大島恵真(おおしま・えま)の日記

児童文学作家・大島恵真の著作、近況を紹介します。
絵本作家・大島理惠の「いろえんぴつの鳥絵日記」もこちらです。

2010年あけましておめでとうございます

2010年01月02日 | ごあいさつ
お正月からよいお天気がつづいていますね。
本年もよい1年になってほしいですね。

上京していた母を送って、地下鉄に乗っての帰り路。
中吊りの雑誌の広告を見ていました。
いまは雑誌は売れないらしいですね。自分も10年以上前から買っていません。
ネットでだいたいの情報は調べることができるし、
買ったところでたまるし。

でも、私は20代しばらくまで、メディアに憧れる人でした。
表現をして、それをメディアに載せる・・・ということしか、考えていなかったと思います。
そのメディアでも親しみのあったものが、雑誌と、本、でした。
雑誌は、実家にいた頃は、知らない世界を教えてくれる唯一のツールで、
上京してからは、通勤電車や帰省の電車のなかで、固有の世界を提供してくれる友でした。
あの当時のような憧れや親しみがなくなったのは、それなりの年になってしまったからなのか、
雑誌の質が変わったからなのか、他のメディアが出てきたからなのか・・・?

きょう、ふと中吊りを眺めていて、雑誌もいいもんだな、と思いました。
自分で検索しなくても、情報をコンパクトにパッケージングして提供してくれる。
クリックじゃなくて、紙をめくる動作が必要なだけ。
目が疲れない(やっぱり年をとったのでしょうか)。
もちろん、ネットでもそういうものはあるのでしょうが。

ところで、3日間、私の母が上京していたのですが、
今回、驚くべき話をききました。
それは、母が子どもだった頃(昭和20年頃ですね)、
お葬式のときの棺桶は、村の人たちで作っていた、ということです。
お正月から不謹慎ですみません。
そして、村の人たちですべての準備をし、遠くの親戚には歩いて教えにいき、
東京など、離れている親戚にだけは電報で知らせたということです。
メディアに依存して少女時代を過ごした自分と比べて、何も言えず、
時代も変わりましたね・・・という感想をもつのがやっとでした。

母は、本や雑誌を読みません。
必要なかったのだと思います。
その母が、珍しく、デジカメというものを買いたいというので、
夫にネットで調べてもらい、3人でカメラ量販店へ行きました。
昭和は遠くなったみたいだけど、平成をもっとたくさん楽しみたいものです。

さきほどの話の続きですが、
母の村では、電球をとりかえるのにも電気屋さんにお金を払ったことがなく、
お産の際にも産婆さん(婦人科とかはなかった)にお金を払ったことはなく、
詳しい事は覚えていないが、どうも、村でやとって(電気屋さんと産婆さんは長屋に住んでいた)、
給料のようなものを払っていたのではないか、ということでした。
なんだか社会主義の国みたいですが、
砂糖と塩と足袋以外は村で調達できたので、そういうしくみが成り立っていたんでしょうか。
(水は井戸、燃料は薪)

私は、美大時代から、お金の発生しない仕事は受けてはいけない、と授業で教わり、
会社でも、安い仕事はしてはいけない、と教わってきました。
つまり、高い仕事を、高い完成度で仕上げること、ということだと思います。
でも、母の話をきき、この仕事でお金をいただく・・・とはどういうことか、考えてしまいました。

私は貧乏な環境で育ちましたが、そのわりには、
生まれてこれまで、お金持ちになりたい!お金を稼ぎたい!と思ったことはなく、
好きなことをして暮らしたい。が、願いでした。
現実に好きなことで暮らすには、好きな事を仕事にするのが一番なので、
その道にようやくたどりつきました。
でも、好きな仕事だけでは、生活はまったくできないとわかりました。
そすると、仕事、と、好きな事、は、離してもいのかもしれない・・・とも思えてきます。
フリーランスの方がたと、そんなお話をしてみたいと思います。

本年も、どうぞよろしくおねがいいたします。
みなさまにも、よいお年となりますよう☆