ふくろう親父の昔語り

地域の歴史とか、その時々の感想などを、書き続けてみたいと思います。
高知県の東のほうの物語です。

徳島県がない!!。

2009-08-05 20:50:52 | 昔話
 地図を見ると徳島県がないではないか。え!!。浅学を恥じ入るばかり。

 本当かな?。

 確認しました。本当でした。
 知らなかったのは、もしかして私だけ??。まあ仕方なし。

 知らない仲間同士にお知らせです。
 明治維新が日本を変えてしまったとき、大きな変化が全国で起こっていたのです。高知は原則的に勝ち組だったので問題はなかったのですが、大変だったのは徳島県です。

 明治2年7月1日  版籍奉還
           殿様がいなくなって藩主が知藩事となりました。
 明治4年7月14日 廃藩置県
           旧藩主は東京移住を強制されます。
           しかし藩がそのまま県になっただけだったことから300
以上の県が発足していたのです。これから激しい制度変更がありました。
 明治9年8月21日 制度変更、淡路は兵庫県に阿波は高知県に編入されてしまったのです。
           この時香川県も愛媛県に編入されたんです。
           なんで??。どうも、戊辰戦争のときに官軍側に積極的に協力しなかったからだとされているんです。

 でどうなったか。
高知県になった徳島には旧県庁舎に高知県徳島支庁が設置されたのですが、各種行政事務が停滞し、不満が続出したようです。明治12年に県議会が開設されても、高知県と徳島の間の陸上交通は難所ばかりといった状態で、県議会取材の記者が出張に5日かかったとか。どちらからも一旦大阪に出たほうが早かったそうな。
 さらに、県会議員の定数が高知県側より徳島の議員のほうが多かったことで議会運営に困惑したとの記録があるほどです。ちなみに議長は高知の片岡健吉、副議長は阿波の磯部為吉でした。
 県令は伊藤博文内務卿に分離を建議したそうな。
 この時期高知県では自由民権運動が高揚し始めていたのは、おもしろい。

 明治13年3月(1880年)徳島県が再置されたのです。
 そう4年ほど、徳島県は地図から消えていたことになります。

 いまでも、高知県と徳島県の間は道が悪いのです。最も時間がかかります。
 悪いのは政治か、経済か・・・・。
 シラナカッタ。恥ずかしい。
 

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