79歳で
大腸癌から
全身転移。
結局、
実質的には
家で死んだ
母の
献身的な看病。
近くの町医者に
父は
自転車で、通っていた。
晩年、
脚が
立たなくなった。
帰省した私が、
肩につかまってもらって、
公園につれていってあげた。
ひとりでは
歩けなくなったのだ。
3年後、
後を追うように
母も逝った。
78歳。
父を喪った
ショックが
大きかったようだ。
一人暮らしになった
母に
会えるのは
月1回。
新幹線で飛んで帰った。
父の死後、
じつは、
ぶっきらぼうに
母に対していても、
さまざまな配慮がされていたことを
知ったっ母。
3年間、
家に帰ると、
父の遺影に
ニコニコしながら、
「お父ちゃん、帰ったよ」
と
ほうこく
するのだ。
いつも
けんかばかり
していたが、
結局深く愛し合っていたのだ。
‥‥
しずやかな涅槃の岸にやすらいで父と母とはむつびあうらむ
‥‥
大腸癌から
全身転移。
結局、
実質的には
家で死んだ
母の
献身的な看病。
近くの町医者に
父は
自転車で、通っていた。
晩年、
脚が
立たなくなった。
帰省した私が、
肩につかまってもらって、
公園につれていってあげた。
ひとりでは
歩けなくなったのだ。
3年後、
後を追うように
母も逝った。
78歳。
父を喪った
ショックが
大きかったようだ。
一人暮らしになった
母に
会えるのは
月1回。
新幹線で飛んで帰った。
父の死後、
じつは、
ぶっきらぼうに
母に対していても、
さまざまな配慮がされていたことを
知ったっ母。
3年間、
家に帰ると、
父の遺影に
ニコニコしながら、
「お父ちゃん、帰ったよ」
と
ほうこく
するのだ。
いつも
けんかばかり
していたが、
結局深く愛し合っていたのだ。
‥‥
しずやかな涅槃の岸にやすらいで父と母とはむつびあうらむ
‥‥