還り見れば酔生夢死か?

80歳代の聾人でネットの話題を書いています。足が悪いので家で得ることが出来るネット情報と私自身の唯我独尊の偏向文です。

今日は「お彼岸」です

2006-09-23 07:58:54 | Weblog
昨日はイロイロと取り込みがあり仏壇のお供えとお花を買って来るのを忘れた。

仏壇の清掃も最近は疎かになった。
私自身が「彼の世」に近くなった所為かとも思うが、なんと言っても最近の私の物ぐさによる物事の運びが面倒になって来たことは否めない。

私は親父、お袋には言い知れぬ苦労を掛け親不孝と言えば、これ以上の親不孝はないと、この頃は後悔しきりの毎日である。

母が心筋梗塞で突然亡くなり、その後 私が九州に出張の帰りに故郷の家に立ち寄ると残された父が電気も点けず薄暗い広い家の中の奥座敷にぽつねんと座っていた姿が今も目に焼きついている。

事前に手紙で報せてあったのに、父は帰って来た私を見て「あァ お前か?」と余り感情のない呟きとも取れるようなことを言って

「お茶でも入れるか?」と立ち上がったが其処には昔の厳格な父の面影は全く見られなかった。

「父さん 私が入れるよ」と炊事場に行くと、あの几帳面だった父がと信じられない光景がそこにあった。

流しがお茶殻や食べ物の残り物で山となっていた。

連れ合いを失うことが如何に精神的にダメージを与えるか 父が如何に母を頼りにしていたかよく判った。流しを綺麗にして

「父さんお茶でなく一杯やらない?」と言うと、初めて父の顔に笑顔が浮かんだ。

父は無類の酒好きだ。 終戦後、中学生の私はよく「ドブロク」を買いにやらされたものだ。

夕飯時に白濁のドブロクを美味しそうに飲んで、日頃無口な父が時には説教じみたことや、父の幼い頃の昔話をして私達家族を驚かしていたこともあった。

目前の父はつまみも無いのに実に美味しそうに飲む。急いで電話で酒とつまみを頼み、私も共に飲むが父が余り喋らないので私は家の周りや窓から見える荒れた裏庭などを見ながら7人家族で賑やかな時代の昔を思い出す。

その父も翌年 母の後を追う。私も既に亡き父の歳を少しばかし過ぎた。時の流れは早いものである。彼岸を向かえ我が祖先を忍ぶ。

父の親父は203高地で戦死している。

故郷の墓にお花は供えてあるのかな?
多分弟がその責を果たしてくれていると思う。

「故郷は 遠くにありて 思うもの 」
 
これは若い時には、そうであると感じるが今の私にはそぐわない。むしろ

「老いゆけば 西国にあり 故郷は」(自作) が妥当かな?

山頭火の

このまま 死んでしまうかも知れない土に寝る 
 
これも私の好きな句である。 

山頭火は山口県防府の出身である。故郷の実家から車で2時間と掛からない。
 
お彼岸 参考まで

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1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
お彼岸 (てつお)
2006-09-23 10:28:20
今日は私の両親は61年前に亡くなり

東京の青山墓地にまつられています

明日墓参りに行こうと思ってします



検査の結果いかがでしたか



私17日~21日4泊で秋田八幡平の玉川温泉と御所掛温泉にドライブ、ブログに載せました、開いてみてください

昨日植野さんがお休みで久保田奈々さんが

残念がって居ました、植野さんのブログの記事を印刷して持参されてきました
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