狭い庭ながら梅ノ木が一本ある。
毎年 白い花を咲かして春を告げている。今年はかなり遅いようだ。
今朝の梅の花
梅ノ木は周囲には関係なく自然に咲いている。
お隣の梅ノ木は既に満開を過ぎているようだ。
盛り沢山?の花の時もあればチョロ・チョロ咲きの時もある。
自然にありのままに咲いている。
今も気の向くままなのか?ある枝は満開?ある枝はつぼみの小さいまま・・・。
一斉に咲くのは何時だろう・・・。
よどんだような春の空の太陽が薄っすらと・・
生け垣の躑躅も芽が色づく?
ついでに私のツルギの重さです。500gr
この伸縮ツルギ振り回すにはちと重いです。一本ものも持っているのですが運ぶのが面倒で・・・。
これからジムで水中歩きに出かけます。
本日 防大の卒業式がありました。帽子が一斉に天井に投げられましたが?? ↓
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120318/plc12031817360008-n1.htm
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1111137381
↑ この帽子 ニュースを見るたびに気になっていました。やっと解決 (苦笑)
(18時追記)
///////////////////////////////////////////////
憂楽帳:目線の高さで (毎日新聞)
http://mainichi.jp/select/opinion/yuraku/news/20120316ddf041070036000c.html
以下全文
憂楽帳:目線の高さで
国立民族学博物館の初代館長で、日本写真家協会の会員だった梅棹忠夫さんは世界中の人たちの暮らしをフィールド・ノートに記録するとともに、カメラに収めた。生前、「民族誌写真として、人の生活や立っている人を撮影するときには、しゃがんで撮ってはいけない」と語ったという。人と接する時の目線と同じようにカメラを構えよということだろう。等身大に捉えようとした姿勢を感じる。
もちろん、民族学者と新聞社のカメラマンは違う。私たちは取材の時、しゃがむどころか地面をはいつくばったり、脚立に乗って高い位置から狙ったり、あらゆることをしながら普段とは違う見え方を探る。だが、あえて正面から被写体と向き合いたいと思う瞬間もある。
エチオピアのソマリア難民キャンプを訪ねた時、栄養失調で歩けない4歳の妹を一日中抱いている6歳の少女に出会った。妹の体重は6キロ。やせ細った手足で姉の体にしがみついていた。「大好きな妹だから」と話す強い瞳に引かれ、少女の目線の高さで正面からシャッターを切った。背筋が伸びた。そういう時、小手先の技術はいらない。【小松雄介】
【関連記事】
大阪万博:気鋭の芸術家ら議論 故小松左京さん宅から議事録
<その25>西アフリカの風
毎日新聞 2012年3月16日 大阪夕刊
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
つぶやき
何気ない記事 ↑ の中に人の心を打つものがある。
「目線の高さ・・」多くの人は相手を上に・・下に・・・気づかずにその姿勢をとっている。
人と接する時の大切な態度ではないかと思う。
相手の身なりや言葉使いで知らず知らず自らの態度が変わっている。
普通でいいと思うのだがな~そういう自分もそれが出来ない。
15時30分追記 ↓
http://sankei.jp.msn.com/world/news/120318/chn12031812010001-n1.htm
毎年 白い花を咲かして春を告げている。今年はかなり遅いようだ。
今朝の梅の花
梅ノ木は周囲には関係なく自然に咲いている。
お隣の梅ノ木は既に満開を過ぎているようだ。
盛り沢山?の花の時もあればチョロ・チョロ咲きの時もある。
自然にありのままに咲いている。
今も気の向くままなのか?ある枝は満開?ある枝はつぼみの小さいまま・・・。
一斉に咲くのは何時だろう・・・。
よどんだような春の空の太陽が薄っすらと・・
生け垣の躑躅も芽が色づく?
ついでに私のツルギの重さです。500gr
この伸縮ツルギ振り回すにはちと重いです。一本ものも持っているのですが運ぶのが面倒で・・・。
これからジムで水中歩きに出かけます。
本日 防大の卒業式がありました。帽子が一斉に天井に投げられましたが?? ↓
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120318/plc12031817360008-n1.htm
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1111137381
↑ この帽子 ニュースを見るたびに気になっていました。やっと解決 (苦笑)
(18時追記)
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憂楽帳:目線の高さで (毎日新聞)
http://mainichi.jp/select/opinion/yuraku/news/20120316ddf041070036000c.html
以下全文
憂楽帳:目線の高さで
国立民族学博物館の初代館長で、日本写真家協会の会員だった梅棹忠夫さんは世界中の人たちの暮らしをフィールド・ノートに記録するとともに、カメラに収めた。生前、「民族誌写真として、人の生活や立っている人を撮影するときには、しゃがんで撮ってはいけない」と語ったという。人と接する時の目線と同じようにカメラを構えよということだろう。等身大に捉えようとした姿勢を感じる。
もちろん、民族学者と新聞社のカメラマンは違う。私たちは取材の時、しゃがむどころか地面をはいつくばったり、脚立に乗って高い位置から狙ったり、あらゆることをしながら普段とは違う見え方を探る。だが、あえて正面から被写体と向き合いたいと思う瞬間もある。
エチオピアのソマリア難民キャンプを訪ねた時、栄養失調で歩けない4歳の妹を一日中抱いている6歳の少女に出会った。妹の体重は6キロ。やせ細った手足で姉の体にしがみついていた。「大好きな妹だから」と話す強い瞳に引かれ、少女の目線の高さで正面からシャッターを切った。背筋が伸びた。そういう時、小手先の技術はいらない。【小松雄介】
【関連記事】
大阪万博:気鋭の芸術家ら議論 故小松左京さん宅から議事録
<その25>西アフリカの風
毎日新聞 2012年3月16日 大阪夕刊
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つぶやき
何気ない記事 ↑ の中に人の心を打つものがある。
「目線の高さ・・」多くの人は相手を上に・・下に・・・気づかずにその姿勢をとっている。
人と接する時の大切な態度ではないかと思う。
相手の身なりや言葉使いで知らず知らず自らの態度が変わっている。
普通でいいと思うのだがな~そういう自分もそれが出来ない。
15時30分追記 ↓
http://sankei.jp.msn.com/world/news/120318/chn12031812010001-n1.htm
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