みなさま こんにちは!
5月30日に、9歳で虹の橋を渡っていった黒猫ノアの、思い出を書いてみます。
家に来た2013年頃には、記録もつけていませんでした。いろいろ楽しいこと、驚くこともあったのに、急には思い出せません。そこで、思いつくままに書いてみようと思います。
☆☆☆☆☆
ノアは、素直な性格の、愛すべき猫でした。
ごはんが大好きで、眠るのが大好き。鳥を見るのも好き。人と遊ぶのも好き。
なかでもノアらしいといえば、やはりごはんでした。1歳までは野良猫だったためか食欲がものすごく、昨年冬に具合が悪くなるまで、ほとんどおとろえませんでした。
家の中のどこかに食べ物の匂いがすれば、ノアにねらわれます。家に来たばかりのころ、カップスープの空き袋をお気に入りの場所に持ち込み、破壊しているのに出くわしました。
アルミ製の袋でも破って食べてしまいそうだったので、「だめだよ」と言って取り上げようとしたら、いつもの素直でかわいい猫から豹変し、「ウウ〜!!」とうなって私の手を嚙みました。血が出ました。
飼い犬に手を嚙まれた精神的な痛みと、野良猫に手を嚙まれた肉体的な痛みは、衝撃でした。
でも、ノアが本気で嚙んだのはそれ1回きりでした。「いけないことかもしれない」と思ってくれたのかもしれません。「食品どろぼう」は晩年まで続きましたが……。
2年後に私が外で働き始めると、おとうさん(夫)がノアの夕ご飯担当になりました。
地域の防災無線から夕方の音楽が流れると、ノアは落ち着かなくなります。その音楽とともにごはんになると、覚えたようです。
夏は夕方5時半ですが、そのうち、もう音楽が聞こえる前から夫の仕事場にかけあがっていって、ニャーニャー鳴くようになりました。
何年かして、おとうさんがごはん(カリカリ)の用意をしていると、リビングのテーブルのまわりをぐるぐると走り回るようになりました。ニャー、と鳴きながら1周。まだ用意がされていないと、ニャーと鳴きながらまた1周。待ちきれなくて回ってしまったのかもしれません。
だんだん回る回数が増えてきて、具合が悪くなる直前の昨年11月にはピークに達し、7周くらい回って、えさを持ってやってきたおとうさんの足もとにダッシュで走り寄って、その場でくるっと1周のサービスもしてくれました。
ごはんのためなら芸もしてくれるノアに、人間たちは笑ってほめての夕方の一大イベントでした。
いま考えれば、ノアは、私たちに教えてくれていたのかもしれません。
私たちの教育係で、我が家でいちばんの人格者で、いつも人間の思いや行動を静かに受け止めてくれていたノア。
食べられることが幸せで、食べ物がいつも出てくるのは奇跡的な幸せだということをノアは知っていて、私たちにも必死に伝えてくれていたのかもしれません。
5月30日に、9歳で虹の橋を渡っていった黒猫ノアの、思い出を書いてみます。
家に来た2013年頃には、記録もつけていませんでした。いろいろ楽しいこと、驚くこともあったのに、急には思い出せません。そこで、思いつくままに書いてみようと思います。
☆☆☆☆☆
ノアは、素直な性格の、愛すべき猫でした。
ごはんが大好きで、眠るのが大好き。鳥を見るのも好き。人と遊ぶのも好き。
なかでもノアらしいといえば、やはりごはんでした。1歳までは野良猫だったためか食欲がものすごく、昨年冬に具合が悪くなるまで、ほとんどおとろえませんでした。
家の中のどこかに食べ物の匂いがすれば、ノアにねらわれます。家に来たばかりのころ、カップスープの空き袋をお気に入りの場所に持ち込み、破壊しているのに出くわしました。
アルミ製の袋でも破って食べてしまいそうだったので、「だめだよ」と言って取り上げようとしたら、いつもの素直でかわいい猫から豹変し、「ウウ〜!!」とうなって私の手を嚙みました。血が出ました。
飼い犬に手を嚙まれた精神的な痛みと、野良猫に手を嚙まれた肉体的な痛みは、衝撃でした。
でも、ノアが本気で嚙んだのはそれ1回きりでした。「いけないことかもしれない」と思ってくれたのかもしれません。「食品どろぼう」は晩年まで続きましたが……。
2年後に私が外で働き始めると、おとうさん(夫)がノアの夕ご飯担当になりました。
地域の防災無線から夕方の音楽が流れると、ノアは落ち着かなくなります。その音楽とともにごはんになると、覚えたようです。
夏は夕方5時半ですが、そのうち、もう音楽が聞こえる前から夫の仕事場にかけあがっていって、ニャーニャー鳴くようになりました。
何年かして、おとうさんがごはん(カリカリ)の用意をしていると、リビングのテーブルのまわりをぐるぐると走り回るようになりました。ニャー、と鳴きながら1周。まだ用意がされていないと、ニャーと鳴きながらまた1周。待ちきれなくて回ってしまったのかもしれません。
だんだん回る回数が増えてきて、具合が悪くなる直前の昨年11月にはピークに達し、7周くらい回って、えさを持ってやってきたおとうさんの足もとにダッシュで走り寄って、その場でくるっと1周のサービスもしてくれました。
ごはんのためなら芸もしてくれるノアに、人間たちは笑ってほめての夕方の一大イベントでした。
いま考えれば、ノアは、私たちに教えてくれていたのかもしれません。
私たちの教育係で、我が家でいちばんの人格者で、いつも人間の思いや行動を静かに受け止めてくれていたノア。
食べられることが幸せで、食べ物がいつも出てくるのは奇跡的な幸せだということをノアは知っていて、私たちにも必死に伝えてくれていたのかもしれません。