相談員の高橋です。
本日は、ご縁があって、サービス付高齢者向け住宅『銀木犀』の見学に行きました。
場所は西新井の住宅地。
西新井の銀木犀には、駄菓子屋さんがあります。地域の子どもたちや、その親たちとの交流を図る住宅として設計されており、その象徴が、この駄菓子屋さんです。
3時から4時30分の開店時間のうちに、くるわくるわの子どもたち。店番は、入居者さんが行います。
子どもたちは、目当てのお菓子を買うと、そのままラウンジに行き、ゲームをしたりお話をしたり思い思いの時間を過ごします。キッチンからは、自分たちでジュースを出して飲んでます。
まるで、児童館のよう。
代表の下河原さんが言いました。「この子供たちの声や、このガヤガヤ感みたいなものが、ここの財産なんですよ。」と。
子どもたちは、住居の中を走り回り、すこし怒られてましたけど(笑)、そんな光景が、老人福祉の施設で見ることができることが不思議な感覚でした。
そんな素敵な住居の銀木犀の中を少し紹介します。
素敵です。下河原さん曰く「老人用の設計ではないです。」と。もう、何もかもが目からウロコな感じです。
本日、見学に参加した、ケアマネの宮木さん、済藤さん、ユニットリーダーの曽我本さんも、「すてきな住居だな…」と、ミーティング。
実は、今日は中国の企業家の若きリーダーたちが、銀木犀に見学に来ることになっていて、そこに便乗させていただきました。
そこでの下河原さんの挨拶を紹介します。
日本では、地域(家)に住めなくなると、施設にはいり、施設に住めなくなると病院にはいり、そこで人生を終える方が多かった。そんな方たちの多くは、住み慣れた家で、地域で最後まで過ごしたいと思っていたはずです。
銀木犀は、第二の我が家にしたいと思っています。
そのために、どんな状態になっても、ここで住み続けられる為のサービスを提供することにしています。食事が必要であれば、食事を提供する。介護が必要であれば、必要な時に必要な分だけを提供する。自分が持っている力を最後まで生かしていけるようにすること。決して、残っている力を取り上げるような介護を提供しないこと。これが、日本の新しい考えになっています。
今までは、入居をすると、何でもしてあげるだった。でも、人はいくつになっても、自分の役割、生きがいを必要とする。我々は駄菓子屋さんを作って、入居者に店番をしていただいたり、ドラムサークルで地域の子どもたちを呼んで、子供たちの前で演奏をしたり、近くの公園を皆で清掃をしたり、様々な取り組みの中で、人生の最後まで役割をもって過ごしていただきたいと考えています。
銀木犀では、看取りにも取り組んでいます。過度な医療を提供せず、本人の持っている力のみで生き切る援助をする。自然な形で死を迎え入れる…と。「あ、私たちと同じだ。」と、ほっとした感覚と自信にもなりました。
中国の方から印象に残る質問がありました。
「もし、子どもたちが施設の中で入居の方にけがをさせてしまった場合にはどうするのですか?」と。
その問いに対し、下河原さんは「それこそが社会の縮図です。過度な管理は依存を生みます。ほどほどの管理がいい。トラブルが起きたら、その時に考えましょう。」と。
「この住居は施錠をしていませんが、もし、認知症の方が外に出て徘徊してしまったらどしますか?」
「私たちは、徘徊とは言いません。お散歩と言います。地域の方に認知症の方のお散歩を理解していただくようにお知らせをしています。お散歩をしていると連絡があります。そして、無事に帰ってきますよ。認知症の方が安心して散歩できる地域つくりです。」「地域に私たちの介護士たちが出ていくことをはじめました。これから僕らがやらないといけないことは、街づくりです。」
銀木犀が地域に根付いていることが心底感じられました。駄菓子屋さんに遊びにくる子どもたち、そしてその親たち、認知症の方の散歩を見守って下さる地域の方たち…繋がっているんですね。「銀木犀」と言えば、地域の方が、そこまで案内してくれる高齢者向け住宅なんですね。
地域とのかかわり方、大変刺激をうけました。音羽台も変わります。音羽台の目指すもの。
いたカフェの森川すいめい先生、シルバーウッドの下河原忠道さん…素晴らしい出会いに感謝ですね。
追伸:中国の若き企業家さんたちのパワーというか熱意が凄かったです。質問が終わらない。うーん、すごい。
