長内敏之のブログ

その日の出来事など、いろいろ

国立駅舎保存

2006-09-23 22:34:22 | インポート
 駅舎保存に努力してきた上原市長と少数与党は、大変苦労してきたが何とか、首の皮一枚で駅舎を保存する道をひらいたといえます。最後まで、どうなるかと思った瞬間が何度かありました。基金条例が否決され、決議の調整が何日もやられて議会最終日のまさに直前にまとまりました。やっと保管倉庫の予算が通過しました。最後の最後まで緊張しました。
 表面に出ませんが、教育委員の同意の調整もできませんでした。この人を否決できるわけはないという人です。これも拒否されました。
 まもなく線路の切り替え、が始まり、その後すぐ、駅舎のひさし部分の解体に、入ります。しかし、本体部分の解体に入るまでに、約1月あります。それまでに、文化財指定の手続きを完了しなければなりません。この間、国立市やJRによって詳しい調査が終わっていますから、教育委員会や文化財の審議会は基本的には手続き的で済む可能性は大きいです。
ですから、直ちに教育委員会にその作業入らせる必要があります。
 野党は、駅舎保存は、上原市長の色が付いているとして、計画をすべて強引につぶしてきました。しかし、駅舎を残してもらいたいという市民の声の前に、本当に駅舎をつぶしてしまいかねないがけっぷちで、「決議」に合意したのです。
 市長は「難産だった」と表現したが、私も、保存のための基金条例まで否決する多数野党の前では、「難産」という表現は実感を共有します。同時にやっと生まれる可能性が見えたが、もう少し続くだろう、厳しさがそんな実感もあります。
 この間、ブログの中でもいいたいことがいえないもどかしさがありました。とりあえずここまできました。
 なぜ、こんな駅舎保存という当たり前のことが、こんなに困難なのかわからない人は多いと思います。
 個別に、聞きたい人にはできる範囲で答えます。メールがあれば。
 
 


やっと帰ってきました

2006-09-23 04:24:37 | まち歩き
 かえってきたのは午前3時40分です。議会がおわったのがこの時間。午後11時55分のNHKニュースで国立の駅舎をやっていました。駅舎を解体して保管する、決議を何とかあげました。倉庫代も補正で可決しました。
市長は、文化財での保存を主張していました。とりあえず10月8日から11月までの間に、つまり駅舎のひさし部分は撤去されるがその間の一月間で、本体部分の文化財指定をして、それから解体。そして保存。という道をつける可能性をつけたということができます。
 後は教育委員会が重要です。
 少しも休む暇もなく、決算委員会です。