お正月からよいお天気がつづいていますね。
本年もよい1年になってほしいですね。
上京していた母を送って、地下鉄に乗っての帰り路。
中吊りの雑誌の広告を見ていました。
いまは雑誌は売れないらしいですね。自分も10年以上前から買っていません。
ネットでだいたいの情報は調べることができるし、
買ったところでたまるし。
でも、私は20代しばらくまで、メディアに憧れる人でした。
表現をして、それをメディアに載せる・・・ということしか、考えていなかったと思います。
そのメディアでも親しみのあったものが、雑誌と、本、でした。
雑誌は、実家にいた頃は、知らない世界を教えてくれる唯一のツールで、
上京してからは、通勤電車や帰省の電車のなかで、固有の世界を提供してくれる友でした。
あの当時のような憧れや親しみがなくなったのは、それなりの年になってしまったからなのか、
雑誌の質が変わったからなのか、他のメディアが出てきたからなのか・・・?
きょう、ふと中吊りを眺めていて、雑誌もいいもんだな、と思いました。
自分で検索しなくても、情報をコンパクトにパッケージングして提供してくれる。
クリックじゃなくて、紙をめくる動作が必要なだけ。
目が疲れない(やっぱり年をとったのでしょうか)。
もちろん、ネットでもそういうものはあるのでしょうが。
ところで、3日間、私の母が上京していたのですが、
今回、驚くべき話をききました。
それは、母が子どもだった頃(昭和20年頃ですね)、
お葬式のときの棺桶は、村の人たちで作っていた、ということです。
お正月から不謹慎ですみません。
そして、村の人たちですべての準備をし、遠くの親戚には歩いて教えにいき、
東京など、離れている親戚にだけは電報で知らせたということです。
メディアに依存して少女時代を過ごした自分と比べて、何も言えず、
時代も変わりましたね・・・という感想をもつのがやっとでした。
母は、本や雑誌を読みません。
必要なかったのだと思います。
その母が、珍しく、デジカメというものを買いたいというので、
夫にネットで調べてもらい、3人でカメラ量販店へ行きました。
昭和は遠くなったみたいだけど、平成をもっとたくさん楽しみたいものです。
さきほどの話の続きですが、
母の村では、電球をとりかえるのにも電気屋さんにお金を払ったことがなく、
お産の際にも産婆さん(婦人科とかはなかった)にお金を払ったことはなく、
詳しい事は覚えていないが、どうも、村でやとって(電気屋さんと産婆さんは長屋に住んでいた)、
給料のようなものを払っていたのではないか、ということでした。
なんだか社会主義の国みたいですが、
砂糖と塩と足袋以外は村で調達できたので、そういうしくみが成り立っていたんでしょうか。
(水は井戸、燃料は薪)
私は、美大時代から、お金の発生しない仕事は受けてはいけない、と授業で教わり、
会社でも、安い仕事はしてはいけない、と教わってきました。
つまり、高い仕事を、高い完成度で仕上げること、ということだと思います。
でも、母の話をきき、この仕事でお金をいただく・・・とはどういうことか、考えてしまいました。
私は貧乏な環境で育ちましたが、そのわりには、
生まれてこれまで、お金持ちになりたい!お金を稼ぎたい!と思ったことはなく、
好きなことをして暮らしたい。が、願いでした。
現実に好きなことで暮らすには、好きな事を仕事にするのが一番なので、
その道にようやくたどりつきました。
でも、好きな仕事だけでは、生活はまったくできないとわかりました。
そすると、仕事、と、好きな事、は、離してもいのかもしれない・・・とも思えてきます。
フリーランスの方がたと、そんなお話をしてみたいと思います。
本年も、どうぞよろしくおねがいいたします。
みなさまにも、よいお年となりますよう☆
本年もよい1年になってほしいですね。
上京していた母を送って、地下鉄に乗っての帰り路。
中吊りの雑誌の広告を見ていました。
いまは雑誌は売れないらしいですね。自分も10年以上前から買っていません。
ネットでだいたいの情報は調べることができるし、
買ったところでたまるし。
でも、私は20代しばらくまで、メディアに憧れる人でした。
表現をして、それをメディアに載せる・・・ということしか、考えていなかったと思います。
そのメディアでも親しみのあったものが、雑誌と、本、でした。
雑誌は、実家にいた頃は、知らない世界を教えてくれる唯一のツールで、
上京してからは、通勤電車や帰省の電車のなかで、固有の世界を提供してくれる友でした。
あの当時のような憧れや親しみがなくなったのは、それなりの年になってしまったからなのか、
雑誌の質が変わったからなのか、他のメディアが出てきたからなのか・・・?
きょう、ふと中吊りを眺めていて、雑誌もいいもんだな、と思いました。
自分で検索しなくても、情報をコンパクトにパッケージングして提供してくれる。
クリックじゃなくて、紙をめくる動作が必要なだけ。
目が疲れない(やっぱり年をとったのでしょうか)。
もちろん、ネットでもそういうものはあるのでしょうが。
ところで、3日間、私の母が上京していたのですが、
今回、驚くべき話をききました。
それは、母が子どもだった頃(昭和20年頃ですね)、
お葬式のときの棺桶は、村の人たちで作っていた、ということです。
お正月から不謹慎ですみません。
そして、村の人たちですべての準備をし、遠くの親戚には歩いて教えにいき、
東京など、離れている親戚にだけは電報で知らせたということです。
メディアに依存して少女時代を過ごした自分と比べて、何も言えず、
時代も変わりましたね・・・という感想をもつのがやっとでした。
母は、本や雑誌を読みません。
必要なかったのだと思います。
その母が、珍しく、デジカメというものを買いたいというので、
夫にネットで調べてもらい、3人でカメラ量販店へ行きました。
昭和は遠くなったみたいだけど、平成をもっとたくさん楽しみたいものです。
さきほどの話の続きですが、
母の村では、電球をとりかえるのにも電気屋さんにお金を払ったことがなく、
お産の際にも産婆さん(婦人科とかはなかった)にお金を払ったことはなく、
詳しい事は覚えていないが、どうも、村でやとって(電気屋さんと産婆さんは長屋に住んでいた)、
給料のようなものを払っていたのではないか、ということでした。
なんだか社会主義の国みたいですが、
砂糖と塩と足袋以外は村で調達できたので、そういうしくみが成り立っていたんでしょうか。
(水は井戸、燃料は薪)
私は、美大時代から、お金の発生しない仕事は受けてはいけない、と授業で教わり、
会社でも、安い仕事はしてはいけない、と教わってきました。
つまり、高い仕事を、高い完成度で仕上げること、ということだと思います。
でも、母の話をきき、この仕事でお金をいただく・・・とはどういうことか、考えてしまいました。
私は貧乏な環境で育ちましたが、そのわりには、
生まれてこれまで、お金持ちになりたい!お金を稼ぎたい!と思ったことはなく、
好きなことをして暮らしたい。が、願いでした。
現実に好きなことで暮らすには、好きな事を仕事にするのが一番なので、
その道にようやくたどりつきました。
でも、好きな仕事だけでは、生活はまったくできないとわかりました。
そすると、仕事、と、好きな事、は、離してもいのかもしれない・・・とも思えてきます。
フリーランスの方がたと、そんなお話をしてみたいと思います。
本年も、どうぞよろしくおねがいいたします。
みなさまにも、よいお年となりますよう☆