ふくろう親父の昔語り

地域の歴史とか、その時々の感想などを、書き続けてみたいと思います。
高知県の東のほうの物語です。

草莽の志士

2010-01-04 13:47:03 | 高知県東部人物列伝
 今日は能勢達太郎の話です。
 奈半利町の立町で医業を営み、傍ら家塾を開いて子弟を教授していた能勢魯足の子として天保10年に生まれたのです。幼い頃から父から手習いの指導を受け、14歳のときに土佐藩の藩校文武館に入り、16歳で得業生となる。大望を抱いて伊勢・大阪等で勉学につとめるのです。さらに江戸において昌平校に入っていたのですが、病を得て郷里に帰ってくるのです。病気平癒の後、勤皇派に属していたのですが、佐幕派の圧迫により意を決して脱藩。のち全国の情勢を調査して朝廷に報告するようになるも、元治元年(1864年)7月19日蛤御門の変に忠勇隊の一員となって会津等の兵と戦うも敗れて21日、自刃して果てたそうな。

 武より文のイメージが強い達太郎ですが、それだけに生き残ってほしかったのです。明治の時代まで生き残ってくれたなら、いい官僚になったであろうにと思うのです。
 有名にもならず、人知れず死んでいった草莽の志士たち。高知県東部地域にもまだまだそうした人達がいたのです。さらに注目する必要があります。

 忠勇隊はその後再編されて、中岡慎太郎が総裁になるのですから、縁がないとは残念なことです。
 清岡道之助らによる野根山屯集事件の4日前のことです。もちろん互いに知るよしもないのですが、命の価値が今ほど重くない時代だったのです。

 当時青年志士のなかで、第1の学者とされていた彼は、22歳の若さでした。

 いま、奈半利川の橋を渡った入り口付近に顕彰碑が立っています。

 

最新の画像もっと見る