ふくろう親父の昔語り

地域の歴史とか、その時々の感想などを、書き続けてみたいと思います。
高知県の東のほうの物語です。

銅像?

2011-02-23 20:36:58 | 今日の一面
 今日の一面です。
 土佐勤皇党の結成150年を記念して、坂本龍馬の銅像の近くに武市半平太と中岡慎太郎の銅像を建設してはどうかといった論議がなされているのだそうです。
 観光地としての桂浜により一層の魅力を付加しようというのです。

 その記事の前段には「場」の話も添えられています。
 かの司馬遼太郎氏が今の桂浜で太平洋に向かって、遠くを見つめている坂本龍馬像の場を絶賛していたというのです。
 
 さて今回の銅像建設に係わる話ですが、昨年の「龍馬伝」に続く話題集めを意図しての発想でしょうから、また一定期間が経過すると撤去するそうですから、それほど難しく考える必要もないと思うのです。ただ観光客に来て欲しい。耳目を集めて・・・。それだけなのです。
 
 今回の土佐勤皇党の結成150年事業に関して、どのように考えるかといった事柄があろうと思うのです。日本の歴史の中で、また土佐のそれの中でその時点で土佐勤皇党がいかなる役割を果たし、明治以降の自由民権運動にどのように繋がってゆくのかといったことについてまで考えてくれたら納得ですがねえ。

 場としては桂浜が最高なのか。
 3人の銅像を並べる形が好いのか
 3人だけでいいのか。
 
 私見です。銅像建設が可能ならば中芸地域の海岸に「志士の群像」を建設してはどうでしょうか。武市が田野学館に教授として派遣されたことで中岡慎太郎や清岡道之助をはじめ23人の勤皇の同士たちが出会っているのです。楽しく飲み且つ喋っているような群像を海岸に建設することを提案します。

 投獄された武市半平太と、彼の助命嘆願に命をかけた23人の仲間達、先に動き始めていた中岡慎太郎。かれらの行動こそが勤皇党であったろうし、彼らの活動が高知県全域に広がっていかなかったことが、土佐勤皇党の限界であったと思うからです。

 どうでしょう。
 今回の桂浜へ3人の銅像を並べようとする計画。中岡慎太郎や武市半平太、坂本龍馬が聞いたとしたら、なんと言うだろうかね。

 「そんなこと、止めちょきや。」「もっと他にやらなあいかんことがあるろう。」

 それに中岡慎太郎と武市半平太は、張りぼてらしいからなおさらでしょう。
 最初から撤去をする前提の話だし、限られた予算の中での苦肉の策でしょうからね。

 「止めちょいたほうがえいろうにゃあ。」

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