高知空港での「胴体着陸」がマスコミに大きく取り上げられている。
着陸が成功した時に機内に拍手が起き上がったとか・・・。
何か遠い昔の未開地の飛行場の話を思い出す。
「山岳家今井通子」さんが、何かで言っておられたがアルプス登山の時に現地の飛行機に乗られるのだが離陸は、いいのだが着陸が難しい。
何時も着陸にはヒヤ・ヒヤしていたものだ。
そして「無事着陸すると、毎度 機内から拍手が起きていた」と言う話を聞いたことがあり私は非常に驚いたものだ。
この現在の日本でも、このようなことが起きることがあると云うことの現実を知らされた事件だった。
無事何事もなく胴体着陸した旅客機
幸いに名人芸とも、いえる若きパイロットの腕で事なきを得たようで、TVを見ながら ほッ とした。
以前と言っても我輩の以前は10年以上も前のことを指すが、自衛隊の飛行機事故で、元パイロットであった、ご主人を亡くされた夫人と何かの拍子にコーヒーを職場の、みなさんと共にしたことがある。
その時に、このご婦人が漏らした言葉は忘れられない。
「自衛隊の飛行機はガタ・ガタなの・・・」
「何が ガタ・ガタ なんですか?」
「整備が出来ていないと何時も主人が言っていたのよ」
「まさか?整備は常に完全では?」
「それが、うちの主人が操縦していたのは輸送機だったのね、“Fなんとか言う戦闘機“は充分に部品があり、何時も整備は、いいらいいの?」
「へ~ェ」
「なんで、輸送機の整備が疎かにされるのだろう?」
「私には分からないわ?」
「でもね、主人は何千メートルの空から原因不明の故障で墜落死亡したの・・・・」
みんな シ~ン とした。
「電話で急いで現地に行ったの・・・でも主人の遺体は分からなかっの・・・・」
「飛行機が落ちる時に分解した上に墜落したショックでバラバラになり、更に燃えた上にグシャ・グシャなのよ。残骸も何キロも広がっていたわ」
そのご婦人は
「でも、今は子供が大きくなり、それぞれが自分の家事を分担して呉れるから助かるわ」案外、その時は既に心の痛みから少しは自分を取り戻して居られたのでないかと思う、それで、そのような過去を、それとなく話されたのと察した。
我々の全く知らない自衛隊の航空機の実態を少し知ったものである。
我々は何時も政治、官僚の実態は「聾桟敷(ツンボ・サジキ)」に置かれている。
昨日のパイロットは、着陸に際しての不利な事実を隠すことなく時々刻々と非常に落ち着いた声で乗客にアナウンスしていたようだ。
事実を隠すから、みんな疑心暗鬼となり不安になりパニックになる。
正確な事実を冷静に報せれば乗客も落ち着き対処できるというものだ。
今更ながら だが 海上自衛隊の潜水艦「ナダシオ」の事件もあった。
偶然、TVで、その様子をみたが潜水艦から海に飛び込み救助に当たったのは、たしか一人の乗組員であったのでは?
他の乗員は皆、ただ、艦上に立って海面を見ているだけのように見えた。
実際、TVで見ると潜水艦の艦上から海に飛び込むのは容易(タヤス)いように見えるたが、あとで事情を知る方に聞くと潜水艦の艦上から海に飛び込むのは自分が艦の船腹に激突する危険があると云う。
然し、艦長若しくは上官は部下に救命胴衣を着けてロープで海面に降りて救助を命じることくらい出来たのではないかと思った。
「馬鹿な奴ほど、これがいいと後で言う」
「言い訳と、理屈は後から貨車で来る」とか?
