初泳ぎと腕時計?
ジムのプールはそれほどは混んでいなかった。
然し歩くコースは相変わらず普通な混み具合だった。
歩くコースで、よく見かける方と擦れ違った時など挨拶はしたいが、たとえ挨拶をしても、こちらは耳が悪いので会話が出来ない。
最初だけは目礼だけですます。歩いているうちに身体も解(ホグ)れる。
見るとお隣の初心者用のコースは空いていた。
久しぶりに軽く泳いでみた。
やはり泳ぎ始めると25mといえども力(チカラ)が入る。
向こう側についた時はかなり息が上っていた。
ためしに計ったタイムは30秒だった。
無理は禁物だ。
歩くコースで暫く歩き息が切れた苦しさを休めた。
そこに毎年 全国大会のマスターズでメダルを取られている先輩の前川さんが見えた。
年初の挨拶をするも先輩の声はよく分からない。一方的に話をしてしまう。
歩くコースで暫く歩く。
今度はゆっくりと泳いでみるか?と、また泳ぐコースに出る。
泳ぎは我ながら実にゆっくりと泳ぐ。
25mを泳ぎきっても、さほど疲れがない思い切ってターンをした。
ゆっくりと50mに挑戦する。
手の動きはゆっくりと水中で掻く手も力を抜きスピードはあまりないが、ありのままの速度である。
50m泳ぎきった。
タイムは1分40秒だった。
50mも泳いだのは何年ぶりか?と言いたい。
なにか?あっては大変だと直ぐに歩くコースで歩き始める。
息は先程 25mをやや力んで泳いだほどのように苦しくない。
やはりこの歳ではゆっくりと泳ぎを楽しむのがいいようだ。
まして心臓が余り丈夫でない。エンストを起こしては大変だ。
歩いていると向こうから前川さんの奥様が見えた。
耳栓をとり挨拶をする。
「無理はしないでゆっくりやりましょう」と言われたようだ。
どうやらまだ肩で息をしていたのかも?
その後もう一度 ユックリと50mを一本やって初泳ぎは終りとした。
プールサイドにある東京湾が見えるジャグジ-風呂に入る。
沖合いに横浜港に向かうのか?白い大きな客船が見えた。
背中や足に噴出す水圧を感じながら気持ちよくその船を眺める。
いいお天気だ。やがて船の姿が窓から消える。
ポツ・ポツ上るか?
初泳ぎは終わった。
普通の風呂に入り、これも今年 初めてのサウナにも入る。
サウナではなぜか身体のアチ・コチが痒くなる。
さり気なく掻く。
垢がでるのか?手先に細い紐?のようなものが感じた。
どうもこれでは?と、時間もきたしサウナをでる。
シャワー室で身体を洗い風呂場を出る。
更衣室で気になっていた体重を図ると体重は77.25Kgでなんだか?希望のヒカリを感じたようだった。
更衣室で帰りの支度をしてメガネを探す。
一瞬どこに仕舞ったか忘れたのだ。
水泳バックのサイド・ポケットから時計が出てきた。
この時計 もう2ヶ月くらい前から見失っていたが、我輩のことだ。
どこに仕舞ったか忘れていて、きっと何処からか?出てくると思っていた。
きょう(5日)は50m泳げたし、時計も出てきた。
とても気分がいい。
時計はないと不便だ。今まで携帯で代用していた。
それでは不便なので近日中に今度は失くしても、いいような時計を求めようと思っていたところだった。
過って記念品としてや副賞として頂いた捨てがたい想い出の時計は数個あるが残念ながらみんな動かなくなっていて修理の費用のほうが高い。
それでも一度 全てを修理したが何故か?直ぐに動かなくなる。
時計は動かないでそのままのほうがいいと言っているようだった。
更に部品がなく修理不能と言われたものもある。
処分も考えたが自分の手では処分し難く今はその処分は残った家族に任すことにしている。
庭の寒暖計は16度を示していた。お天気は今のところ曇っている。(午前7時)
少し風があり肌寒い。
////////////////////////////////////////////////////////////
余録:高峰秀子さん (毎日新聞 2011年1月5日 0時14分)
http://mainichi.jp/select/opinion/yoroku/
