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きょうの午後は楊式ツルギと対練の教室に行った。
大先生じきじきの教えに預かり恐縮の至りでしたが楊式ツルギは まァまァとして対連は流石に大先生も呆れられたほどの痴呆ぶりを見せたものだ。
対練は遂に大先生も「これはカナワン」とばかりに師範代の方に我輩を任せられた。
師範代の先生は元我輩と一緒に初段を受けた若い綺麗な女性の先生で現在2段である。
もしかして既に3段を取得されているやも?
ユックリと対連の動作をしていただく。なんとか7式くらい?やったか?兎に角 難しい。
たった7ツの動作で頭がこんがらがって来た。それでも数回一緒にやって戴いた。
まことに嬉しい限りである。
楊式ツルギは15式くらいまでやったのではないか?これも別の有段者の若いベッピンさんで実に親切に教えて戴いた。かなり細かな点まで指示された。
1尺の間違いを5寸にして頂いた感じである。
最もきょうの教室は女性6人に男性一人と言う恵まれた環境だった。
男性は我輩のほか4人いらっしゃるのだが?何故か?きょうは我輩一人だった。
女性陣は練達者ばかりで既に対連も楊式ツルギも一通り一人で出来る方々である。
中に3月の県大会で1位の方もいらっしゃる。その方の24式も拝見できた。
流石・・・と唸ったものだ。恐れいった。
神奈川県の大会で1位は難しい。何しろ出場者が多い。
勿論 彼女は県代表で全国大会に出場される。なんとか応援に行きたいものだ。
指導されている大先生も時々ご自分で型を示されているが これはもう その動きにはいいようがない。しなやかで柔軟で素人目にも伸びが凄い。(◎!◎)県大会でも重要な役職を受け持たれている。
代々木の応援は師範代に出場時間やコートなど・など聞いてみようと思う。
話が逸れたが楊式ツルギは少しでもできるようになると面白い。
どうやら閻魔さまの前でも一局舞えるのではと希望も湧く。
初めての時はただ突っ立っているだけで何も出来なかったが少しでも憶えると楽しいものだ。
家には6時半ごる帰ったがもう足と膝はガク・ガクだ。
直ぐに風呂を立ててもらい身体の汗を流した。
気分よくビールをぐ~と飲んだ。
来月の第一水曜日は来週だ。
きょうくらい また女性陣に教えていただけるとは限らないが楽しみだ。
午前中の教室で6月末の交流会での出場に念を押された。
我輩も忙しいものだ。ペンギン歩きの太極拳もまた楽しいというところか?
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http://mainichi.jp/opinion/news/20130528ddm003070131000c.html 以下全文
火論: 頭、切ります=玉木研二 毎日新聞 2013年05月28日 東京朝刊
<ka−ron>
アメリカの黒船艦隊を率いたペリーの来航は、英語による意思疎通の必要性を日本政府(江戸幕府)に思い知らせた。にこにこ世間話をすればすむのではない。国運懸けた交渉の手段である。
艦隊は1853年、江戸湾来航前にまず琉球(沖縄)に停泊した。そこでこのような逸話がある。
ペリーの命令で士官2人と通訳が上陸し、家屋の一軒を借りたいと申し入れた。役人は拒んだ。さらに強く求めると、役人は腹に据えかねたように立ち上がり、通訳を介さず、直接士官にたどたどしい英語ではっきりと意思を表明した。これは士官たちを驚かせた。
「ペルリ提督日本遠征記」(岩波文庫)に「殆(ほとん)ど彼の言葉通り」と再現された英語の原文とその訳が掲載されている。彼は書物でアメリカやワシントン(初代大統領)のことを読んだと言い、ワシントンはとても立派な人物であると述べる。そして「琉球はアメリカの良い友人」とし、欲しい物は提供するが「陸に家を持つことはできない」と断るのである。
士官はなおも要求した。
役人はしばらくの間出て王府で相談したらしく、戻ってきた。そしてさらに語勢を強めて拒んだという。結局、提督の命令だからと士官らは家に泊まってしまうが、役人の毅然(きぜん)たる態度と意思表示には少々胸がすくものがある。
片言とはいえ、彼はどこで英語を知ったのか。士官たちは琉球で活動していた宣教師からだろうと推定した。
明治初め「文明開化」とともに日本に英語の文物は流入した。知識人らの独占物ではなく、広く人々が接した。誤解や珍表現も起きる。
例えば、日本英学史学会編「英語事始」には、理髪店主が「頭を刈る」という日本語から「ヘッド・カッター(HeadCutter)」と看板を出した話が紹介されている。爆笑されたらしい。