//////////////////////////////
また、この時に思い出したのが、以前 私が少しばかし山登りをしていた時に、たしか苗場山からの下山の時(午後3時ごろか?)に、向こうから登って来る陸上自衛隊の20名くらいの隊員であった。
先頭に隊長と思える方が私たち中年(?)の下山のグループを見るや部下の隊員に道を譲るように命じた。
すると全ての隊員が山道の斜面の谷側に降りて避けたのだ。
これには驚いた。
しかも、よく見ると、どの隊員も片手は自由になっている。
若しもの場合、私たちの滑落を防ぐ為と思われた。
一緒の伯母さんたちが若い隊員に
「貴方の装備は何キロあるの?」
「50Kgです」
「えッ 50Kgも!・・・」みんなビックリしている。
因(チナミ)に我輩のリュックの重さは10キロであった。
また、他の伯母さんは
「その背中の銃は撃てるの?」
「撃てますよ」
「どこから来たの?」
「新潟です」
「あの隊長さんも同じものを持っているの?」
「ハイ。同じ重さの装備をしていますよ」
「隊長さんも同じですか?」今度は男性が驚く。
「そうです、隊長も同じ装備です」
とか、伯母さんをはじめ我々一同は気楽にイロイロ聞きながら下っている。
隊員は面倒がらずに丁寧に答えて非常に気持ちがよかった。
狭い一人しか通れない山道で道を譲る場合、今まで大学の山岳部とか、「ワンゲル」とかには、度々会っているが、
大体、リユツクを背負ったままで山側に伏せって道を譲るのだ。
また、学生の場合、殆ど先頭の上級生は何も持っていない。
持っているのは鞭(ムチ)と思える細い木の枝だ。
そして上級生の、そのリユックは下級生が持たされている。
下級生は2個のリユックを背負っているので、その場を通るのは非常に危険だ。
私が陸上自衛隊の山岳隊の対処に驚いたのは、そのような事に基づく。
その時に改めて自衛隊の日頃の訓練に敬意を表した出来事だった。
その思いを崩したのが「ナダシオ」の事件だった。
昔は「陸軍はヤボ」で「海軍は粋だ」といわれていた。
と、よく子供心に言っていたものだが・・・。
今回の高知の航空事故の処置でまた、変なことをアレコレと思い出した“くそ爺”である。
カミさんが
「あの機長の顔が見たいよ」と側(ソバ)でしきりに言っているが、何故か画面にでない。
カミさんはこの機長に大変岡惚れをしているようだ。
私も拝顔したいと思うが未だ取調べにあっているのかな?
新聞にも機長の顔は出ていない。
カミさんが「ネット」で調べろと煩い!
くそ爺は意地悪だから調べないのだ。
着陸が成功した時に機内に拍手が起き上がったとか・・・。
何か遠い昔の未開地の飛行場の話を思い出す。
「山岳家今井通子」さんが、何かで言っておられたがアルプス登山の時に現地の飛行機に乗られるのだが離陸は、いいのだが着陸が難しい。
何時も着陸にはヒヤ・ヒヤしていたものだ。
そして「無事着陸すると、毎度 機内から拍手が起きていた」と言う話を聞いたことがあり私は非常に驚いたものだ。
この現在の日本でも、このようなことが起きることがあると云うことの現実を知らされた事件だった。
無事何事もなく胴体着陸した旅客機
幸いに名人芸とも、いえる若きパイロットの腕で事なきを得たようで、TVを見ながら ほッ とした。
以前と言っても我輩の以前は10年以上も前のことを指すが、自衛隊の飛行機事故で、元パイロットであった、ご主人を亡くされた夫人と何かの拍子にコーヒーを職場の、みなさんと共にしたことがある。
その時に、このご婦人が漏らした言葉は忘れられない。
「自衛隊の飛行機はガタ・ガタなの・・・」
「何が ガタ・ガタ なんですか?」
「整備が出来ていないと何時も主人が言っていたのよ」
「まさか?整備は常に完全では?」
「それが、うちの主人が操縦していたのは輸送機だったのね、“Fなんとか言う戦闘機“は充分に部品があり、何時も整備は、いいらいいの?」
「へ~ェ」
「なんで、輸送機の整備が疎かにされるのだろう?」
「私には分からないわ?」
「でもね、主人は何千メートルの空から原因不明の故障で墜落死亡したの・・・・」
みんな シ~ン とした。
「電話で急いで現地に行ったの・・・でも主人の遺体は分からなかっの・・・・」
「飛行機が落ちる時に分解した上に墜落したショックでバラバラになり、更に燃えた上にグシャ・グシャなのよ。残骸も何キロも広がっていたわ」
そのご婦人は
「でも、今は子供が大きくなり、それぞれが自分の家事を分担して呉れるから助かるわ」案外、その時は既に心の痛みから少しは自分を取り戻して居られたのでないかと思う、それで、そのような過去を、それとなく話されたのと察した。
我々の全く知らない自衛隊の航空機の実態を少し知ったものである。
我々は何時も政治、官僚の実態は「聾桟敷(ツンボ・サジキ)」に置かれている。
昨日のパイロットは、着陸に際しての不利な事実を隠すことなく時々刻々と非常に落ち着いた声で乗客にアナウンスしていたようだ。
事実を隠すから、みんな疑心暗鬼となり不安になりパニックになる。
正確な事実を冷静に報せれば乗客も落ち着き対処できるというものだ。
今更ながら だが 海上自衛隊の潜水艦「ナダシオ」の事件もあった。
偶然、TVで、その様子をみたが潜水艦から海に飛び込み救助に当たったのは、たしか一人の乗組員であったのでは?
