浜ノミクス

旅・食べ・犬・酒好きの主婦です。グルメには程遠い馬鹿舌疑惑がありつつも横浜を中心に美味しいお店を紹介していきます。

ゆったり花籠御膳 in 吉祥

2013年08月04日 | グルメ 和食
昨年12月ポラリスさんとランドマの吉祥でランチ
ささやき女将で有名になったのは吉兆。ここは「吉祥」間違ったらここの女将にはドツかれれると思う。

1ドリンク付きで3500円 まずは乾杯

ワオ少しずつが沢山で嬉しい
接待とか両親とのランチに良い感じ。

近隣のオフィス街を意識してか1000円位のランチもあったと思う

せっかくなので、もう一捻りしたデザートだと尚よろしいかも。
抹茶のアイスコロンじゃ何だか芸が無い。
セルフサービスのコーヒーも飲み放題で置いてあった。
サービスが良いですね。御馳走様でした。

今日の産経新聞の記事は感動したなあ・・・朝から泣いちゃったよ

■1910年(明治43年)4月15日、広島湾沖で潜水訓練中の潜水艦が遭難する事故が起きた。海水が潜水艦の内部に入り込み、後ろに大きく傾き海底に沈んでしまった。艇長の佐久間勉と乗組員13人は、艇を浮上させようと排水などの手段を尽くしたが、成功せず。やがて、乗組員全員が呼吸困難のため窒息死した。
日本海軍が初めて潜水艇を保有したのは、日露戦争が終わった1905年(明治38年)。潜水艇はとても小さな物だった。六号艇とも呼ばれていた佐久間艇は全長22mで、世界最小。この頃の潜水艇は、構造的にも不備なところが多く、技術においても未熟な点があったそうだ。


■数日後、佐久間艇は引き上げられた。潜水艇の遭難事故はヨーロッパでも度々起きていた。引き揚げられた艇の扉を開けると、そこに多くの乗組員の遺体が群がり、乱闘の後さえあったと。何とかして助からんために、水明かりのするハッチに殺到していたらしい。その為、関係者たちの間では佐久間艇もそのような状況だと思われていた。

■ところがハッチを開けると、艦長の佐久間は司令塔で指揮をとるままに息絶え、舵取はハンドルを握ったまま、各々自分の持ち場を離れずに絶命していて、とりわけ取り乱した様子が無かった。更に、佐久間は苦しい息の中で遺書を書き残していた。
その遺書には、部下を死なせてしまった罪を謝り、部下が最後まで沈着に任務を尽くしたこと。また、この事故が将来、潜水艇の発展の妨げにならないこと、さらに沈没の原因とその後の処置について書き、最後に明治天皇に対し、部下の遺族の生活が困窮しないように懇願していた。

■死の直前に、取り乱さないばかりか、後世のために遺書を記していたことは驚きで、 国内のみならず欧米各国においても、この事件について新聞や雑誌が大きく取り上げた。イギリスの新聞『グローブ』紙は「この事件で分かることは、日本人は体力上勇敢であるばかりか道徳上、精神上にもまた勇敢であることを証明している。今にも昔にもこのようなことは世界に例がない」と驚嘆した。

やっぱり従軍慰安婦捏造アカヒ新聞と違い産経は良い記事書くなあ。
この事実を知らなかった自分が恥ずかしい。
必死に日本を守ってくれた日本人が居てこその今の日本ですものね。

昔の日本人は偉かった・・・・いやいや今の日本人だって。
これは最近の事なので皆様ご存じでしょうね。

先月22日午前9時15分頃、JR南浦和駅京浜東北線ホームで、大宮発磯子行き普通電車から降りようとした30歳代の女性乗客がホームと車両の間に落ち、腰のあたりを挟まれた。

・車内やホームにいた乗客や駅員ら約40人が協力して車両を押し、隙間を広げて女性を救出。女性は病院に運ばれたが、目立ったけがはない

・事故当時、ホームで「人が挟まれています」というアナウンスが流れ、電車の乗客らが自主的に降車。車両を押していた駅員を手伝った。女性は作業から数分で救出され、乗客らから拍手が起きた。

「日本人だから出来た」と各国から絶賛されているそうだ。


今の海軍のストレスは東日本大震災や尖閣諸島の問題で20年前の7倍だそうだ。
そりゃあ尖閣諸島防衛中にレーザーを照射(それを機械が感知して警告音が鳴るらしい)されたら計り知れない緊張感だと思う。

憲法を改正すると日本は戦争をすると反日野党は言う。
抑止力が日本を守ると言う事が分からないのか?
日本人が日本人を信じなくてどうするよ?


日本を取り戻す ポチっつ
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