本日は、ご縁があって、サービス付高齢者向け住宅『銀木犀』の見学に行きました。
場所は西新井の住宅地。
西新井の銀木犀には、駄菓子屋さんがあります。地域の子どもたちや、その親たちとの交流を図る住宅として設計されており、その象徴が、この駄菓子屋さんです。
3時から4時30分の開店時間のうちに、くるわくるわの子どもたち。店番は、入居者さんが行います。
子どもたちは、目当てのお菓子を買うと、そのままラウンジに行き、ゲームをしたりお話をしたり思い思いの時間を過ごします。キッチンからは、自分たちでジュースを出して飲んでます。
まるで、児童館のよう。
代表の下河原さんが言いました。「この子供たちの声や、このガヤガヤ感みたいなものが、ここの財産なんですよ。」と。
子どもたちは、住居の中を走り回り、すこし怒られてましたけど(笑)、そんな光景が、老人福祉の施設で見ることができることが不思議な感覚でした。
そんな素敵な住居の銀木犀の中を少し紹介します。
素敵です。下河原さん曰く「老人用の設計ではないです。」と。もう、何もかもが目からウロコな感じです。
本日、見学に参加した、ケアマネの宮木さん、済藤さん、ユニットリーダーの曽我本さんも、「すてきな住居だな…」と、ミーティング。
実は、今日は中国の企業家の若きリーダーたちが、銀木犀に見学に来ることになっていて、そこに便乗させていただきました。
そこでの下河原さんの挨拶を紹介します。
日本では、地域(家)に住めなくなると、施設にはいり、施設に住めなくなると病院にはいり、そこで人生を終える方が多かった。そんな方たちの多くは、住み慣れた家で、地域で最後まで過ごしたいと思っていたはずです。
銀木犀は、第二の我が家にしたいと思っています。
そのために、どんな状態になっても、ここで住み続けられる為のサービスを提供することにしています。食事が必要であれば、食事を提供する。介護が必要であれば、必要な時に必要な分だけを提供する。自分が持っている力を最後まで生かしていけるようにすること。決して、残っている力を取り上げるような介護を提供しないこと。これが、日本の新しい考えになっています。
今までは、入居をすると、何でもしてあげるだった。でも、人はいくつになっても、自分の役割、生きがいを必要とする。我々は駄菓子屋さんを作って、入居者に店番をしていただいたり、ドラムサークルで地域の子どもたちを呼んで、子供たちの前で演奏をしたり、近くの公園を皆で清掃をしたり、様々な取り組みの中で、人生の最後まで役割をもって過ごしていただきたいと考えています。
銀木犀では、看取りにも取り組んでいます。過度な医療を提供せず、本人の持っている力のみで生き切る援助をする。自然な形で死を迎え入れる…と。「あ、私たちと同じだ。」と、ほっとした感覚と自信にもなりました。
中国の方から印象に残る質問がありました。
「もし、子どもたちが施設の中で入居の方にけがをさせてしまった場合にはどうするのですか?」と。
その問いに対し、下河原さんは「それこそが社会の縮図です。過度な管理は依存を生みます。ほどほどの管理がいい。トラブルが起きたら、その時に考えましょう。」と。
「この住居は施錠をしていませんが、もし、認知症の方が外に出て徘徊してしまったらどしますか?」
「私たちは、徘徊とは言いません。お散歩と言います。地域の方に認知症の方のお散歩を理解していただくようにお知らせをしています。お散歩をしていると連絡があります。そして、無事に帰ってきますよ。認知症の方が安心して散歩できる地域つくりです。」「地域に私たちの介護士たちが出ていくことをはじめました。これから僕らがやらないといけないことは、街づくりです。」
銀木犀が地域に根付いていることが心底感じられました。駄菓子屋さんに遊びにくる子どもたち、そしてその親たち、認知症の方の散歩を見守って下さる地域の方たち…繋がっているんですね。「銀木犀」と言えば、地域の方が、そこまで案内してくれる高齢者向け住宅なんですね。
地域とのかかわり方、大変刺激をうけました。音羽台も変わります。音羽台の目指すもの。
いたカフェの森川すいめい先生、シルバーウッドの下河原忠道さん…素晴らしい出会いに感謝ですね。
追伸:中国の若き企業家さんたちのパワーというか熱意が凄かったです。質問が終わらない。うーん、すごい。