奈半利町の海岸に造られた積み出し桟橋です。昭和28年ごろの撮影とされています。
森林鉄道によって運ばれてきた木材を、かつては人力で海に運んでいたのですが桟橋を造ることで、船の近くで海に落とすだけになっています。海の上に落とされた木材が広がらないようにフェンスが広げられているのが見えます。船のクレーンで吊り上げて積んだようです。効率よく船積みできるようになった頃の写真です。
木材を、桟橋が出来るまでは砂浜を1本1本人力で転がしながら海中に運んでいたようで、波打ち際で力が要ったそうです。
こうした作業ですから波の荒い日は搬出はお休みです。1年で何日ぐらい出せたのでしょうね。
単純に人力での搬出ですから、まだまだ地元で仕事があったのでしょう。多くの方がこうした作業に従事していたのです。そのうち何十本もの木材を一挙に運ぶトラックが登場して、こうした作業も必要がなくなり、桟橋自体も取り壊されました。
子供の頃、この場所で遊んだ記憶があります。
森林鉄道によって運ばれてきた木材を、かつては人力で海に運んでいたのですが桟橋を造ることで、船の近くで海に落とすだけになっています。海の上に落とされた木材が広がらないようにフェンスが広げられているのが見えます。船のクレーンで吊り上げて積んだようです。効率よく船積みできるようになった頃の写真です。
木材を、桟橋が出来るまでは砂浜を1本1本人力で転がしながら海中に運んでいたようで、波打ち際で力が要ったそうです。
こうした作業ですから波の荒い日は搬出はお休みです。1年で何日ぐらい出せたのでしょうね。
単純に人力での搬出ですから、まだまだ地元で仕事があったのでしょう。多くの方がこうした作業に従事していたのです。そのうち何十本もの木材を一挙に運ぶトラックが登場して、こうした作業も必要がなくなり、桟橋自体も取り壊されました。
子供の頃、この場所で遊んだ記憶があります。
昔のときの記憶のほうが、昨日の記憶より優先することが多いです。不思議です。
その現場を修羅と呼んでいたと歴史民族資料館の展示物に書いてありました。
危険と隣り合わせの過酷な現場だったんでしょうね。