四国の道を考える会を開催する際、私にとっての先進事例の2例を紹介しましたが、あらためて思うことは、結構時間がかかっていましたね。色々なことがたくさんあり過ぎました。
忙しかったですねえ。
さて第一回目の四国の道を考える会の運営企画書が手元に残っていました。
実行委員会を組織するまで、準備の為の会合も何度かやりましたし、私自身室戸の県会議員さんの自宅に宿泊して作業をしたことさえあったほどです。
かなり気合の入った企画書です。これを全部やったのかと考えると、最初から全力投球でしたね。
内容はというと、テーマを「世界へ結ぶ田舎道」としています。
どんなに小さな田舎道でも、その道は世界に通じている。
世界に羽ばたける道であり、世界から訪ねてきたくなる道でありたい。
そんな道を語ってみたい。
こうした言葉が続いています。
基調講演のあとシンポを、そして分科会まで、それも4分科会を準備したのですから、頑張りました。1泊2日の第1回大会に相応しい内容です。
この大会の私の役割りはというと副委員長。名簿をみるとこの時点ですでにずっとこの大会を運営、応援してくれた方々が名前を連ねています。東洋町のN氏、安芸市のY氏等です。
さらにもう一つの心配事が広報だったのですが、東寺さんの宿坊の上階、本堂の瓦屋根が見える部屋にラジオのスタジオを臨時に作って、放送を午後ライブでやりながら、夕方からの大会準備をしていました。RKCの番組をラジオジャックしてしまったのです。
田村和郎氏の軽快な話し振りは未だに記憶に残っています。3時間という長丁場をあっという間に仕切ってしまいました。私はずっとそばで見ていて、時々口を挟んで、飽きることはなかったですね。
番組としては大会に参加するパネラーだとか関係者が次々と発言をつなげてくれました。とくに東京大学のT教授の付加体についての話は、真に興味深かったですね。いまのジオパーク運動に繋がる話でした。
資金調達については難しかったのですが、記憶に残っているイベントでしたね。
当時は室戸や中芸、安芸、徳島県の南部まで自由民主党の若手の議員さんたちが多数いらっしゃいましたので、みんな元気でした。 今はみんなばらばらになった印象です。
平成10年10月23日~24日のことでした。今年は平成23年ですから随分と昔の話になってしまいました。