他の乗員は皆、ただ、艦上に立って海面を見ているだけのように見えた。
実際、TVで見ると潜水艦の艦上から海に飛び込むのは容易(タヤス)いように見えるたが、あとで事情を知る方に聞くと潜水艦の艦上から海に飛び込むのは自分が艦の船腹に激突する危険があると云う。
然し、艦長若しくは上官は部下に救命胴衣を着けてロープで海面に降りて救助を命じることくらい出来たのではないかと思った。
「馬鹿な奴ほど、これがいいと後で言う」
「言い訳と、理屈は後から貨車で来る」とか?
//////////////////////////////
また、この時に思い出したのが、以前 私が少しばかし山登りをしていた時に、たしか苗場山からの下山の時(午後3時ごろか?)に、向こうから登って来る陸上自衛隊の20名くらいの隊員であった。
先頭に隊長と思える方が私たち中年(?)の下山のグループを見るや部下の隊員に道を譲るように命じた。
すると全ての隊員が山道の斜面の谷側に降りて避けたのだ。
これには驚いた。
しかも、よく見ると、どの隊員も片手は自由になっている。
若しもの場合、私たちの滑落を防ぐ為と思われた。
一緒の伯母さんたちが若い隊員に
「貴方の装備は何キロあるの?」
「50Kgです」
「えッ 50Kgも!・・・」みんなビックリしている。
因(チナミ)に我輩のリュックの重さは10キロであった。
また、他の伯母さんは
「その背中の銃は撃てるの?」
「撃てますよ」
「どこから来たの?」
「新潟です」
「あの隊長さんも同じものを持っているの?」
「ハイ。同じ重さの装備をしていますよ」
「隊長さんも同じですか?」今度は男性が驚く。
「そうです、隊長も同じ装備です」
とか、伯母さんをはじめ我々一同は気楽にイロイロ聞きながら下っている。
隊員は面倒がらずに丁寧に答えて非常に気持ちがよかった。
狭い一人しか通れない山道で道を譲る場合、今まで大学の山岳部とか、「ワンゲル」とかには、度々会っているが、
大体、リユツクを背負ったままで山側に伏せって道を譲るのだ。
また、学生の場合、殆ど先頭の上級生は何も持っていない。
持っているのは鞭(ムチ)と思える細い木の枝だ。
そして上級生の、そのリユックは下級生が持たされている。
下級生は2個のリユックを背負っているので、その場を通るのは非常に危険だ。
私が陸上自衛隊の山岳隊の対処に驚いたのは、そのような事に基づく。
その時に改めて自衛隊の日頃の訓練に敬意を表した出来事だった。
その思いを崩したのが「ナダシオ」の事件だった。
昔は「陸軍はヤボ」で「海軍は粋だ」といわれていた。
と、よく子供心に言っていたものだが・・・。
今回の高知の航空事故の処置でまた、変なことをアレコレと思い出した“くそ爺”である。
カミさんが
「あの機長の顔が見たいよ」と側(ソバ)でしきりに言っているが、何故か画面にでない。
カミさんはこの機長に大変岡惚れをしているようだ。
私も拝顔したいと思うが未だ取調べにあっているのかな?
新聞にも機長の顔は出ていない。
カミさんが「ネット」で調べろと煩い!
私も見ました、30代の青年操縦士の沈着冷静な言動。天晴れですね。
旭川は 今太陽が顔を出し日差しの暖かさで一時
暖房を消しました。
室内の暖房を消しましたか?
早いですね~ 春は其処まで来ているようですね。
こちらは、お昼の外気は14度と暖かく車の窓は開け放しです。今朝の居間は15度(6時半)でした。
最近、寝坊をするようになりました。