昨夜は柔道を見て次に「男子サッカー」を見ようと遅くまで起きていたが余りの眠気に午前1時前に遂に就寝してしまった。
それでも何故か?夜中に眼が覚めてトイレに立ったが玄関前のセンサー付き防犯ランプが付いていた。消えるのを待ったが消えるまで拾数秒掛かった。
多分 点灯したばかりだったのだろう。時間を見ると午前1時45分だった。
念のために1階・2階を調べてみた。寝とぼけていたのか?特に異常は無かった。
何事もないのが一番である。
居間に入ってパソコンの電源を入れた。
TVでは目下男子サッカーがHONチームと対戦中である。
62分経過していてお互い得点はない。
チラリ・チラりとTVを見ながらブログを書いている。
2時51分 試合はお互い得点なくドローになった。
今 内村公平選手が個人総合で「金メダル」・・・と言う字幕が表示された2時53分
午前3時半 眠気がして寝ることにした。
オリンピックの結果は明日 朝 見ることにする。
先ず寝床にはいる。あとは明日 おきてから続編を書く。午前3時半である。
きょう2日はジムに行く日である。無理はできない
十分に休養を取っておかないと・・・。
最近は身体の具合がイマイチである。だるいのだ。夏だというのに膝には小さいホカロンを貼っている。膝は暖めればかなり痛みも軽く感じる。
膝の筋肉強化運動は勿論 続けているが・・・・。
昨夜のセンサー点灯を思い出して家の周りを見て歩いた。家の裏でくもの巣の糸が顔に掛かる。 どうやら人の通ったようなあとは見られない。
先ずは安心・・・この住宅地でも以前 盗難事件があり回覧板が廻ったことがある。
家の前にセンサーライトを設置した家も多い。
緊急連絡 防犯には気をつけねば・・・。
/////////////////////////////////////////////////
http://mainichi.jp/opinion/news/20120802k0000m070154000c.html 以下全文
発信箱:8月2日の教訓=布施広(論説室)
毎日新聞 2012年08月02日 02時20分
8月2日はイラクがクウェートに侵攻した日である。ふた昔も前(90年)の事件が生々しく思い出されるのは、この侵攻と翌年の湾岸戦争の記憶が、化学兵器の恐怖で暗く染められているためだろう。なにしろイラクのフセイン大統領(故人)は化学兵器を実際に使ったことがあり、場合によっては「イスラエルの半分を化学兵器で破壊する」と侵攻直前に公言していたのだ。
この独裁者は結局、湾岸戦争で化学兵器を使わず、03年のイラク戦争まで生き延びたが、忌まわしい兵器に傾斜した時点で、米欧に「消される」べき存在になっていた。そして、歴史は繰り返すというか進歩がないというか、シリアの報道官が最近、化学兵器使用に言及するのを聞いて、アサド政権の終わりも近いと思った。イラクの教訓が、まるで生きていないのだ。
化学・生物兵器にはいささか個人的な体験があって、湾岸戦争中はイラクのミサイルが飛んでくるサウジアラビアにいた。01年の米同時多発テロ直後、米国に炭疽(たんそ)菌入りの郵便物が出回った時はワシントン支局にいて、封書が届くと手袋をして長い刃のハサミで封を切ったことを覚えている。
.つくづく思うに、毒物やウイルスなどを使った大量殺傷は論外だし、使うぞと見せかけて人を不安や恐怖に陥れるのも卑劣な行為だ。人道的な殺傷があるかどうかはともかく、こうした兵器を非人道的と呼ぶことに異存はない。アサド政権は、化学兵器を脅しの材料にしてはいけない。
もう一つの教訓。湾岸戦争時、日本人記者や在留邦人は、「武器輸出三原則に触れる」として、日本から化学兵器防護服などを送ってもらえなかった。その後、一時的な搬出を許されたが、邦人保護のために政府は柔軟に対応すべきだ。化学兵器絡みの新たな動乱も想定しつつ。
.・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
つぶやき
同じ闘いでもサッカーはボールの蹴りあいであるが戦争となると次元が違う・・・
今 また生物兵器・科学兵器が話題になって来た。
極論すれば戦争にはルールがないのである。この物騒な戦場は遠隔地であるが わが国にはそれに負けず劣らぬ物騒な国が近くにある。とくに中国は眼を放せない。
アホな大使が国益と自らの商社の利益の判断を履き違えて赴任国のために頑張っている。それを放置する政府もどうかしている。
この民間大使の任命者はあの四列目の元 菅総理である。この奸総理 何処まで自国をダメにすれば満足するのだろう
菅を放射能汚染地区に永久監禁をしたい気がする
それにしても民主党には「国を守る」と言う基本的な考えがないのは やはり国旗・国歌を認めない左翼で外国崇拝者の塊の集団かもね?