以下 全文 ↓
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
余録:高峰秀子さん
「三島さんはキッスの演出できる?」。昨年末に亡くなった女優の高峰秀子さんは「二十四の瞳」に出演した後、三島由紀夫と対談した。三島は当時29歳独身の人気作家、高峰さんも独身で30歳になったばかりの国民的女優だった▲「できない。実際にやったことないもの」。三島がはぐらかすと、高峰さんは言った。「お気の毒ね。私の家へいらっしゃいょ。乞食袋(こじきぶくろ)がいっぱいあるから」。「乞食袋」はあらゆる芸の種が詰まった袋をいう芸談用語だ▲高峰さんはまた三島にとって付き合う女性は「研究材料」だろうと突っ込む。「藤十郎の恋?」と切り返されると「あんた、坂田藤十郎ほどいい男と思ってんの。(笑)ちりめんの着物着せてあげようか。(笑)」(椎根和著「平凡パンチの三島由紀夫」新潮文庫)▲後の文豪も同世代の大女優の前では形無しである。5歳から天才子役として撮影所で育った高峰さんは、三船敏郎や池部良ら年上の男優にも「先輩」と呼ばれていた。映画の中ではなぜか年下の二枚目俳優の妻役を演じることが多く、男優をリードする演技を見せる▲「男まさり」を自任した高峰さんも「秀ちゃんは全然女っぽくない、立派な男です」と恩人の木下恵介監督に面と向かって言われた時は絶句した。後の55年間を添い遂げる松山善三監督と芸能史上初の婚約会見をしたのはその木下監督が仲をとりもってのことだった▲結婚後、達意の文筆でも名をなした高峰さんは10年前の文芸春秋の「私の死亡記事」にこう寄せた。「『死んでたまるか』という文章も書いたが、相手が天寿ではもって瞑(めい)すべし、しあわせな晩年であった」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
合掌
ジムのプールはそれほどは混んでいなかった。
然し歩くコースは相変わらず普通な混み具合だった。
歩くコースで、よく見かける方と擦れ違った時など挨拶はしたいが、たとえ挨拶をしても、こちらは耳が悪いので会話が出来ない。
最初だけは目礼だけですます。歩いているうちに身体も解(ホグ)れる。
見るとお隣の初心者用のコースは空いていた。
久しぶりに軽く泳いでみた。
やはり泳ぎ始めると25mといえども力(チカラ)が入る。
向こう側についた時はかなり息が上っていた。
ためしに計ったタイムは30秒だった。
無理は禁物だ。
歩くコースで暫く歩き息が切れた苦しさを休めた。
そこに毎年 全国大会のマスターズでメダルを取られている先輩の前川さんが見えた。
年初の挨拶をするも先輩の声はよく分からない。一方的に話をしてしまう。
歩くコースで暫く歩く。
今度はゆっくりと泳いでみるか?と、また泳ぐコースに出る。
泳ぎは我ながら実にゆっくりと泳ぐ。
25mを泳ぎきっても、さほど疲れがない思い切ってターンをした。
ゆっくりと50mに挑戦する。
手の動きはゆっくりと水中で掻く手も力を抜きスピードはあまりないが、ありのままの速度である。
50m泳ぎきった。
タイムは1分40秒だった。
50mも泳いだのは何年ぶりか?と言いたい。
なにか?あっては大変だと直ぐに歩くコースで歩き始める。
息は先程 25mをやや力んで泳いだほどのように苦しくない。
やはりこの歳ではゆっくりと泳ぎを楽しむのがいいようだ。
まして心臓が余り丈夫でない。エンストを起こしては大変だ。
歩いていると向こうから前川さんの奥様が見えた。
耳栓をとり挨拶をする。
「無理はしないでゆっくりやりましょう」と言われたようだ。
どうやらまだ肩で息をしていたのかも?
その後もう一度 ユックリと50mを一本やって初泳ぎは終りとした。
プールサイドにある東京湾が見えるジャグジ-風呂に入る。
沖合いに横浜港に向かうのか?白い大きな客船が見えた。
背中や足に噴出す水圧を感じながら気持ちよくその船を眺める。
いいお天気だ。やがて船の姿が窓から消える。
ポツ・ポツ上るか?
