維新で「ちょんまげ」が「ざんばら」になり、衣服も洋式になり・・戦後 飛行機もプロペラがなくなり・・・身近なものではカメラのフイルムがなくなり「カード」に変わった。しかも一枚のカードで何千枚の写真が取れる。
腕時計も発条(ゼンマイ)がなくなり中には針さえなくなった。
電話も電線がなくなり、いまや紙も電子盤? 病院の「カルテ」も電子版?いやはや・・・なんと言ってよいやら。
我輩も車に乗り始めて歩けなくなり我が身の足を失ったも同じ状態になった。
いまや自分の足を取り戻すのにヤッキになっている始末である。
笑うに笑えない・・・。
日本中の各家ではTVで地球の反対側とも言うべきオリンピックのようすを見ることが出来る半世紀前には想像もできない世界になった。
脳梗塞も発症 3時間以内なら薬で助かる時代になった。
なにもかも古い人間には新しいことについていけない。
このブログも地球の反対側でも見ることが出来る。
明日は広島に「原子爆弾」が投下されて67年になる。
日本が大きく変わり始めたきっかけの日でもある。
終戦記念日・・・むしろ「敗戦の日」としたほうが国民には判りやすく以後の学校教育にも戦争に対する認識も変わっていたのかも?
歴史に「IF」はないと言われるが戦後の歴史教育には今も疑問を感じている。
自分の国を守る自衛隊を「暴力装置」と言ってはばからない輩(ヤカラ)が政治の中枢にいるようでは日本の未来はない。
この政党が与党である期間は未だ1年もある。
民主党は決して解散はしない。理由は簡単だ。
今の民主党には二度と与党のチャンスは望めないからだ。
民主党政権になり この3年間だけでも失ったものは余りに多過ぎる。
///////////////////////////////////////////////
憂楽帳:機械遺産
毎日新聞 2012年08月03日 西部夕刊
http://mainichi.jp/opinion/news/20120803ddg041070012000c.html 以下全文
第1条件は温水洗浄便座のウォシュレット付き。転勤族で“持病”のある知人が部屋を借りる際の要件だ。一度使ったら手放せなくなったそうだ。
先日、その初代にあたる「ウォシュレットG」が日本機械学会の「機械遺産」に認定された。新しいトイレ習慣を創造し、生活に貢献した機械として歴史的価値があるとされた。現在、北九州市にあるTOTO本社近くの同社歴史資料館に展示されている。
温水洗浄便座の製造はTOTOが最初ではない。館長の山谷幹夫さんによると、1964年に米国メーカーの温水洗浄便座をTOTOが輸入販売。痔の治療など医療用だったこともあり、改良しても思うように売れずに独自開発を決めた。「お尻の位置はどこか」「どんな角度で温水を当てるか」「快適な水温は」など、男女300人の社員が戸惑いながらも実験台となって協力。2年後の80年に世に出せた。
それまで温水でお尻を洗う習慣などなかったが、国内での世帯普及率はいまやパナソニックなど他のメーカーも含めて約7割。夏休みには身近な「遺産」を見に行こうか。もちろん、件(くだん)の知人を誘って。【中園敦二】
.・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
つぶやき
「温水洗浄便座のウォシュレット」を我が家に設置したのは勤めていた時にあるマンションの建設現場に行って現場のトイレを使った時だった。
使用後の余りの清潔感にショクを受ける程だった。
「温水洗浄便座のウォシュレット」は、この建設中のマンションの各室に設置するものの見本?であったのだ。
購入の下見に来られた方がこの「温水洗浄便座のウォシュレット」を使用されると殆どの方が初めて経験する快感に購入を決められたという。そのくらいの効果があったと聞いた。
支店に帰り早速 購買部長に詳細を伺い業者に手配を依頼した。間もなくある設備業者が我が家に来宅 直ぐに設置してもらう。
カミさんは「また変な物を買って・・・」と不満顔だったが、ためしに使って驚いていた。
言うことが憎らしかったな~
「何時もあんたが買う物にはろくな物がないが・・これは いいね」
褒められたのか?けなされたのか?判らぬが、カミさんの姉妹が北海道から我が家に来ると みんな帰宅後 家に設置したと聞く。
この最初に我が家に設置した「温水洗浄便座のウォシュレット」は20年以上も使ったのでは?
家の台所をリホームした時に ついでに浴室・トイレもリフォームしウォシュレットも当時の新しい物に取り替えたが古いものは未だ十分に使用に耐えるものだった。一度も故障はしなかった。
今の我輩は和式トイレには膝が痛く座れなくなった。外に出かけたときはホントに困る。
膨らんだお腹が恨めしい・・・衣食たりて「命」 失う?
