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火論:何が歴史を動かすか=玉木研二
毎日新聞 2014年12月23日 東京朝刊
<ka−ron>
中学・高校で歴史を学んだ実感は薄い。印象的な記憶は二つしかない。
一つは京都の平氏を追い払った木曽義仲が、粗野で礼儀作法を知らず貴族らに侮蔑され、失墜する哀れ。授業外の脱線話だったが、以来、時代の歯車が生む人間悲劇といえば、これが思い浮かぶ。
もう一つは高校の日本史だが、「何が歴史を動かすか」を生徒に考えさせ、書かせた教師がいたことだ。着任間もない若い男の先生だった。
むちゃな設問だが、昭和の生徒たちは「それがわかれば苦労はしない」とちゃかすほどすれてはいなかった。
私は「経済構造。あらゆる歴史的な出来事は経済の変化に関係している」などと、聞きかじったようなことを浅はかに書いた。そんなささやかな体験だったが、歴史学習は暗記ではないという当たり前のことを教わったと思う。
ただ、先生は展開に行き詰まったか、フォローはなく、それっきりだった。
40年余たった。状況はだいぶ変わってきた。
高校の歴史教育改革論議は8年前、必修の世界史の時間を受験のために他の授業に回す「世界史未履修問題」を機に活発になった。
日本学術会議は日本史、世界史を統合した「歴史基礎」科目の新設を提言している。どんなやり方があるか。
例えば、文部科学省の指定研究開発校になった東京の日本橋女学館中学・高校の厚海啓子(あつうみひろこ)教諭は、高1を対象に近現代史に絞り、日本と世界のつながりから独自に着眼点や資料を整理。知識伝授ではなく、まず自分で考えるよう促し、討議する手法だ。戦争なら双方の考え方を踏まえ、多面的に見る習慣をつける。
新聞を読み、家庭で歴史的なことを話題にする、といった変化も表れるという。
生徒の感想記録には「中学のころはただひたすら暗記で、歴史的出来事の原因を考えずに勉強していたので、つまらなく感じていた」「外国から見た日本を知り、考えることができた。日本の立場を改めるべきだと感じたこともあった」など、新たな学びの手応えを表す言葉が並ぶ。
だが今現実の大学入試に合わせた授業も必要になる。
22日、中央教育審議会は1点刻みの試験をやめ、思考力を重視する大学入試に大転換を、と答申した。文科省の本気度が試される。
あの昔日の若い先生の時代にこうであれば、「何が歴史を動かすか」は、白熱のシリーズ授業になっていたかもしれない。(専門編集委員)
ソース: http://mainichi.jp/shimen/news/20141223ddm003070102000c.html
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