デジブック 『郡上のな~八幡・・』を公開しました。
鴨川も西賀茂蛙ケ谷あたりから川幅が広くなる・・・
京都市民の憩いの場所となって・・・休日には家族づれの川遊びで賑わっている・・・
地図を見ていて分かったことだが・・・
国土地理院の地図では「鴨川」と表記されているが、
京都府の地図では・・・高野川との合流点(出町柳あたり)から上流が「賀茂川」、下流が「鴨川」と区別して表記されていた。
google地図では鴨川となっているがyahoo地図では鴨川と賀茂川が区別して表記されているのも面白い・・・
もう一つ賀茂川沿いを走る街道は「加茂街道」となっていた。
そうそう鳥たちの猟場にもなっている・・・
京都市内から車で30分程度の集落は・・・限界集落の様相である
定期バスもなく今は市民バスもくもく号が一日2往復が走っている程度・・・
集落には茅葺家屋が多く残されていたが・・・空き家も多い
学校は小学校が2012年3月に、中学校が2011年3月に廃校となった・・・
雲が畑岩屋橋の近くに惟喬神社があった・・・・惟喬親王を祀る
そう言えば今年5月に訪れた東近江市君ヶ畑にも木地師の祖として惟喬親王を祀る神社があったのを思い出していた。
地名も「雲ケ畑」と「君ケ畑」、双方山懐の集落・・・
なんか関係性があるんだろうかと思い巡らして・・・
京都の地図を広げていたら・・・・急に鴨川の源流域を訪ねてみたくなった
交通量の多い京都市内から西賀茂蛙ケ谷から上流部の道は急に狭くなって・・・・
時々すれ違う車に出会う程度で・・・・その奥に「雲ケ畑」という集落が・・・・
いまでこそ上水道が発達し水のありがたさを気に留める人は少なくなったが、平安の時代は・・・
鴨川の水は貴重な上水であり浄水だったのだろう
なんとなく「雲ケ畑」と名づけられた所以があるように感じられた・・・
行きついたところが志明院・・・
そこから下流域に・・・川に沿って雲の畑集落が散在していました・・・
つづく
京都の祇園祭が語源となっている慣用語として・・・
祇園祭後祭・・・・あとのまつり
埒(らち)・・・・らちがあかない
そして関宿の夏祭りからも慣用語が伝えられている
関の山車・・・せきのやま(もうこれ以上は無理の意)
狭い街道を通る関の山車は・・・もうこれ以上大きくすることができないようです・・・
地元の人の話では・・・過去に家のひさしに山車をぶつけたこともあるようです
最後はいつもお世話になっている木崎町の皆さんです・・・