贅沢になれて不幸な時代になった?・・・のでは?
腕時計も発条(ゼンマイ)がなくなり中には針さえなくなった。
電話も電線がなくなり、いまや紙も電子盤? 病院の「カルテ」も電子版?いやはや・・・なんと言ってよいやら。
我輩も車に乗り始めて歩けなくなり我が身の足を失ったも同じ状態になった。
いまや自分の足を取り戻すのにヤッキになっている始末である。
笑うに笑えない・・・。
日本中の各家ではTVで地球の反対側とも言うべきオリンピックのようすを見ることが出来る半世紀前には想像もできない世界になった。
脳梗塞も発症 3時間以内なら薬で助かる時代になった。
なにもかも古い人間には新しいことについていけない。
このブログも地球の反対側でも見ることが出来る。
明日は広島に「原子爆弾」が投下されて67年になる。
日本が大きく変わり始めたきっかけの日でもある。
終戦記念日・・・むしろ「敗戦の日」としたほうが国民には判りやすく以後の学校教育にも戦争に対する認識も変わっていたのかも?
歴史に「IF」はないと言われるが戦後の歴史教育には今も疑問を感じている。
自分の国を守る自衛隊を「暴力装置」と言ってはばからない輩(ヤカラ)が政治の中枢にいるようでは日本の未来はない。
この政党が与党である期間は未だ1年もある。
民主党は決して解散はしない。理由は簡単だ。
今の民主党には二度と与党のチャンスは望めないからだ。
民主党政権になり この3年間だけでも失ったものは余りに多過ぎる。
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憂楽帳:機械遺産
毎日新聞 2012年08月03日 西部夕刊
http://mainichi.jp/opinion/news/20120803ddg041070012000c.html 以下全文
第1条件は温水洗浄便座のウォシュレット付き。転勤族で“持病”のある知人が部屋を借りる際の要件だ。一度使ったら手放せなくなったそうだ。
先日、その初代にあたる「ウォシュレットG」が日本機械学会の「機械遺産」に認定された。新しいトイレ習慣を創造し、生活に貢献した機械として歴史的価値があるとされた。現在、北九州市にあるTOTO本社近くの同社歴史資料館に展示されている。
温水洗浄便座の製造はTOTOが最初ではない。館長の山谷幹夫さんによると、1964年に米国メーカーの温水洗浄便座をTOTOが輸入販売。痔の治療など医療用だったこともあり、改良しても思うように売れずに独自開発を決めた。「お尻の位置はどこか」「どんな角度で温水を当てるか」「快適な水温は」など、男女300人の社員が戸惑いながらも実験台となって協力。2年後の80年に世に出せた。
それまで温水でお尻を洗う習慣などなかったが、国内での世帯普及率はいまやパナソニックなど他のメーカーも含めて約7割。夏休みには身近な「遺産」を見に行こうか。もちろん、件(くだん)の知人を誘って。【中園敦二】
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つぶやき
「温水洗浄便座のウォシュレット」を我が家に設置したのは勤めていた時にあるマンションの建設現場に行って現場のトイレを使った時だった。
使用後の余りの清潔感にショクを受ける程だった。
「温水洗浄便座のウォシュレット」は、この建設中のマンションの各室に設置するものの見本?であったのだ。
購入の下見に来られた方がこの「温水洗浄便座のウォシュレット」を使用されると殆どの方が初めて経験する快感に購入を決められたという。そのくらいの効果があったと聞いた。
支店に帰り早速 購買部長に詳細を伺い業者に手配を依頼した。間もなくある設備業者が我が家に来宅 直ぐに設置してもらう。
カミさんは「また変な物を買って・・・」と不満顔だったが、ためしに使って驚いていた。
言うことが憎らしかったな~
「何時もあんたが買う物にはろくな物がないが・・これは いいね」
褒められたのか?けなされたのか?判らぬが、カミさんの姉妹が北海道から我が家に来ると みんな帰宅後 家に設置したと聞く。
この最初に我が家に設置した「温水洗浄便座のウォシュレット」は20年以上も使ったのでは?
家の台所をリホームした時に ついでに浴室・トイレもリフォームしウォシュレットも当時の新しい物に取り替えたが古いものは未だ十分に使用に耐えるものだった。一度も故障はしなかった。
今の我輩は和式トイレには膝が痛く座れなくなった。外に出かけたときはホントに困る。
膨らんだお腹が恨めしい・・・衣食たりて「命」 失う?
贅沢になれて不幸な時代になった?・・・のでは?
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