初泳ぎは終わった。
普通の風呂に入り、これも今年 初めてのサウナにも入る。
サウナではなぜか身体のアチ・コチが痒くなる。
さり気なく掻く。
垢がでるのか?手先に細い紐?のようなものが感じた。
どうもこれでは?と、時間もきたしサウナをでる。
シャワー室で身体を洗い風呂場を出る。
更衣室で気になっていた体重を図ると体重は77.25Kgでなんだか?希望のヒカリを感じたようだった。
更衣室で帰りの支度をしてメガネを探す。
一瞬どこに仕舞ったか忘れたのだ。
水泳バックのサイド・ポケットから時計が出てきた。
この時計 もう2ヶ月くらい前から見失っていたが、我輩のことだ。
どこに仕舞ったか忘れていて、きっと何処からか?出てくると思っていた。
きょう(5日)は50m泳げたし、時計も出てきた。
とても気分がいい。
時計はないと不便だ。今まで携帯で代用していた。
それでは不便なので近日中に今度は失くしても、いいような時計を求めようと思っていたところだった。
過って記念品としてや副賞として頂いた捨てがたい想い出の時計は数個あるが残念ながらみんな動かなくなっていて修理の費用のほうが高い。
それでも一度 全てを修理したが何故か?直ぐに動かなくなる。
時計は動かないでそのままのほうがいいと言っているようだった。
更に部品がなく修理不能と言われたものもある。
処分も考えたが自分の手では処分し難く今はその処分は残った家族に任すことにしている。
庭の寒暖計は16度を示していた。お天気は今のところ曇っている。(午前7時)
少し風があり肌寒い。
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余録:高峰秀子さん (毎日新聞 2011年1月5日 0時14分)
http://mainichi.jp/select/opinion/yoroku/
以下 全文 ↓
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余録:高峰秀子さん
「三島さんはキッスの演出できる?」。昨年末に亡くなった女優の高峰秀子さんは「二十四の瞳」に出演した後、三島由紀夫と対談した。三島は当時29歳独身の人気作家、高峰さんも独身で30歳になったばかりの国民的女優だった▲「できない。実際にやったことないもの」。三島がはぐらかすと、高峰さんは言った。「お気の毒ね。私の家へいらっしゃいょ。乞食袋(こじきぶくろ)がいっぱいあるから」。「乞食袋」はあらゆる芸の種が詰まった袋をいう芸談用語だ▲高峰さんはまた三島にとって付き合う女性は「研究材料」だろうと突っ込む。「藤十郎の恋?」と切り返されると「あんた、坂田藤十郎ほどいい男と思ってんの。(笑)ちりめんの着物着せてあげようか。(笑)」(椎根和著「平凡パンチの三島由紀夫」新潮文庫)▲後の文豪も同世代の大女優の前では形無しである。5歳から天才子役として撮影所で育った高峰さんは、三船敏郎や池部良ら年上の男優にも「先輩」と呼ばれていた。映画の中ではなぜか年下の二枚目俳優の妻役を演じることが多く、男優をリードする演技を見せる▲「男まさり」を自任した高峰さんも「秀ちゃんは全然女っぽくない、立派な男です」と恩人の木下恵介監督に面と向かって言われた時は絶句した。後の55年間を添い遂げる松山善三監督と芸能史上初の婚約会見をしたのはその木下監督が仲をとりもってのことだった▲結婚後、達意の文筆でも名をなした高峰さんは10年前の文芸春秋の「私の死亡記事」にこう寄せた。「『死んでたまるか』という文章も書いたが、相手が天寿ではもって瞑(めい)すべし、しあわせな晩年であった」
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合掌
ひろし爺の初詣にお付き合い頂、有難う御座いました!
初泳ぎお疲れさ~ん!
小生も昨日、今年初のジムに行きました。
此方も正月が完全に済んでいないいないようでジムは閑散としていました。
無理をしないで今年もマイペースで続けましょ~!
*(^。^)*今朝は日本の代表の山「富士山」の四季をアップしましたので見学にお越し頂ければ幸せます!
*それではまた明日!・・・来訪・コメントを、今年もお待ちしていま~す!バイ!バ~ィ!!
私も、何年か前、スイミングに通っていましたが、その時も、年配の方がばんばん泳がれているのに、びっくりしました。いくつになっても、そうでありたいなあと思ったものでした。
それから、段々行く回数も減っていき、やめてしまいました。
今は、歳をとっても、自分で生活できるだけの筋肉をつけておくことは大事だと、カーブスに通い始めました。(ダイエットも兼ねて)
続けられるように頑張ります。
ジムでもマイ・ペースがいいようです。家内は常にマイ・ペースです。時に腹が立ちます(笑)
この名前 知りませんでした。検索しますと八景ですか?ぱんびささんは水泳を始められたのですか?
私も歳をとっても自分のことはナントカ自分でしたいですね。出来なくなれば寝て考えます。
私も水の中ばかりでなく岡でも歩けるように練習をしなくては?
またのお越しをお待ちします。