6.94.AF.E7.B5.A6.E9.A1.8D
政党助成金の使われ方にたいするあるブログ ↓
http://blogs.yahoo.co.jp/cochi472000/62874521.html
////////////////////////////////////////////////////
こんな技?
すご技
見事なカーブ 全く紙一重で触れてない!
きょうは(29日:旧天長節)、いいお天気でした
← 左クリックで ”カチ”
小学生時代の天長節の日は学校に行って紅白の饅頭をもらったことが忘れられないです。
(笑)あまりいいお天気なので少し家の周りを散歩?しました。
我が家の生垣のツツジがほぼ満開になったようです。 ↓
↓ これは近所の家の垣根にぶら下げたようにしています。
お天気がいいと坐骨神経痛も膝の痛みもあまりありません。
でも少し長く歩くと膝に痛みを感じます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
1960年代の日本・・・(昭和35年 吾輩は現場勤務中でした)
今(29日14時ころ)TV で1960年代の話を萩本きんちゃん(そう呼んでいいのかな?)などの役者の方々が当時を忍びその映像が放映されている。
映像の中に建設現場でコンクリートを打つ猫車(ネコ・クルマ)が足場の上を走りまわっている映像があった。非常に懐かしい場面である。
この猫車は吾輩が現場に出た当時(昭和30年はじめ)は猫車の容量は6切れ(6才とも言った)であったが、いつのまにか4切れになった。
因みに一切れ(ヒト・キレ)は一尺立方である。
(0.3×0.3×0.3=0,027リュウベ)である。
当時はコンクリート打ちは土方(ドカタ)と言ったが、この職種は誰にでも出来そうであるが、それでいて結構難しい。
猫車一つ押すにも桟橋の上ではコツがある。
ヘボが押すとすぐに足場板の隙間に車輪を落とすか?猫車を足場から転げ落として現場は怒号の海になります。
また土方については吾輩が最初に、その歩掛りを教わったものである。
一日で一人が掘る量はほぼ一間四方であると・・・6立方米
しばらくして何故か?5立方米になった。
TV の画像を見ながらひさしぶりに昔のことを思い出しました。
日本人の体格はよくなったが基礎体力は何故か落ちてきたように思う。
現在は地盤の掘削は殆どが機械堀りであり、コンクリートの打ち込みはチュウブである。
建築建設現場でコンクリート・ミキサーが回ることはない。
昭和は遠くなりました。
いわゆるサンカタ(三方)さんが懐かしいです。
三方:ドカタ、フナカタ、???はて?度忘れしました(苦笑)
*ウマカタ(馬方)でした。
ついでに当時の交通費請求の項目に「馬車賃」という項目があり最初はびっくりしました。
当時 現場手当3千円でしたね。現場に泊り込みをすると月給がまるまる残った時代でもあったが吾輩は何故か?前借りの常習犯でした。
今は時々カミさんから前借りをしています。
既に花園町の灯は消えていたが・・・。代わりに青い灯があったか?
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コレも問題だが ↓ (政治資金規正法) (以下30日追記す)
http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/100429/stt1004292014014-n1.htm
政党交付金 ↓ コレを私服していると思われる政治家もいるようだ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%94%BF%E5%85%9A%E4%BA%A4%E4%BB%98%E9%87%91
↑ 我輩はコチラの方が問題ではないかと存ずるが・・・ なにせ金銭支出台帳がいらなく報告の義務もない!
コレを見て ↓ コレってみんな税金だよ。誰がどのように使っているか?国民には全く分からないのだ!!!
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%94%BF%E5%85%9A%E4%BA%A4%E4%BB%98%E9%87%91#10.E5.B9.B4.E3.81.AE.E6.94.BF.E5.85.9A.E4.BA.A4.E4.BB.98.E9.87.91.E6.94.AF.E7.B5.A6.E9.A1.8D
政党助成金の使われ方にたいするあるブログ ↓
http://blogs.yahoo.co.jp/cochi472000/62874521.html
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こんな技?
すご技
見事なカーブ 全く紙一重で触れてない!
当時は今のような一輪車は見たことはありません。現在はご存知のようにコンクリート打ちは生コンでポンプ車による圧縮りょくによりパイプに 送りだして打っています。
私が居た頃はコンクリート・タワーを真っ先に作りましたね。そのタワーの下にコンクリート・ミキサーがあり全て現場練りでした。
当時に若しもデジカメがあれば物凄い資料がとれたのにと思います。現場の写真代もバカになりませんでした。勿論 見積もりには入っていました。残念ながら私物で保存していた写真は全て廃棄しました。
四国巡礼・81番:白峯寺に閲覧・コメントを有難う御座い居ます!
今朝は82番・根香寺と日本の塔①をアップしていますのでお付き合い下さいネ!
生垣のツツジが綺麗に咲いていますね。
此方、大野浦も丁度同じくらい咲き具合です。
昭和35年と言えば小生は丁度高校を卒業した年ですんえ~!
一輪車を久しくみていませんね~!
最近も農家や工事現場で使っているのでしょ~かね。!?
昔、良くボーリングしたものですが・・・!
見事なプレーで~す!!
それではまた!・・・