港湾施設や工場地帯にある憩いのガーデン・・・
「名古屋港ワイルドフラワーガーデン」です
三重県多気町丹生・・・地名のごとく古くから水銀が産出されていた地・・・
今は鉱山跡だけが残されている
この地に真言宗の古刹・・・人々から「丹生大師」と呼ばれ親しまれている寺院で・・・
正式には女人高野・ 丹生山「神宮寺」である
正直なところ・・・
今回は丹生集落にある立梅用水のアジサイと地元料理のレストラン「まめや」が目的だったが・・・
近くに丹生大師があると教えられて寄ってみた・・・
古い山門をくぐり境内へ・・・その落ち着いた佇まいに一目で魅かれてしまった
笹路の奥、山女原(あけびはら)・・・新名神鈴鹿トンネルの上部に位置する・・・
その集落には、筒井姓を名乗る数戸だけでお祀りをする「惟喬法親王社」があると聞き訪ねてみた・・・
筒井家の先祖は惟喬親王家臣の末裔で・・・小椋谷から移り住んだと聞く
かつては木地職を生業にしていたと伝わっている・・・
筒井さんに詳しいお話を伺って「惟喬法親王社」まで歩こうと意気込んだけれど・・・(後段の記述につづく)
さて話は変わるけれど・・・地元の人から興味津々な話を伺った・・・
集落を通る道は安楽越えの道と言われ・・・この集落から亀山石水渓につながっており・・・
秀吉が賤ケ岳の戦いの直前に3万の兵を伴って亀山攻めに向かったそうだ・・・
戦略上あえて鈴鹿峠を避けたと聞く・・・
現在は東海自然歩道として整備され歩いて峠を越える人も少なくないそうだ・・・
詳しいことは・・・http://www.shimin-kyodo.sakura.ne.jp/bungei/aichikogan/tokaido141.htm
筒井さんのご自宅・・・詳しい惟喬親王社の話を聞かせて頂こうと玄関を叩いたがお留守で・・・
それでも行こうと惟喬親王社を目指して林道を歩き始めたが・・・
道に迷いそうになって途中で引き返した・・・
惟喬親王(これだかしんのう)・・・9世紀後半、天皇の長子に生まれながら皇位継承から退いて・・・
さらに、ときの政権藤原良房から追われる身となって・・・鈴鹿山中の奥深き集落に隠棲したと伝わっている。
詳しきことは・・・http://www.shigahochi.co.jp/info.php?type=article&id=A0000355
甲賀市山内町笹路(そそろ)集落にも、惟喬親王の伝説がのこっていると知り訪ねてみた・・・
場所はちょうど新名神の鈴鹿トンネル滋賀県側出口付近・・・
笹路の住人にその旨を尋ねると・・・「お寺の住職さんに聞いてみると詳しく教えてくださるよ」とのこと・・・
早速・・・臨済宗圓通禅寺へ
年の暮れ、藤原氏の追っ手から逃がれてこられた親王を匿ったため正月準備ができず、いらい笹路では門松などの正月飾りをしないのだという。
家の庭先で見つけた小さなお地蔵さんです
窓はすべて格子に守られた立派なお屋敷も・・・
畑に停められてあった懐かしい自動車・・・
昭和50年代の・・・いすずジェミ二でした・・・
写真を撮っていたら持ち主の方が出てこられて・・・「この車はまだ現役ですよ。時々町まで出かけますよ」でした。