だが、おそらく知る限りの英語を動員し、意を伝えずにおくものかと米艦隊士官と対峙(たいじ)した役人の気迫、何とか外国人客に意を伝え呼び込もうとした理髪店主の工夫こそは、語学学習の動機と熱意の根源ではないか。
「グローバル化時代」に世界に負けぬよう、と小学校英語教育の拡充や教科化などが論じられている。英語力をさまざまな資格の要件にしようともいう。
何級だ、何点だと競うもよいが、遠い先人たちの情熱も忘れまい。ひょっとしたら、そちらの方が大切なことかもしれない。(専門編集委員)
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つぐやき
↑ に出てくる沖縄の役人はすごいですね。私の対連もツルギも負けないように片言だけの知る限りの単語通訳なみに・・・これまで培ったものを最大限出すようにして太極拳をしてみたい。
いい格好はなしで下手で十分・・やるだけやるか?とてもいい記事を読んだ。
理髪店主の「頭を刈る」という日本語から「ヘッド・カッター(HeadCutter」も凄いですね。笑ってる場合ではないのだ。この無鉄砲ともいえる積極性が今は求められているのだ。
間違いを恐れないでやってゆこう。
その通りです。師範代からも そう言われています。とは言うもののやはり型の「かたち」は知りたいです。ところがイザ練習の時に”はて?”となり先に進みません。
予習が良いのかジャマなのか?まァ 暫くはダメ元で本のコピーを見ることにします。
奥様は大変ですね。確かに相手がいないと頭の中で一人では難しいです。
楊式ツルギはツルギの使い方がかなり派手です。チャンバラではないですが切った・ハッタの感じがします。
然し 面白いです。
先輩の習っておられる対練はかなり複雑で、この片田舎ではやれる人はまずいません。以前に、中国の先生の動画を見て、とても無理!!と思いました。
その点、先輩の情熱はすごいと思います。当方の奥方は20年以上ですが、3段を受けるにあたり、相手がいないと嘆いています。
3段でもリツエン、ヘイエンだけのようですからいわば単純なものです。えらそうに言っても、私は出来ませんが。
スイシュの先生も、組み手系は、相手がいなければ無理!といつも言われます。ただひたすら回数こなし、体に覚えさせるしかないとも。
太極拳は65歳から始めたので、頭も固く、練習量も若い頃と比べ、桁違いに少なく、まったく身につくなどという大それた感覚はありません。
ただ(継続は力)を信じ、太極拳は脳にはきついが、体にはちょうどお手ごろ~でもあり、周囲もそれなりに高齢で気楽ではあります。
神奈川は会員数が多いので、指導員のレベルも高く、複雑な方の対練を学べるなど、恵まれていると思います。どうか、それを噛み締めながら時間を掛けて継続されますように。
閻魔大王の諸刃の剣は、揚式剣で交わし~つかみかかる鬼達は、はやりの背負い投げ~得意の水泳で、彼岸から帰られる、特技をお持ちですから、うらやましい限りです。(笑)
私の32式剣では、まんず閻魔様の剣は、さばけません。このゆったりした剣さばきさえ間違えるていたらくです。次回の講習会で又しごかれてきます。 草々
32式剣巴投げ~したい爺拝
80歳代を現実に感じています。
対練はネットで本(B5版中古)を求め本にある型をコピーして順に並べて見て1~10くらいまでやっていますが型~型の動きはよく理解できず泣いています。攻防の連続です。打つ・受ける・蹴る・引く・等の連続で6人の生徒(女性)の練習(甲・乙)は見ていて感心ばかりしています。私は今 乙をやっていますが独学は難しいですね。
くんず・ほぐれずの柔道とはチト違い面食らうことばかりですね。
今 柔道会が揺れていますね。家族 特に子供さんが可哀想ですね。オヤジさんも くどくど言い訳しないで直ぐに止めれば少しはよかったかな?結果論で無責任なことはいえませんがエラクなられた方は大変です。
先日の歩く会、太極拳教室いずれも膝の方も我慢できた様で、良かったですね。
太極拳の方は、美女のおかげで、臨場感溢れる描写に恐れ入りました。今後も同じハーレム状態であれば、上達も速いと思います。
人徳ですね~
初期の段階の時とコメントぜんぜん違います、さすが基礎の出来ている所為ですね。
今後、鼻の下が伸びた分、歩幅は短かくして、膝をかばってください。
当方も、実は先日のスイシュはうら若き美女が参加、時々は相手をしてくれますよ~
その割に上達がおそい?センスがないのは解っているつもりですが~ 草々
メタボ拝