これでは国民は堪ったものでない。
この無責任政党が国政を司取る期間は まだ1年もある。
その間 日本はどうなるのだろう。
それでも何故か?夜中に眼が覚めてトイレに立ったが玄関前のセンサー付き防犯ランプが付いていた。消えるのを待ったが消えるまで拾数秒掛かった。
多分 点灯したばかりだったのだろう。時間を見ると午前1時45分だった。
念のために1階・2階を調べてみた。寝とぼけていたのか?特に異常は無かった。
何事もないのが一番である。
居間に入ってパソコンの電源を入れた。
TVでは目下男子サッカーがHONチームと対戦中である。
62分経過していてお互い得点はない。
チラリ・チラりとTVを見ながらブログを書いている。
2時51分 試合はお互い得点なくドローになった。
今 内村公平選手が個人総合で「金メダル」・・・と言う字幕が表示された2時53分
午前3時半 眠気がして寝ることにした。
オリンピックの結果は明日 朝 見ることにする。
先ず寝床にはいる。あとは明日 おきてから続編を書く。午前3時半である。
きょう2日はジムに行く日である。無理はできない
十分に休養を取っておかないと・・・。
最近は身体の具合がイマイチである。だるいのだ。夏だというのに膝には小さいホカロンを貼っている。膝は暖めればかなり痛みも軽く感じる。
膝の筋肉強化運動は勿論 続けているが・・・・。
昨夜のセンサー点灯を思い出して家の周りを見て歩いた。家の裏でくもの巣の糸が顔に掛かる。 どうやら人の通ったようなあとは見られない。
先ずは安心・・・この住宅地でも以前 盗難事件があり回覧板が廻ったことがある。
家の前にセンサーライトを設置した家も多い。
緊急連絡 防犯には気をつけねば・・・。
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http://mainichi.jp/opinion/news/20120802k0000m070154000c.html 以下全文
発信箱:8月2日の教訓=布施広(論説室)
毎日新聞 2012年08月02日 02時20分
8月2日はイラクがクウェートに侵攻した日である。ふた昔も前(90年)の事件が生々しく思い出されるのは、この侵攻と翌年の湾岸戦争の記憶が、化学兵器の恐怖で暗く染められているためだろう。なにしろイラクのフセイン大統領(故人)は化学兵器を実際に使ったことがあり、場合によっては「イスラエルの半分を化学兵器で破壊する」と侵攻直前に公言していたのだ。
この独裁者は結局、湾岸戦争で化学兵器を使わず、03年のイラク戦争まで生き延びたが、忌まわしい兵器に傾斜した時点で、米欧に「消される」べき存在になっていた。そして、歴史は繰り返すというか進歩がないというか、シリアの報道官が最近、化学兵器使用に言及するのを聞いて、アサド政権の終わりも近いと思った。イラクの教訓が、まるで生きていないのだ。
化学・生物兵器にはいささか個人的な体験があって、湾岸戦争中はイラクのミサイルが飛んでくるサウジアラビアにいた。01年の米同時多発テロ直後、米国に炭疽(たんそ)菌入りの郵便物が出回った時はワシントン支局にいて、封書が届くと手袋をして長い刃のハサミで封を切ったことを覚えている。
.つくづく思うに、毒物やウイルスなどを使った大量殺傷は論外だし、使うぞと見せかけて人を不安や恐怖に陥れるのも卑劣な行為だ。人道的な殺傷があるかどうかはともかく、こうした兵器を非人道的と呼ぶことに異存はない。アサド政権は、化学兵器を脅しの材料にしてはいけない。
もう一つの教訓。湾岸戦争時、日本人記者や在留邦人は、「武器輸出三原則に触れる」として、日本から化学兵器防護服などを送ってもらえなかった。その後、一時的な搬出を許されたが、邦人保護のために政府は柔軟に対応すべきだ。化学兵器絡みの新たな動乱も想定しつつ。
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つぶやき
同じ闘いでもサッカーはボールの蹴りあいであるが戦争となると次元が違う・・・
今 また生物兵器・科学兵器が話題になって来た。
極論すれば戦争にはルールがないのである。この物騒な戦場は遠隔地であるが わが国にはそれに負けず劣らぬ物騒な国が近くにある。とくに中国は眼を放せない。
アホな大使が国益と自らの商社の利益の判断を履き違えて赴任国のために頑張っている。それを放置する政府もどうかしている。
この民間大使の任命者はあの四列目の元 菅総理である。この奸総理 何処まで自国をダメにすれば満足するのだろう
菅を放射能汚染地区に永久監禁をしたい気がする
それにしても民主党には「国を守る」と言う基本的な考えがないのは やはり国旗・国歌を認めない左翼で外国崇拝者の塊の集団かもね?
これでは国民は堪ったものでない。
この無責任政党が国政を司取る期間は まだ1年もある。
その間 日本はどうなるのだろう。
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