ふくろう親父の昔語り

地域の歴史とか、その時々の感想などを、書き続けてみたいと思います。
高知県の東のほうの物語です。

街道の騒動

2009-07-29 11:02:00 | 野根山街道物語
 野根山街道の岩佐の関所で騒動がおきたのは宝暦11年(1761年)5月21日とされています。

 参勤交代で土佐へ帰路についていた藩主(8代豊敷トヨノブ)が、5月17日に甲浦について18日・19日に野根山街道を越える準備をしていたのですが、幕府の巡検使が高知からの帰路、奈半利から向かっている旨の連絡を受けるのです。

 一国の殿様も公儀の監察官には一目置いていたというか、遠慮して急遽道を譲って山越えを諦め、灘廻りとしたのです。海岸を廻って、砂浜や磯を通行したのですが困ったのはやはり一般民衆でした。殿様が急に来るのですし、何より何百人もの行列が押し寄せてくるのです。道普請はもとより接待まで大騒ぎであったことでしょう。賦役が重なると地域住民は負担が大変だったのです。
 さらに、土地土地の長者達の気苦労は相当なものであったそうな。

 それより困ったのが、巡検使の一行でした。記録によれば野根山山中で大雨にあい、岩佐の関所で止宿することになるのです。巡検使のお付の藩の役人やら荷運びの人夫やら、こちらも100人ほどの行列であったそうな。
 山の中の小さな関所に大勢が突然、止宿する。殿様も遠慮するような身分の方々がです。緊張したのでしょう近在の住民の負担も大変であったといわれています。
 どこに止めるの、食事は??。あわてたでしょうね。

 道を譲って灘周りの殿様の一行。こちらも野根山が大雨ですから、風は吹き、波は荒れ、船は出せず、歩いての旅は遍路状態だったのです。

 こうした事件もあってか、これから参勤交代の順路は「北山越え」に変化することになります。

 天気予報はなかったのですし、普段いつもあることではないのですが、しんどかった事でしょう。お世話をする側にとっては、野根山街道は苦役の道だったのです。

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